第14話「受験・日常・ユッキー」
翌朝、京香は寝不足のまま登校した。
フォーラムの拍手が、耳の奥に残っている。
拍手は音なのに、肌に残る。
教室で愛美が寄ってくる。
「昨日さ、急に帰るからびっくりした。大丈夫?」
「大丈夫。ありがと」
京香は笑ってみせた。
友だちを失いたくない。
受験生の孤独は、ただでさえ重い。
でも、胸の奥は落ち着かない。
知らない番号の通知が、ずっと刺さっている。
『あなたは正しい側に立てます』
正しい側。
それは、“正しくない側”を作る言葉だ。
放課後。
塾。
京香は問題を解きながら、何度もページを戻った。
集中が途切れるたびに、指先が冷たくなる。
(……代償)
まだ小さい。
でも小さいからこそ怖い。
病気の初期症状と同じだ。
「気のせい」で済ませた人から崩れる。
帰宅。
机に向かう。
硬貨がそこにある。六つの円。
京香は胸の奥へ言った。
(幸村)
(うむ)
(ねえ……フォーラムで、あなた出そうとしたよね)
沈黙。
否定しない沈黙。
(でも、止めた。私のルール)
(……うむ)
(私、偉い?)
言ってから、京香は自分で笑いそうになった。
こんな状況で「偉い?」って。
受験生のノリが出た自分に、少し救われる。
幸村が、珍しく困ったように息をした。
(……偉い、とは)
(褒めてって意味)
(……褒める)
その言葉を口の中で転がすように、幸村はゆっくり言った。
(よく耐えた)
京香の胸が少しだけ軽くなる。
「……ありがと」
京香はつい口に出した。
“同居人”なのに、言葉にした。
沈黙のあと、京香は思いついた。
「ねえ。幸村って呼ぶと、なんか……固い」
(固い?)
「うん。距離ある。……あのさ」
京香は鉛筆を回しながら、言葉を探した。
こういうときの自分は、友だちにあだ名をつけるときと同じ顔をしているはずだ。
「……ユッキーって呼んでもいい?」
空気が止まった。
幸村の気配が、一瞬だけ“戦場の硬さ”に戻る。
でもすぐに、戸惑いへ変わる。
(……何だ、それは)
「かわいいでしょ」
(かわいい……?)
京香は笑った。
「うん。だって、私、受験生だし。幽霊と同居してるとか重すぎるし。
重いの、無理」
京香は自分の言葉に、自分で納得した。
軽さは逃げじゃない。
軽さは、生きるための技術だ。
幸村は沈黙したまま、長く息をした。
(……好きに呼べ)
「よし。じゃあ今日からユッキー」
京香は宣言した。
宣言しないと、怖さに飲まれるから。
すると胸の奥で、幸村が小さく言った。
(……京香)
(なに)
(……不思議だ)
(なにが)
(俺の名が、軽くなる)
京香は一瞬だけ目を見開いて、すぐに笑った。
「軽くしていいんだよ。ユッキー。重いのは、あとで全部まとめて背負えばいい」
その瞬間、硬貨の冷たさが少しだけ弱まった気がした。
気のせいかもしれない。
でも“気のせい”が、京香を救う夜がある。




