第10話「触れてはいけない掲示板」
月曜日。
学校の空気が、また少し変わった。
今度は言葉ではなく、“流れ”だ。
クラスの話題が、自然に同じ方向へ集まる。
「SHINTOUの動画見た?」
「めっちゃ良いこと言ってた」
「反対してる人、怖くない?」
怖い。
反対が怖いとされる世界は、もう半分終わっている。
京香は昼休み、図書室へ逃げた。
逃げるのではなく、立て直すために。
歴史の棚。
指が勝手に動き、一冊の本を引く。
『真田信繁(幸村)』
表紙の顔は、凛としていて、遠い。
でも京香は、その遠さに救われる気がした。
(この人は、英雄として書かれている)
胸の奥で幸村が反応する気配がした。
怒りでも、誇りでもない。
居心地の悪さ。
(……読むな)
(なんで)
(……俺は、そこに居ない)
京香は本を閉じた。
言いたいことは分かる。
英雄としての幸村は、記録の幸村だ。
“いまここにいる幸村”は、記録にいない。
放課後。
京香は帰り道、ふと学校裏の掲示板の前で足を止めた。
古い掲示板。
生徒会の連絡、部活の予定。
そして端に、消されかけた紙が貼られている。
『三階女子トイレ 夜の笑い声』
『見た人、連絡して』
連絡先は書かれていない。
書かれていないのに、京香はなぜか“続き”がある気がした。
京香は指を伸ばし、紙を剥がそうとして――止めた。
(触れたら、繋がる)
直感。
看護師志望の直感は、痛みの前兆を拾う。
京香はスマホで写真を撮った。
撮った瞬間、画面が一瞬だけ暗くなった。
そして、勝手にリンクが開く。
匿名掲示板。
タイトルは、こうだった。
『秩序を乱す者をどうする?』
京香は喉が冷える。
書き込みが流れている。
最初は雑談。
だが、流れが不自然に揃っていく。
『危険人物は排除すべき』
『自由は争いを生む』
『守るためには強制も必要』
同じ言葉。
同じ口調。
違う人間が書いているのに、同じ影が喋っているみたいに。
京香は画面をスクロールしようとして、指が止まる。
自分の名前があった。
『京香ってやつ、反対してるらしい』
京香の心臓が跳ねた。
反対なんて、言ってない。
誰にも言ってない。
『女のくせに生意気』
『秩序に従え』
『正しいのはSHINTOU』
京香はスマホを落としそうになった。
(……これ、私のこと?)
幸村の気配が、鋭くなる。
戦場の警戒。
(閉じろ)
京香は震える指で画面を閉じようとする。
しかし閉じられない。
指が滑る。
スマホが、まるで“読ませたがっている”。
京香は歯を食いしばり、電源ボタンを長押しした。
画面が暗くなる。
暗くなる直前、最後の書き込みが見えた。
『雪の夜に動く。見てろ』
京香は息を止めた。
雪。
また雪。
電源が落ち、黒い画面に自分の顔が映る。
そこに、背後の影が一瞬だけ重なった。
京香は振り向く。
誰もいない。
でも、廊下の奥で、足音がひとつ止まった。
京香は、怖さを押し込めて、歩き出した。
帰らなければいけない。
勉強しなければいけない。
夢のために。
そして、夢を壊さないために。
家に着くと、京香は机の上に硬貨を置いた。
六つの円が、静かに光る。
「……幸村」
(うむ)
「私、もう巻き込まれてるよね」
沈黙。
幸村は否定しない。
「……だったら」
京香は言葉を選ぶ。
選んで、言う。
「私のルールで戦う」
(……ルール)
「私は、殺さない。傷つけない。助ける側でいる」
幸村の気配が揺れる。
戦場の倫理と、現代の倫理がぶつかる揺れ。
それでも幸村は、ゆっくり言った。
(……お前の道だ)
その夜、京香は机に向かった。
受験の問題を解く。
だがページをめくるたび、指先の感覚が少しだけ鈍い。
気のせいだ。
そう思いたい。
硬貨の冷たさが、机の木目へ染み込むように残っていた。




