第31話「忠勝の“検査”――優しさを踏ませる土俵」
全校集会の余韻がまだ体育館の床に残っている。
生徒たちの靴裏がこすった白い粉じんが、光に舞って、京香の喉を乾かした。
本多忠勝は壇上を降りたあとも、周囲の空気を従わせたまま歩いていた。
スーツのはずなのに、鎧の関節が鳴る気がする。
誰も近づかない。近づけない。強い者の孤独ではなく、強い者に近づけないだけの距離。
体育館の出口で、忠勝が立ち止まった。
京香のほうを振り返る。目が真っ直ぐすぎて、逃げ場がない。
「和久京香」
名前を呼ばれた瞬間、周囲の生徒の視線が針になる。
“危険人物リスト”。“反秩序”。
掲示板の紙が、もう校則として動いている。
京香は喉の奥の冷えを飲み込み、声を出した。
「……はい」
忠勝の視線は、京香の目の奥を測るように沈む。
「君は守る側に行きたいと言った。看護師……だったな」
“夢”を呼ばれる。
世界の戦いに飲まれそうな日常が、忠勝の一言で引き戻される。
でも、その引き戻しが罠にもなる。
「はい。私、看護師になりたいです」
忠勝は頷いた。
頷きが、承認ではなく“採点”に見える。
「ならば問う。守るとは、何だ」
答えは頭にある。
でも、言葉にすると途端に軽くなる気がした。医療の現場で言葉は最後に出す。先に手が動く。呼吸が動く。脈が動く。
京香は息を吸い、短く言った。
「……生かすことです」
忠勝は笑わなかった。
ただ、深く頷いた。
「よい。だが——生かすとは、痛みを伴う」
その瞬間、体育館の空気が、半歩だけ戦場に寄る。
周囲の生徒が無意識に距離を取った。
“正しさ”に従うために。
忠勝が手を伸ばし、京香の肩へ触れようとした。
触れてくるだけの動作なのに、京香の身体が強張る。
触れたら何かが“確定”してしまう気がした。
胸の奥が鋭く鳴る。
(近い)
ユッキーの気配が短く警告する。
京香は一歩だけ引いた。
逃げじゃない。距離を作る。境界線。
忠勝は、その一歩を見て目を細めた。評価の目だ。
「恐れを知っている。よい。恐れを知らぬ優しさは、ただの乱暴だ」
その言葉が、京香の腹に落ちた。
“乱暴”。
医療でも同じだ。善意で患者の身体を乱暴に扱えば、傷は増える。
忠勝は低い声で続けた。
「今夜。校舎の北棟。旧視聴覚室」
一瞬、誰かの息が止まる。
「そこに“怪異”が出る。君の噂を使ってな。——恐れるな、これは検査だ」
検査。
強さ=優しさの検査。
胸が冷えるのに、背筋のどこかが熱い。
「どうして……私に」
忠勝の答えは、冷たいほど公平だった。
「君は拒まぬ。拒めぬ優しさではなく、拒まずに止める優しさだ。——それが統治を壊す」
統治。
天海の言葉と同じ骨格。
忠勝は天海の道具ではない。忠勝は忠勝の正しさで動いている。
だから怖い。
忠勝は去り際に、さらりと付け加えた。
「君が勝てば、掲示板の紙は意味を失う。負ければ——校内の空気が、君を殺す」
物理じゃない。
社会が人を殺す。
言葉が校則になる日。
京香は拳を握った。指先が遅い。冷えている。
それでも、言った。
「行きます」
胸の奥で、ユッキーが息を吐いた。
(……無茶だ)
(でも、逃げたら受験も終わる。日常が壊れる)
(……なら、止める技だけを使え。殺すな。奪うな)
「分かってる」
京香は笑えなかった。
でも、逃げないと決めた。




