第15話「日常に混じる不穏」
翌日、京香は自分が“少しだけ強くなっている”のを感じた。
ユッキーと呼べた。
それだけで、恐怖の輪郭が少し丸くなる。
丸くなると、手で持てる。
朝の教室。
愛美が言う。
「ねえ京香、最近さ……ネットで変なこと書かれてない?」
京香の背中が冷えた。
「……え?」
「なんかさ、掲示板で名前出てたって。うちのクラスの子が見たらしくて」
京香は心臓が跳ねた。
第10話の書き込みが、現実へ染み出している。
(言葉が事実を作る)
京香は笑って誤魔化した。
「なにそれ、こわ」
「ね。変だよね。……でもさ」
愛美は少し声を落とした。
「SHINTOUの人たち、学校の近くでチラシ配ってた」
京香は喉が詰まる。
昼休み。
校門の外。確かに、スーツ姿の若い男たちが、笑顔でチラシを配っている。
笑顔が、フォーラムの壇上と同じ形をしている。
京香は視線を逸らした。
逸らした瞬間、胸の奥がざわつく。
(ユッキー)
(……うむ)
(あれ、やばい?)
幸村の返事は低い。
(……近い)
近い。
敵が近い、という意味だけじゃない。
京香の世界へ近い。
放課後。
京香は塾へ向かう道で、ふと背後に気配を感じた。
振り向くと、男子生徒が一人、視線を逸らした。
同じ学校の制服。
顔は見覚えがある。
でも、表情が薄い。
笑ってもいないのに、口角が僅かに上がっている。
京香は歩幅を早めた。
男子も同じように歩幅を早める。
(……追ってる?)
京香の胃が冷える。
怪異じゃない。現実の高校生。
現実の刃のほうが怖い。
コンビニの前、人が多いところへ入る。
男子は立ち止まった。
立ち止まって、京香を見た。
視線が、冷たい。
でも何より怖いのは——“中身が薄い”ことだ。
京香は気づく。
あれは、あの男子ではない。
あの男子の身体を使って、別の“意思”が覗いている。
(……女子トイレの、笑い)
胸の奥で幸村が鋭く前へ出る気配。
京香のルールがぎしりと鳴る。
(ユッキー、だめ! まだ!)
京香は止める。
止めながら、自分で震える。
(でも、どうする)
幸村の声が低い。
(武器は)
(……ない)
(ある)
幸村の言葉は短い。
視線が、コンビニの傘立てへ向いた気がした。
傘。
細長い棒。
現代の槍。
京香は息を呑む。
男子が一歩近づく。
手がポケットへ入る。
金属が擦れる音。
——カッター。
京香の全身が冷たくなる。
ここは学校でも、戦場になる。
そのとき男子が、口を開いた。
声は男子の声なのに、古い響きが混じる。
「……さなだ……」
ユッキーの気配が、無念で揺れた。
京香は傘立てから一本を掴む。
握った瞬間、手の中の重心が少し変わる。
京香の手でありながら、ユッキーの間合いが重なる。
京香は叫びたいのを堪え、低く言った。
「近づかないで」
男子が笑う。
笑ってはいけない笑い。
「……秩序のためだ」
京香の胸が凍った。
“秩序”が、刃になる。
京香は傘の先を床へ置いた。
第3話の“槍を持たない武将”の動き。
進路を塞ぐ。制圧。殺さない。
男子が踏み込む。
カッターが光る。
京香は傘を滑らせ、男子の手首を叩いた。
カッターが床に落ちた。
音が乾く。
京香の心臓が耳の裏で鳴る。
男子が、信じられない顔をした。
その顔は、男子本人の顔だった。
一瞬だけ“戻った”。
「……え、俺……なに……」
京香の胸が痛んだ。
この子も被害者だ。
その瞬間、男子の瞳の奥に赤い点が戻る。
戻って、笑う。
「……まだだ」
京香は歯を食いしばった。
日常の中に、不穏が混じった。
混じったのではない。
溶け込んだ。
胸の奥でユッキーが低く言った。
(……すまぬ)
(謝らないで!)
京香は叫びそうになって、息を飲み込んだ。
ここはコンビニの前。
人がいる。
叫べば、日常が壊れる。
京香は傘を握り締めたまま、ただ一つだけ決めた。
——私は、守る。
夢も、日常も。
そして、被害者も。
その覚悟が、京香の背筋を立たせた。




