第13話「SHINTOU主催フォーラムの“触れてしまう”回」
フォーラムの会場は、駅前のホールだった。
京香は行くつもりはなかった。
なのに、行ってしまった。
正確には——“偶然触れてしまった”。
塾の帰り、愛美から届いたメッセージ。
『やっぱ来ない? 入口でパンフだけ渡せるよ!』
京香はため息をついた。
断るのが苦手だ。
看護師になりたい子の多くは、人を傷つけることが嫌いで、だから断るのが遅れる。
(嫌だな……でも、パンフだけなら)
京香は自分の甘さを自覚しつつ、ホールの入口へ向かった。
雪は降っていない。
でも風が冷たい。
息が白くなる寸前の夜。
入口で、愛美が手を振った。
「京香! やっと来た!」
「パンフだけね」
「うんうん! これ!」
渡された紙は厚く、手触りが良い。
紙が良いだけで、内容が正しいように見える。
印刷のインクの匂いが、妙に清潔だった。
表紙には大きく書かれている。
『秩序があなたを守る』
その言葉を見た瞬間、京香の背中が冷えた。
守る、という言葉が、勝手に“守られる側”へ自分を押し込める。
ホールの中から拍手が聞こえた。
開始の合図。
拍手は熱い。
熱いほど、恐い。
「中、ちょっとだけ見てかない? 雰囲気だけ!」
愛美が無邪気に言う。
京香は首を横に振ろうとして、止まった。
胸の奥が、静かに反応した。
幸村ではない。
別の反応。
——“引き寄せ”。
(触れたら繋がる)
第10話の直感が、今ここで現実になる。
京香は一歩だけ中へ入った。
“雰囲気だけ”のために。
照明が明るい。
壇上に立つ男は、柔らかい笑顔を浮かべていた。
声は落ち着いていて、言葉は優しい。
「皆さん、不安ですよね。未来が見えない。だから争う。だから孤独になる。
——でも、秩序があれば守れるんです」
正しい。
たぶん、正しい。
だから怖い。
京香は息を吸った。
隣の席の人たちが頷いている。
頷くたびに、“空気”が整っていく。
「自由は美しい。ですが自由は、弱者を置き去りにします」
「自由は、争いを生む」
「だから、強い秩序が必要です」
その言葉が、掲示板の文章と同じ形をしていた。
匿名の刃と、壇上のやさしさが、同じ刃先を持っている。
京香の指先が冷たくなる。
胸の奥で、幸村が“前へ出ようとする”気配がした。
京香のルールが、ぎしりと鳴る。
(……だめ)
京香は心の中で止める。
ここで幸村が出たら、京香は“京香”でいられなくなる。
壇上の男が続ける。
「秩序は、恐怖ではありません。
秩序は、愛です」
京香の胃がねじれた。
愛、という言葉が、ここで出るのが怖い。
愛は、人を動かす。
愛は、人を縛ることもできる。
京香はホールの天井を見上げた。
照明が白い。
白すぎる白。
ふと、背後で誰かが笑った気がした。
音にならない笑い。
排水溝の笑いに似た笑い。
京香は立ち上がった。
「……ごめん、帰る」
愛美が驚く。
「え、もう? まだいいところだよ!」
「私、模試ある」
京香は嘘をつかない。模試はある。
でも、帰る理由は模試だけじゃない。
ここに居ると、選択を奪われる。
京香は出口へ向かった。
拍手が背中を叩く。
拍手が“正しさ”を作っていく。
京香は震える指でパンフを握りつぶしそうになって、堪えた。
紙が良い。
それが怖い。
外へ出ると、空気が冷たい。
冷たいほど、自由だ。
京香は息を吐いた。
白くならない。
まだ、冬の境目。
胸の奥で、幸村が小さく言った。
(……触れたな)
(触れた。ごめん)
(……謝るな)
京香は立ち止まった。
(え)
(お前は、選ぶために触れた。そういう者だ)
京香は目を伏せた。
選ぶために触れた。
それは、看護師志望の自分に似ている。
怖い場所へ行くのは好奇心じゃない。誰かの痛みを知るためだ。
そのとき、スマホが震えた。
通知。
知らない番号。
『あなたは正しい側に立てます』
京香は息を止めた。
正しい側。
その言葉が、いちばん怖い。




