第28話「受験と統治――“救う”の意味が割れる夜」
模試の解き直しをしていると、京香は戻れる気がした。
正解がある世界は優しい。医療も本当は優しい。正解が一つではないだけで。
母が夜勤から帰り、台所で静かに味噌汁を温めていた。湯気の匂いが現実へ引き戻す。
「最近、顔色悪いよ」
「受験」
短く答える。嘘ではない。受験のせいで顔色が悪いことも確かにある。
味噌汁の味が少し遠い。塩味が薄い。
味覚の鈍化。箸が止まる。
(味覚△)
胸の奥が小さく息をした。
(……削れている)
怒りそうになって、怒れなかった。怒っても仕方がない。
だから決めるしかない。
夜。窓の外で拍手がした気がした。
誰も拍手していないのに。
スマホに通知。学校の匿名アカウント。
『反秩序の生徒がいる』
『危険人物リスト』
『京香』
胃が冷える。言葉が校内で校則になり始めている。
(統治だ)
「……統治?」
(恐怖で支配せず、正しさで支配する。——それが天海のやり方)
京香は目を閉じた。
看護師として人を救いたい。けれど“救う”は“支配”の別名にもなりうる。
「ユッキー。救うって、何」
沈黙。
そして胸の奥が、珍しく迷いながら言った。
(俺は戦場で、救うとは“終わらせる”ことだった)
胸が痛む。
京香の救いは生かす。ユッキーの救いは終わらせる。
同じ言葉が違う刃を持つ。
京香は言った。
「私は、終わらせない。終わらせるなら、苦しみだけ」
(……ならば、止める技を磨け)
「うん。——でも、私、怖い」
(怖いと言え)
月香の紙と同じ言葉。嘘をつくな。怖いは言え。
胸が少し軽くなる。怖いを言えたからだ。
夜、京香は白い便箋を引き出しから出した。触れると雪の匂いがする。
余白に赤ペンで書く。
『救う=支配ではない』
『救う=信じる』
『信じる=怖い』
書いた瞬間、硬貨が机の上で小さく鳴った。
六文銭の冷たさが指に残る。




