第18話「敵の具体像――“正しい顔”の牙」
夜の都心は、どこも光が多い。
光が多いほど、人は“安心しているふり”ができる。
壇上の男は、穏やかな笑顔でマイクを握った。
SHINTOU。政治結社。若者の不安に寄り添う団体。表向きの顔は、いくらでも美しい。
「私たちは争いを望みません。秩序と調和のために、対話を」
拍手。
拍手は“正しさ”を作る。
正しさは、異物を排除する。
会場の隅。
黒いスーツの男が、耳元のインカムに低く呟く。
「……校内で接触した。対象は女子高生。京香」
別の声が返る。
「確度は?」
「高い。フォーラムへの反応が異常に強い。——器の適性」
“器”。
その言葉は、人間を人間として扱わない。
だが口調は冷静で、合理的で、正しいことを言っているように聞こえる。
「西尾は?」
「失敗。封じられた痕跡がある。真田の影が濃い」
壇上の男——代表は笑ったまま、客席へ目を向ける。
誰もが見上げる中、その瞳の奥だけが冷たい。
「では次を。……榊原に回せ」
名前が落ちる。
歴史の名が、現代のスーツの口から当たり前のように出る。
その瞬間、会場の天井の照明が一つだけ瞬いた。
誰も気づかない程度の瞬き。
だが、その瞬きに合わせて、影が一段濃くなった。
影の中で、誰かが笑った。
——秩序は愛だ。
——愛は、強制できる。
その言葉を“思想”として信じる者がいる。
信じるからこそ、正しい顔で牙を剥ける。
同じ夜。
京香の部屋。
ユッキーが、京香の背中側に“守りの気配”を置きながら言う。
(……敵は、組織だ)
「……分かってきた」
京香は机に向かったまま言った。
問題集の文字が、少しだけ戻ってきている。
だが、指先の鈍さは消えない。
「SNSも掲示板もフォーラムも、全部繋がってる。……世論操作」
自分の口から出た言葉に、自分で驚く。
高校生が使う単語じゃない。
でも、現代の戦場では必要な単語だ。
ユッキーが低く言う。
(戦場は槍だけではない)
「……知ってる。受験も、槍じゃない」
京香は笑おうとして、笑いきれなかった。
でもその未完成の笑いが、二人の距離を少しだけ縮める。
ユッキーが、珍しく先に言った。
(……京香。今日の戦いは、お前が主だ)
「当たり前。私の身体だもん」
(……それでも、よく守った)
褒められると、胸が温かくなる。
温かくなるほど、怖さが輪郭を失う。
京香は、ふと問いかけた。
「ねえユッキー。敵の“頭”は誰?」
ユッキーの気配が僅かに硬くなる。
(……天海)
「天海……お坊さん?」
(名は、そう呼ばれていた)
「……それ、誰」
ユッキーは答えない。
答えないことで、核がそこにあると分かる。
京香は、そこで無理に踏み込まない。
看護師の勉強で学んだ。
人が語らないのは、今は語れないからだ。
京香は代わりに、別の問いを選ぶ。
「……敵は、私を“器”って言う」
(……うむ)
「私、器じゃない。私は私」
(……うむ)
「私が選ぶ」
その宣言が、部屋の空気を少しだけ強くした。
弱い宣言でもいい。
宣言は、侵食に対する境界線になる。
その夜、京香は模試の復習を一問だけやった。
一問だけでも、戻ってきた。
日常を取り返すための一歩。
だが、机の端の硬貨は冷たいままだった。
冷たさは、代償の形を変えて近づいてくる。




