第28話 再会
「アーヴィング様、落とされましたよ」
授業を終えて馬車に向かう廊下で、声をかけられた。振り向くと、男子学生がハンカチを手にしている。
「どうもありがとう」
王族スマイルで手を差し出した私の視線が奪われた。黒い龍の刺繍。間違えようもない、私がシグルドのために刺したハンカチだ。当然、私が今落としたものではない。なぜ、この人が持っているの?
動揺を悟られぬように笑顔を保つが、口元が強張っているのが自分でもわかる。受け取りながら男子学生の顔を見てみるが、覚えがない。アーヴィングの寄子やゲームの登場人物ではないようだ。
「そんなに警戒しないでください。ハンカチを開いてもらえますか?」
少し困ったような優し気な笑顔に、高位貴族の持つ威圧感はない。
いわれるままに手にしたハンカチをめくると、シグルドに贈った組紐があった。
「私の友人に預かったものです。急遽旅に出ることになって、剣の弟子を心配しています」
私は目を見開いて彼を見た。
「水車の様子を見に来てもらえないか、と。伝言を預かりました」
私は答えを躊躇した。会いたい。でも、会えばまた迷惑をかけるのではないだろうか。それに、悪役令嬢ぶりを見られて、とてもじゃないが合わせる顔がない。きっと、嫌われているだろう。会いたい、けど、怖い。逡巡する私に、男子学生は哀しそうに微笑んだ。
「では、私はこれで」
「違うの」
立ち去ろうとする彼を引き留める。
「今週末の、お昼前に」
「伝えます」
互いに短く応答して。歩き出そうとした彼が、足を止めて表情をゆるめた。
「正直、アイツの一人芝居じゃないかって思ってました。王子の色恋沙汰に巻き込まれるなって、いってやったんですけど聞かなくて。このまま尻尾切りされるのかと悔しかったけど、違いました。アイツのいう通り、アーヴィング様は優しい人のようだ」
制服の袖をチラリとまくると、三本のミサンガが巻かれている。
「アイツからの餞別なんです」
ここにはいない人を見るような遠い眼差しでいうと、袖を戻して何事もなかったかのように歩き去っていく。私も足早に馬車へ向かった。
馬車に乗り込むと、程なくガラガラと車輪がまわる音がする。
シグルドに会える。謝らなければ。でも、旅にでるってどういうこと? 王都や学院に嫌気がさしてしまったのだろうか。将来冒険者になる彼は、元々王都や貴族社会にあまり興味がない様子だった。あんな辱めを受けては、見切りをつけることは十分にありうる。会えるのはこれが最後になるかもしれない、そんな覚悟を私はきめた。
その日、私は久しぶりに登城した。もちろん、殿下に会うためではない。王都の孤児院についての資料を確認するため、だ。書庫よりも更にひと気がない資料室は、過去の行政の記録が保管されている。溜まった書類を厄介払いにくる人はいても、閲覧する人は滅多にいない。そんな場所に、秘密の通路がある。
確かに、王族が城で命の危機にあうような場合。舞台となるのは玉座の間や謁見室、私室などだろうし。暴漢や泥棒が行きたがるのは宝物庫や備蓄庫といった、金銭的な価値を持つものがある場所。脱出路を資料室に設けるのは適当な判断といえる。
城の中でも王族や高位貴族はあまり寄り付かない、下級文官が多く執務する区画に位置するから。週末で勤めの文官たちも見当たらず、すんなりと資料室にたどり着いた。
アンナを連れて資料室に入る。あまり掃除の行き届いていないそこは、少し埃っぽい空気をしていた。
「アンナ、私はこれから機密資料を確認してきます。その部屋にアンナを連れて行くことはできないの。少し時間がかかるのだけど、ここで待っていてもらえるかしら」
「お嬢様をお一人にするわけには……」
戸惑う素振りを見せるアンナに、私は安心させるように微笑んだ。
「この資料室から出るわけじゃないわ。ただ、王家に関わる資料が保管されている部屋だからアンナを入室させられないの」
「王家に関わる資料、ですか」
「ええ、扉の開き方も知られるわけにはいかないの。わかってくれるわね」
じっと目を見つめると、アンナが頷いた。
「では、お戻りになるまでこちらで控えております」
アンナが私に背を向け、扉に向かって立つ。気が利く侍女だ。
「ありがとう、座ってゆっくりしていてちょうだい」
私は資料室の奥まった部屋に入り、鍵をかける。閲覧用の机と椅子。壁に沿うように書棚が並ぶ部屋はゲームで見たままだ。そしてゲームの通りに、特定の本を三冊引き抜いてから壁際の書棚の一つを押す。見た目よりも軽く横にずれて、通路の入り口が現れた。
何の魔法なのか、歩くのに不自由しない程度に明るい通路に迷うことなく足を踏み入れる。このために、長いスカートの下に今日はブーツを履いてきた。カツカツと、息を弾ませて石造りの通路を進んでいく。自分の歩みの遅さがもどかしい。この先に、シグルドが待っている。
結構な距離を歩いて汗ばんだ頃、通路が突き当たる。続く階段を上り、天井の取っ手を押し引いた。差し込む外光の眩しさに一瞬目がくらむ。階段を上り切ると、やはりゲームで見た通りの水車小屋の中だった。床を閉じて、辺りを見回す。水車小屋の扉を開けると、赤い髪の男性がしきりに辺りを探るように視線を巡らせながら立っていた。
「シグルド!」
思わず呼び掛けると、振り向いた彼は、裏庭でいつも見ていた笑顔だった。よかった。
「ごめんなさい、あの時、私、ごめんなさい」
彼に駆け寄りながら、口から出たのはそれだけだった。
「ひどいことをいってしまった。本当にあんな風に思ってはいないの。ネルソンやバートンさんをどうにかしようとしたのだけど上手くできなくて」
「俺のほうこそ、バートンを上手くいなせなくてあんな結果を招いてしまった。俺がちゃんとバートンを遠ざけられたらよかったんだ。本当にごめん」
真剣に謝罪をしあって、お互いの必死な表情を確認して。
「もう会えないと思っていたの。噂通りの冷たい令嬢だって思われて嫌われてしまっただろうと思っていた」
「俺こそ、あなたはきっと来てくれないだろうと思ってた。友達にも、一応声はかけてやるけど、それで諦めろっていわれてたんだ」
言葉以上に、お互いの瞳の奥に真摯な気持ちを確かめあえて、それから私たちは笑顔を取り戻した。
「頼りになるお友達ね」
「バカだって、何回もいわれた。現実を見ろとも、諦めろとも。呆れてたよ。でも、これで諦めがつくんならって助けてくれた。これ以上のことはしてやれないっていわれたけど。子爵家の次男が公爵令嬢に声をかけるだけでも危ない橋なのに、なんだかんだいい奴なんだ」
照れ臭そうにいう彼に一つ頷いて。それから、私は改めてシグルドをじっくりと見た。使い込まれた革の手袋や胸当て。マントやブーツといった初めて見るいでたちだ。
「私、学院の制服姿しか知らなかった。これが冒険者としてのシグルドなのね」
「まあ、標準的な冒険者の装備だな。騎士みたいに家紋が入ったかっこいい鎧や防具はないけど、王都で活動するにはこのほうが目立たなくていい」
「すごくかっこいいわ」
するりと飛び出した私の感想に、シグルドが面食らった様子で首の後ろをひと撫でる。
「なんの変哲もない冒険者に、そんなことをいってくれるのは本当にあなただけだよ」
「お世辞じゃないのよ?」
「すみません、そのへんで」
小さく両手をあげて降参してみせるシグルドに、私は声をたてて笑った。たぶんん、最後にあの裏庭で笑った日以来だろうと自分でも思った。シグルドの優しい笑顔に、これまで胸の中で渦巻いていた不安はすっかりと溶けて消え去ってしまった。だから、私はようやく一つの質問を切り出せる。
「ねえ、旅に出るって、学院を辞めるということ?」




