第36話 VS 王様
「今日もいい天気ね」
窓辺に置いた椅子から、私はぼんやりと眼下に広がる王都の街並みを見ていた。ここは城内の、離宮という名の塔だ。教科書的には代々の王族で流行り病などにかかった人が過ごす場所。実際には病気の名目で隔離されてしまう人もいたことは想像に難くない。
そうはいっても、離宮という名前に偽りなく部屋そのものは場所が塔というだけで城内の客室よりも余程広く豪奢だ。大きな天蓋付きベッドに柔らかな布団、長椅子やテーブル、机にドレッサーなど一通りの家具だけでなく暖炉やお風呂もある。朝昼晩の食事とお茶が運ばれてくるし、大きな窓からは日差しが差し込んできて、鉄格子がはまっているということもない。暮らしとしてはなかなか快適だった。
ここに連れて来られてかれこれ三日。当初の不安や緊張から拍子抜けし、今では、いつまでこの状況が続くのかという苛立ちに変わり始めていた。
私は誰に会うでもなく、だだここにいるだけ。運ばれてくる食事は城での会食の際のメニューと遜色ないし、誰かに質問攻めにされたりもしない。罪人扱いされているわけでもなさそうなのに、何故家に帰して貰えないのだろう。やはり例の通路や船といった王家の秘密の件だろうか。それとも、婚約破棄を恨んで殿下やルナに害を与えるかもしれないと疑われているのか。
いや、私はずっと婚約解消を受け入れる姿勢を示してきたのだから、それはないだろう。早く家に帰りたい。そしてさっさと領地送りになって、そうしたら隙をついてまた逃げ出すのだ。家に帰ったらこっそり領地周辺の詳しい地図を調べておかなくちゃ。それとも、もうここから直接逃げちゃおうかなあ。
「カーテンとシーツと天蓋を裂いて結び合わせれば、下まで届きそうなんだよなあ」
この塔から逃げ出す手段を考えながら、窓から下を覗き込む。布を結び合わせた即席ロープを大きなベッドに結び付ければ、私一人の体重くらいは余裕で支えられるだろう。塔といっても高さ的には3~4階分だ。日本での記憶にはもっと高い場所で過ごしたこともある。それに比べれば全然余裕! といいたいところだけど……。
「おしりがムズムズしちゃうわ」
地面までの距離に怯んだ私は、乗り出していた頭をひっこめた。実際に自力で降りようと思うとやっぱり高い。
「早く竜がきてくれたらなあ」
窓辺に頬杖してため息をつく。元々、ここの警備は兵が1~2名、交代でついている程度の様子。竜がくれば大騒ぎになって、彼らさえ本館を守るためにこんな端っこの塔などさっさと離れるだろう。その時は高いなんて弱音をはいていられない。幸い、シグルドが準備してくれた背嚢などは、そのままこの部屋に置かれている。土地勘のない領地などわざわざ経由せずとも、迷わずここから逃げ出して、今度は絶対に乗合馬車を選ぶんだ。
むん! と気合を入れて胸の前で手を組み、私は自分の幸運を祈って祝福を贈った。
と、ガチャリと扉の錠が開く音がした。
「久しいな」
前触れもなく開いた扉の向こうに、国王陛下がいた。驚きながらも、私は椅子から立ち上がり、胸に手を当てて臣下の礼を取る。
「わざわざのお運び、恐縮です」
陛下が鷹揚に頷く。扉を閉じた従者が、今まで私が座っていた椅子を陛下の後ろに置いた。陛下が座り、私は礼を取ったままその場で膝をついた。
「怪我などはない様子、安心したぞ」
「ありがたき幸せ」
礼を取った姿勢から更に頭を下げ、それからなおるとおもむろに陛下が口を開いた。
「まず、ひとつ確認したい。此度の手段について、だ」
来た! 想定内の質問だ。私は俯いて、殊勝らしく考えていた口上を述べる。
「恐れながら、幼き頃に殿下にお伺いいたしました」
「そうか」
やはりな、と疲れたように陛下がいう。
「通路の出口付近で其方の制服が見つかった。その荷物はどうした?」
猫脚のチェストに置かれた質素な背嚢を、陛下が目線で示した。
「こちらは水車小屋にございましたので」
「そうか」
きっと王家のほうでもどこかしらに逃亡用の物資を隠してあるのだろう、陛下は質問というよりは確認という様子だ。私も嘘は言っていない。
「だが、其方は小舟に乗った先がどうなるかは知らなかったのだな」
「御意」
「全く、従順に見えたが存外じゃじゃ馬であったか」
陛下が僅かに苦笑を浮かべて、それから真摯な顔つきになった。
「箱入りの公爵令嬢が無謀な旅路を選ぶほどに追い詰めてしまったようだ。其方に詫びたい」
叱責を受けると思っていたのに、陛下の意外な言葉に私は思わず顔を上げてしまった。気が付いて、再び礼をとる私に顔をあげるようにと陛下がいった。
「学院の卒業式の件だ。ヒルメスの非礼、父親である私が詫びよう」
「もったいないお言葉です」
いいながら、私は事態が飲みこめずにいた。
「あれはヒルメスの、宰相の息子の勇み足であった。アーヴィングとの婚約解消などありえぬ」
「しかし……」
「其方が婚約を解消して特待生の娘との入れ替わりを提案していたことは聞いている。だが、そのようなことはありえぬ。ヒルメスの心がどちらを向こうと、これは王家と公爵家の契約。宮廷雀や平民が何をさえずったところで、王たる私の決定は覆されぬ」
詫びるという言葉に反するように、陛下は片肘をついて頬を預けた。少し目が細められたのは、自分の意にそぐわない行動をする者たちへの不快感の現れだろうか。さすがの私も、だってゲームでは婚約破棄されていたので、とはいえず目を伏せた。
そんな仕草を見せたせいか、陛下からの追撃は意外な方角からきた。
「此度のこと、ヒルメスを想ってのことか?」
私の肩がビクリと震える。危ない、噴き出してしまうところだった。大きな声でいいえ、全くといいたかったけれど、私は沈黙を守る。でも、その方向性で誤解をしてもらったほうが処分が軽くなるのでは? と心の中で悪知恵が働きだした。僅かに悲痛な表情を作ってみると、陛下がやれやれといった風に小さくため息をついた。上手くいったか!?
「思えば、其方もヒルメスと同年。惚れた腫れたに心乱されることもある年齢ではあるが、甘えが許される立場ではないことをしかと弁えよ。王太子たるヒルメスの結婚が国事であるように、王家の血を持つ其方の結婚もまた国事。幼き頃からの定めを、なぜ今更に浮足立つことがある?」
「それは……。彼女が学院創始者の後継ぎの資格を得たことを公表したのが王宮だったからです」
乙女ゲームが、とはいえない。今生きているこの世界で起きた出来事から、自分が判断した根拠を告げた。
「ヒルメスと同じことをいうな。なるほど、目の付け所は悪くない。だが、王を頂点とする身分社会への理解が足らぬようだ」
戦火から遠ざかることには弊害もあるな、と陛下がいう。
「学院創始者に選ばれたとはいえ、それだけで平民の、孤児が学院長に就任することが容易いと思うのか」
「それは……」
私は虚を突かれた。ゲームではそういうルートがあったから、そのこと自体には疑問を持たなかったけれど。
「そもそも学院長は子爵程度の地位に相当する名誉職、親の爵位を継げぬ者たちが狙う垂涎の椅子の一つだ。いくら本人が優秀で、遺言の契約魔法があるといっても、そこに平民の孤児を座らせるには多少の後ろ盾がなければ貴族たちは引き下がるまいよ」
「確かに……」
呟く私に陛下が続ける。
「学院長の地位でさえも、だ。ましてやヒルメスに嫁ぐ者、王太子妃は王妃となり、次代の王を産む国母として貴族の上に立つ。血統による継承を礎とする貴族が、親の素性も知れぬ孤児に、そして孤児の腹から出てきた子供に額づくと思うか? 全く、身分社会、貴族制度の否定に外ならぬ」
「御意」
「慣習的に高位貴族から妃を迎えるのは、それが最も貴族社会を刺激せず国を荒らさぬため。それくらい、これまでに散々学んできていたと思っていたが」
「恐れながら、高位貴族でも彼女を殿下の婚約者にと支持している者も少なくありません。養女として迎え入れる準備をしていた家もあるとか」
乙女ゲーム情報ですが、というところは飲みこんで私は陛下に探りをいれた。
陛下は頬杖を止め、指先で額を抑えた。
「ほとんどの貴族は常であれば王家の外戚という地位には到底手が届かぬ。だが、ヒルメスの行いが、一部の貴族の中に今なら、孤児の娘を手に入れればといらぬ野心を育ててしまったのだろう。次代にしても、母親が孤児であれば後ろ盾が弱く御しやすいと考える者もいる」
王家の弱体化を喜ぶ者たちもいるのだ、と陛下がしかつめらしくいう。
「では、彼女が殿下に嫁ぐにはどうしたらよいのでしょうか」
「其方、なぜそこまでヒルメスのために……?」
陛下が憐れむように私を見る。いえいえ、私のためなんです。打開策を教えてください!
縋るようにずずいっと前かがみになった私に、陛下がやれやれといった風にいう。
「そうだな、例えば伝説の英雄のような何か、女であれば神の恩寵を示す奇跡を起こすくらいは必要であろう。貴族たちが血統の正当性を超えても支持せざるをえない圧倒的な成果が」
「神の恩寵を示す奇跡……」
竜が来て、それを衆目の中で撃退するような圧倒的な成果か。やっぱり竜の王都襲撃を経てルナが聖女と呼ばれるようにならないと、殿下とのハッピーエンドには至らない仕様みたいだ。それは逆にいえば、竜がくれば、王都の襲撃が起これば上手くいく、ということか。
まあ、私は婚約破棄をされてしまったからもう関係ないんだけど。でも、聖魔法を横取りしてしまった責任があるから、王都に居られる間に竜がくれば、殿下とルナをサポートはしないとな、と。目まぐるしく考える私に諭すように陛下が言う。
「貴族社会の壁は厚い。だが、それこそが王家を守る藩塀なのだ。ヒルメスの恋を守ってやりたいと其方が思うのであれば、子を生した後に妾にとってやればよい」
「私が子を生したあと? 私は殿下と結婚するのですか?」
驚いて、私は陛下を見た。
「今さら何をいう。婚約に変更はない。ヒルメスの妃は其方だ」
「しかし、私は衆目の中で婚約破棄をされましたし、此度の行いも大きな醜聞になりましょう。他に王家に相応しい令嬢がおいでかと」
ルナでなくても、とりあえず私以外の誰かならもう構わない。
陛下が小さく首を振った。
「ヒルメスには其方よりも余程大きな醜聞がある。別の高位貴族との結婚は、王家にとって余程の譲歩を強いられるであろう。平民の妾もよしとするほどに、其方はヒルメスへの情が殊の外厚い様子。これまでの条件に多少色をつけても、アーヴィングとの約定を継続するほうが互いに損が小さくすむであろう」
「そんなっ」
私の作戦、また滑ってしまった?
「件の婚約破棄はあくまで学院内でのこと、公式行事でもない子供のおふざけに過ぎぬ。其方が王都を抜け出したことも、知る者は数人のみ。いくらでも握り潰せる」
「ですが……」
「其方は卒業式の後で体調を崩し、結婚式まで城内で療養することになっている」
「家に、帰らせてください」
「ならぬ、また衝動的におかしなことをしでかされては困るでな」
想定外の事態に、私は演技ではなく涙ぐんでしまった。
「大丈夫だ、これからヒルメスが其方を軽んじることはない。元々、妃となるは其方以外にないと私に言っていたくらいでな。此度は宰相の息子の口車に乗ってしまったのだが、そちらはもう処分した」
子供を宥めるような口調で、陛下がいう。
「其方が王家に嫁して、王太子妃として子を二人産むまではヒルメスが妾をとることはない。そこは私が約束しよう。あの娘は学院の顧問になろうとも貴族ではない。城の行事に参加することは叶わぬのだから、其方と顔を合わせることもない」
呆然とする私に、王妃となるは其方だ、と陛下が力強く笑った。侍従に目くばせをすると、陛下の後ろに控えていた男が緋色のベルベッドが貼られたトレイを恭しくテーブルに置く。
「其方のものだ」
あの日、制服と一緒に秘密の通路に置いてきた緑石の指輪と髪飾りがキラリと光を放っていた。
「ここでなら衣装合わせなどの結婚式の準備もできるし、宮廷雀どものおかしな声が聞こえてくることもない。ヒルメスを見舞いに寄こす。晴れの日にやつれた顔を見せるようなことのないように、心安くしっかり養生せよ」
「陛下っ」
話は終わりとばかり立ちあがった陛下は、呼びかける私の声など気に掛ける素振りもなく部屋を出て行った。バタンと重たい扉が目の前で閉じられて、私はそのまま床に崩れた。




