第33話「榊原の加速――“言葉が先に刺す”校内世論戦」
翌朝、校内の空気が変わっていた。
掲示板の紙が剥がれていたはずなのに、別の紙が貼られている。
剥がれても増える。
——世論は水だ。塞いでも別の穴から流れる。
今度の紙は、字が上手い。
文面が“優しい”。
『不安な人へ。安心の相談窓口』
『あなたのための秩序』
『和久さんを責めないで。守りましょう』
守りましょう。
その一行が最も怖い。
守るという名で、囲う。
囲うという名で、閉じる。
愛美が小声で言った。
「……京香、昨日のこと、誰かが“美談”にしてる」
「美談……?」
「『危険な男子を救った』って。……でも、救ったからこそ“危険人物と関わる”って言う人もいる」
どっちに転んでも、京香は言葉の渦に沈む。
救っても叩かれる。救わなくても叩かれる。
(統治だ)
ユッキーの声。
(恐怖じゃなく、正しさで縛る)
そのとき、廊下の端から拍手が聞こえた。
誰も拍手していないのに。
拍手の“リズム”が、昨日より速い。
階段の踊り場に、榊原康政がいた。
制服姿。
笑みは整然としている。
目は薄くない。むしろ満ちている。意思で満ちている。
榊原が言った。
「昨日は見事だった、京香さん」
声が速い。
言葉が槍のように一直線に刺さるのに、柔らかい。
「人は助けられると、助けた人を“正しい”と呼ぶ。正しい者は目立つ。目立つ者は統治しやすい」
京香は息を吸う。
「……あなたは、世論を操ってる」
榊原は微笑み、否定しない。
「操るのではない。整える。秩序とは整えることだ」
榊原は廊下の掲示板を顎で示した。
「君を守る紙。君を縛る紙。——同じ紙だ。君の優しさは、紙になる」
紙になる。
医療のカルテも紙だ。
命を守る紙。
それが、命を縛る紙にもなる。
榊原の言葉は速い。
反論する前に、次の刃が来る。
「君は看護師志望だろう? 守る側になりたい。——なら、守られる側の“従う”も理解できるはずだ」
京香は黙りそうになって、黙らなかった。
黙れば、その沈黙が“同意”になる。
「理解できる。でも、従わせるのは違う」
榊原の笑みが深まる。
「違いは何だ。君が守る患者を、君は指示する。君は従わせる」
——鋭い。
医療倫理の隙間を刺してくる。
敵が魅力的であるというのは、こういうことだ。
悪ではなく、正しさの形が違う。
京香は、息を吐いて答えた。
「私は“選べるようにする”。あなたは“選ばせない”」
榊原の目が一瞬だけ細くなる。
怒りじゃない。愉悦だ。
議論が成立する相手を見つけた者の愉悦。
「ならば、君の選択を試す。今日の午後、模試の返却だろう」
京香の血が冷える。
「……なんで知ってるの」
榊原は肩をすくめた。
「君が受験生だからだ。君の戦場は、こちらも利用できる」
言葉が速い。
槍より速い。
槍なら避けられる。
言葉は避けられない。
耳に入った瞬間に、身体が反応する。
榊原は去り際に言った。
「君が志望校に落ちれば、君の優しさは折れる。折れた優しさは、従う優しさになる。——それが秩序だ」
廊下の空気が、少しだけ白くなる。
統治の白。
京香は唇を噛んだ。
受験が象徴負けしそうになる。
でも——受験は逃げ場じゃない。
受験こそ京香の戦争だ。




