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わたしの腕の中

 ずっと、透明だった。


 第一子として姉が産まれた時、父は残念がったのだそうだ。

 息子が欲しいと公言して(はばか)らなかった父のため、次こそはと妊娠して産まれたのが私だった。


 二人の女児を抱えてもなお父の思いは変わらず、そうして翌年、念願の男児が産まれた。


 その時点で、私はもうすでにほとんど透明だったのだ。


 姉のお下がりばかりを身に付けた私は、いつも写真の隅の方に写り込んでいた。

 年齢が上がるにつれて姉の頭がいいと分かってくると、私はますます透明になった。


 出来のいい姉の後ろをなぞることもできず、弟のように父とキャッチボールをすることも叶わなかった。


 姉と私は見た目こそ似ていたが、中身は全くと言っていいほど似ていなかった。


 母は姉を溺愛したし、父は弟を溺愛した。

 私はいつだって、ふたりのついでだった。


 私たちは三人ともに年子であったから、小学校でも中学校でも話題になった。


「えみりちゃんのお姉ちゃんだ」

「えみりちゃんの弟くんだ」


 私の名前はふたりを装飾するためにしか使われなかった。


 姉はいつだってテストで一番を取ったし、弟はいつだって野球でいい成績を残した。

 幼い頃こそ優秀でも、いずれ普通の子になるだろうと思っていたらしい両親は、姉と弟の才能に喜んだ。


 母は姉をいい大学へ入れることを第一に考え、父は弟を甲子園へ行かせることを第一に考えるようになっていた。


 だから私は中学を卒業したら、完全に見放されるものと思っていた。


 けれど、さすがに世間体は気にするのだろう。私は公立高校への進学を許された。

 とはいえ、受験に失敗しては行く先がない。私は自分の成績でも余裕で合格できる程度の公立高校に進学することとなった。


 私たちの通っていた中学校に通う六割から七割の生徒は公立高校へ進学する。

 そのため、私は高校生になってもふたりの呪縛から逃れることができなかった。


「最近えみりちゃんのお姉ちゃんどうしてるの?」

「この間えみりちゃんの弟の試合見たよ!」


 私のことを見てくれる人なんていなくて、学校に通いこそすれ、私の人間関係はどんどん希薄になっていった。


 だから、私が違和感に気付いた時には、もう手の施し用がないくらいに病気が進行していたのだった。


 透明になるという、奇病。


 原因も治療法も不明だけれど、完全に透明になるまでには数年から十数年とまちまちで、一般的には初期症状に気付いた段階で自分の存在感を増すために色々なことを試し、一番効果があるものを選んで延命するのだという。


「本当はね、こんないきなり余命宣告なんてしないんですよ」


 透明病患者を多く受け入れる大学病院の担当医は、申し訳なさそうにそう言った。


「ここにはね、勘がいいというか、敏感というか、透明病に罹った患者さんでも末期まで知覚できる看護師さんを揃えているんですよ。でも、もう数人えみりさんが半分くらいしか見えない人がいてね。ここから頑張っても、長くて一年半くらいかなあ……もっと早い段階で気付いていたらよかったんですが」

「はあ……」


 一緒に担当医から説明を受けていた両親は、ぽかんとした顔で座っていた。

 血縁関係にある人間は大抵が患者を最後まで見ることができるのだと言われたけれど、信じられなかった。


 姉は東大の医学部に合格していて、私の病名を聞いて嬉々として論文の題材になると言った。弟は、特に何も言わなかった。


 もう、いつ透明になったって構わなかった。

 今この時に透明になったってよかった。


 それでも私の目には私はしっかりと映っていて、そのことが酷く悲しかった。


 どうせ一年程度で消えてなくなるのなら、最後のわがままを聞いてくれと思った私は、両親に大学へ行かせてほしいと頼んだ。


 透明病は珍しく、定期的に生体検査を行うことを条件に国からの補助金が下りていた。そのお金を大学進学に使わせてほしいと、私は初めて両親に言った。


 頷いたふたりにあったのは、愛なのか憐憫(れんびん)なのかは分からない。

 ふたりともにまだよく分かっていないような顔をしていて、もしかしてふたりにとって私はもうほとんど透き通っているのではないかと思うくらいだった。


 とにかく、私は大学進学の道を得た。


 合格者が多く、コミュニケーションの取れる人間が多くいそうだという偏見だけで大学を決めた私は、学科オリエンテーションで彼に出会ったのだった。


 私を、私だけを見てくれる人に。


 酒井くんに出会ってからの日々は、何もかも輝いていた。

 姉のことも、弟のことも知らない人。

 もうほとんど消えかけの私を、その瞳に映してくれる人。


 私に向けられた好意には気付いていたけれど、だからといって強引に関係を迫るような人ではなかった。

 優しい人だった。私を尊重してくれる人だった。


 だから、私もすぐに好きになった。


 でも、そんなこと言えるわけがなかった。

 だって私はもうすぐ消えてしまうのに、彼の中に残ることを願うなんてそんなこと、できない。


 だから、彼が写真を撮りたがるのにも理由を付けては拒絶した。

 形に残ったら、彼に残ったら、ああ、透明になんてなりたくない。


 そんな私の思いも虚しく、病状は順当に私を(むしば)んだ。


 そうして夏休みに入る頃、私は私の終わりを自覚した。

 もう、きっとあとひと月ほど。


 酒井くんの目からも、私は半分以上透明になっているらしかった。



 大好きだった水族館に誘って、その帰り道。海に面した道路で言った。


「一枚だけなら、許そうかな」


 許すも許さないもなかった。

 私が耐えきれなくなっただけだった。

 酒井くんの記憶の中から私が消えていくことを考えては、叫び出しそうなくらいに苦しくなって。


 覚えていて、でも、忘れて。


 ぐちゃぐちゃになった心のまま、太陽を背負って彼を見た。

 太陽の透けた私を、それでも覚えていてくれるなら。


「逆光だよ」

「わざとだよ」


 忘れて、でも、覚えていて。


「あはは、透けてる」

「えみり」

「もう、会わない方がいいかなぁ」

「えみり!」


 私を抱きしめる酒井くんの腕は、力強くて、熱かった。

 私をここに繋ぎ止めてくれるみたいだった。


 ああ、もしそうならどれほどよかっただろう。


「どうせなら、ぼくの腕の中で消えてよ」

「本気にするよ」

「いいよ」


 出会わなければよかったと、思いたくなかった。

 酒井くんの腕の中で消えられるなら、それが、一番よかった。


「じゃあ、そうして。ずっと離さないで」


 好きだって言葉だけは、言わないから。

 だから、許してほしい。


 ふたりで一緒に私の家に帰り、彼が家族に説明をした。

 ほとんど説得もいらないくらいだったけれど、心置きなく彼のそばにいられることは有り難かった。


 それからはずっと、私の部屋で過ごした。

 弟が部屋へ食事を運んできてくれた時には驚いたけれど、泣きそうな顔をしているのを見て胸が苦しくなった。


「野球、頑張ってね」

「うん」


 たったそれだけの会話だったけれど、酒井くんの腕の中に戻った私はぼろぼろと涙をこぼした。


 もっと、頑張ればよかった。

 もっと、話せばよかった。

 もっと、もっと、もっと。


 それでも、消えたくないとは言わなかった。

『好き』と『消えたくない』だけは、言わなかった。

 せめて彼の前で、綺麗なままでいたかった。


 透き通った私でいたかった。



「酒井くん、ありがとう」


 私の中から、私が消えていく。


「え?」


 どんどん、どんどん、何もかもが、消えていく。


「あなたに出逢えてよかった」


 あなたの腕のなかで、わたしは

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