第12話「語られなかった夜の違和感」
京香の違和感は、恐怖とは違う形をしていた。
怖いものは、見れば分かる。
目を逸らしたくなる、という反応が自分で分かる。
でも違和感は、見えない場所で微妙に“噛み合わない”感覚だ。
授業中、京香は先生の声を聞きながら、ノートに「酸素飽和度」と書いて、すぐに消した。
理科の授業じゃない。
看護師の勉強が頭の中で勝手に混ざる。
受験のために勉強しているのに、未来の職業の言葉が現実へ染み出す。
(私は、ちゃんと未来を見てる)
未来を見ることが、いまの自分を守る。
京香はそう信じたい。
昼休み、愛美がまた言う。
「京香、最近ほんとに変だよ。夜、寝てる?」
「寝てる」
嘘ではない。
ただ、夢の中で何度も起きている。
「ねえ、フォーラム来てよ。みんな行くよ」
“みんな”。
その言葉が一番強い。
“みんな”が行くなら正しい。
“みんな”が行くなら安心。
京香は一瞬だけ、胸の奥へ触れた。
(幸村)
返事はない。
今は学校。
ルールの時間。
京香は笑ってみせた。
「ごめん。模試の復習ある」
愛美が肩をすくめる。
「真面目すぎ〜」
真面目で何が悪い。
京香は心の中で呟く。
真面目さは、命を救うときに必要だ。
放課後、塾。
帰り道、京香はふと自販機の前で足を止めた。
温かいココアの缶を買う。
缶の熱が掌に戻ってくる。
その熱に、京香はほっとした。
(体温は、私のもの)
帰宅。
机に向かう。
硬貨がそこにある。冷たい。
京香は思う。
月香の映像が見えた。
雪の夜が差し込んできた。
それは“思い出”ではなく、“共有”だ。
(……語られなかった夜は、ただの過去じゃない)
京香は胸の奥へ言った。
(幸村。あの夜、何があったの)
沈黙。
幸村は、答えない。
京香はその沈黙を“拒絶”とは受け取らない。
第11話で知った。沈黙には意図がある。
でも、意図があるからこそ違和感が増す。
(語らない理由が“守るため”なら……守りたいものがあるってこと)
(守りたいもの=私?)
京香は自分の問いに自分で驚く。
まだ、そんな関係じゃない。
“同居人”だ。巻き込まれた受験生と、戦場の幽霊。
でも。
守るために語らない、というのは、そういうことだ。
京香は息を吸って、はっきり言った。
「……私は、私の夢を守りたい。だから、知りたい」
言葉が空気に落ちた。
その瞬間、机の下で影が一瞬だけ濃くなる。
笑い声。
音にならない笑い。
京香は指先が冷たくなるのを感じた。
硬貨の冷たさとは違う。
外側から侵してくる冷たさ。
胸の奥で、幸村が“前へ出た”気配がした。
京香のルールを守ったまま、守りの位置だけを変える。
(……来る)
幸村の声が小さい。
京香は歯を食いしばった。
(来るなら、来い)
思ってから、自分の攻撃性に驚く。
京香は暴力が嫌いだ。
なのに、守りたいものがあるとき、人は“迎え撃つ言葉”を持ってしまう。
その夜、京香はひとつ決めた。
語られなかった夜は、今に繋がっている。
ならば、違和感を無視しない。
看護師が小さな異変を見逃さないように。
京香は問題集の余白に六つの円を描いたあと、
その横に小さく書いた。
『違和感=兆候』
兆候を見逃さない。
それが、京香の戦い方だ。




