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【カクヨムコン10大賞】恋とはどんなものかしら ~当て馬令嬢の場合~  作者: 鈴音さや


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第26話 欺瞞



「王太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しく」

私は剣を鞘に納めると、小さく膝を屈めて貴族の礼を取る。片手に剣と手袋を持っているのであまり恰好がつかないけれど、この際は仕方ない。

「学院の中だ、楽にしてくれていい」

「恐縮です」

私に合わせるようにシグルドも礼を解いた。


「こちらのバートン嬢に興味深いものが見られると聞いて足を運んだのだけれどね。驚いたよ、我が婚約者殿はいつのまにそのように勇ましくなったのかな」

突然現れた殿下はにこやかな笑顔を浮かべているけれど、目は笑っていない。私は内心の動揺を隠して、負けじと王族スマイルで顔を武装する。


「お恥ずかしいところを見られてしまいましたわ。人知れず剣術を身に付けたく、そちらのバートンさんにも内密にとお願いしていたのですが」

チラリとバートンさんに視線を投げるけれど、彼女は気にした風もない。むしろ受けて立つとでもいうように微笑み返してきた。

「申し訳ありません。ですが、アーヴィング様は将来王族になられる方です。手習い程度とはいっても下位貴族の冒険者風情に師事して、万が一お怪我でもされたら大変なことです」

その下位貴族の冒険者風情とやらにしつこく付きまとっていた本人がいうな! 引きつりそうになる笑顔をなんとか保つ。


「殿下、こちらのクロイツさんは赤い牙団で活躍されている男爵子息で、優秀な現役冒険者でもあります。いつも熱心に鍛錬されていて、指南の依頼も当初は断られてしまったのです。私のほうが何度も無理をいってお願い致しました」

赤い牙団が何なのかは未だにシグルドから聞いていないけど、バートンさんが何度も口にしていたのだからきっと有名な騎士団とか傭兵団とかそんなものだろう。ふうんといった様子で殿下がシグルドに目をやる。


「其方、“クロイツの赤い牙団”か。確かに赤い髪をしているな」

殿下の品定めをするような視線を受け、シグルドは無言のまま胸に手を当てて恭順を示した。殿下は興味を失ったように、私へと視線を戻す。

「それにしても、君は慈善活動が忙しかったのではなかったかな。いずれ王妃となる身で剣の鍛錬など必要がない。そのような時間があるのならば、これからは執行部の活動に参加できるね」

「いいえ、私の立場だからこそ剣の鍛錬が必要なのです」

私は王族スマイルを深めた。

「男性や臣下には立ち入れぬ場所もございます。いつ何時、どのような状況でも王の御身をお守りする最後の盾は王妃であると心得ております」

私は女性の膝折礼ではなく、胸に手を当て、殊更に恭しく臣下の礼を取った。


「ヴィクトリア……」

感極まったような声の殿下が私に歩み寄って、その手で両肘を包んだ。

「さあ、頭を上げておくれ。僕たちは伴侶になるのだから、そのような礼は必要ないよ」

促されて顔を上げると、殿下は満更でもないといった様子。執行部員たちの中で気配を殺している城からの護衛騎士をちらりと盗み見ると、満足げに何度も小さく頷いていた。


殿下の護衛騎士達は、基本的には専属の小隊が代わる代わる当番を勤めている。私は婚約者となって城に上がるようになってから、サロンや庭園で殿下を待つ間に従者や女官、騎士達から“王の妻たる心得”を言い聞かされてきた。その中の一つ、護衛騎士達の十八番がこれ。


古の王国で、城攻めの際に王妃は逃げることなく剣を手に護衛騎士たちと共に最後まで王の守りについたという。

“王妃とは、王の一番身近な、そして最後の護衛騎士でもあるのですよ”。

幼かった私は大変感銘を受け、剣を習いたいといったが、そういう心構えがあればいいのですと訓練を許されることはなかったけれど。


「僕は君を盾にしてまで生き延びるつもりはないよ」

「いいえ、王は国家です。王が生きてこそ、国が在るのですから」

「素晴らしい覚悟です! 志を捨てていなかったのですね」

我慢しきれなかったのか、護衛騎士が口を挟んできた。


「心構えだけではやはり心もとなくて。学院生のうちに少しでも、と」

幼い頃から馴染みの、最近は少し白髪の目立ってきた騎士に慎ましやかに微笑んでみせる。

「たしなみ程度ですから、お恥ずかしいですわ」

「さすが王太子殿下、かけがえのない婚約者をお持ちです」

護衛騎士はうんうんと頷き、殿下への賛美に帰結していった。この場合は、“家臣にそんな努力をさせてしまう求心力のある殿下”が素晴らしいのですよね、わかっています。『城勤め』と『騎士』という性質を掛け合わさると、筋肉質な忠誠心の脳みそになってしまうのだろう。


「そこまで僕と、国のことを考えてくれていたのだね」

いいえ、体力づくりと逃亡準備ですよ。私はただにっこりと唇に弧を描いた。

「君の気持ちは理解したよ。だけど、そういうことなら尚さら、城できちんとした剣術の教師についたほうがいい」

「ですが……」

私は困ったように護衛騎士を見た。


「恐れながら、アーヴィング嬢本人からは何度かそのような申し出は受けておりましたが。妃殿下や公爵家、近衛などからはいずれも却下されておりまして」

「そういうことか……」

殿下があごに手をあてて、思案するしぐさを見せる。

「だが、いつまでもこのように隠れて習うというのも」

「殿下のおっしゃる通りです。曲がりなりにも殿下の婚約者、手習い程度とはいえ冒険者ごときに師事しているなど、表沙汰になれば王家の体面に差し支えましょう」

ここで太鼓の達人、ネルソン宰相子息が参戦してきた。殿下・王家・殿下・王家と、相変わらず今日もいい音を立てている。


「さて、どうしたものか」

「殿下、こちらのアレックスに任せてはいかがでしょう? 騎士団長の子息で腕は確かですし、執行部の活動の一環ということにすればどちらも丸く収まりましょう」

「それはいい、さすがルークだ」

「恐縮です」

「俺かよ」

騎士団長子息が流れ弾に被弾したようだ。お気の毒様。だけど、私だって勘弁してほしい!


「お気遣いありがとうございます。しかしながら、そちらのご提案は辞退させていただきます」

「なぜだい?」

「タイラー騎士団長子息では不足があると?」

「とんでもございません。タイラー様は来るべき殿下の御代を支え、いずれ騎士団の屋台骨ともなられましょう。だからこそ、王妃殿下や我が父から不興を買うおそれのあることに巻き込むわけにはございません」

「なるほど、そこまで考えた上での冒険者起用だったのですか」

ネルソンがくいっと眼鏡を押し上げた。


「ですが、いくら殿下への忠誠や志があってのこととはいえ、それをいちいち学院中に云って周ることもできません。このような裏庭で王家とは縁もゆかりもないような冒険者風情と二人で稽古をしていれば、いらぬ誤解を招いても仕方のないことでしょう」

「まあ、おかしな誤解とは聞き捨てなりませんわ」

私は表情を改めた。そもそも、お前がいうな! 


「これは失礼。ですが、どこにでも下種な輩はいるものです。王太子殿下の婚約者として、アーヴィング嬢には今少し自重が必要なのではありませんか?」

まず! 目の前の王太子殿下と執行部の皆さんが自重してからいってよね!


「私とて、剣術を習うなど淑女として褒められたことではないことは理解しております。そのことで皆様に誤解やご迷惑をお掛けするというのであれば、とても残念ですがこちらでの剣術の訓練は今日で最後にしようと思います」

後ろで、シグルドが小さく息を呑む音が聞こえた。


「ヴィクトリア、わかってくれたのだね」

「まあ、アーヴィング嬢がそういうのであれば」

満足げな殿下と、やれやれといいたそうなネルソンに苛立つ気持ちをギュッと押し込め、厳重に王族スマイルで顔を鎧ってから私は振り返る。


「クロイツさんにも、ご迷惑を掛けてしまってごめんなさい」

「迷惑だなんて、全然……。こちらこそ、ご用命いただけて大変光栄でした」

「短い間だったけれど、これまで本当にどうもありがとう。とても勉強になりました。今後の益々の活躍を期待しています」

でも、くれぐれも怪我の内容にね、と。シグルドに剣と手袋を差し出した。とても哀しそうな瞳ではあるけれど、それらを受け取ってシグルドは胸に手を当てて私に一礼を返した。久しぶりで、きっと最後になるなと思いながら。燃えるような赤い髪の中のつむじを私は見ていた。


「クロイツ、わかっているとは思うが今回のことは殿下に、そして王家の体面に大きく関わる。アーヴィング嬢とのことは今日の殿下のご訪問や会話なども含めて、今後一切の他言を禁じる」

私たちの最後の挨拶を待ち切れぬとばかり、ネルソンが割って入るように一歩足を踏み出した。

「心得ました」

顔からも声からもすっかりと表情を消して答えるシグルドを見て、ああ、この人もやはり貴族なのだと私は今さらに思った。私にはいつも優しい表情しか見せていなかったんだと、改めて実感する。


「わざわざ王家が手を下すまでもなく、辺境の男爵家など、私の一存でもどうとでもできるんだ。今後は己の分をわきまえた行動をとるように」

家族が大切ならどうしたらいいのかわかるだろう、としつこく追い打ちをかけるネルソン。私は先程まで被っていたしおらしさを、つい剝ぎ取ってしまった。


「失礼な物言いはお止め下さい。確かにネルソン様は宰相子息で、クロイツさんは男爵子息です。お互いのご実家に家格の差はありますが、ここは王城でも社交界でもない。お互いに、一学生として学ぶ学院ではありませんか。それに、クロイツさんは学院の外では既に冒険者として実戦をこなし、その実力で生計を立てている身。親の庇護を受け、養われているひな鳥である私たちは敬意を払うべきですわ」

「これは、これは。バートン嬢の見立ても、あながち間違いではないようですね」

「どういう意味ですの?」

鼻で笑うような風情のネルソンに、私は不快感を隠せなかった。


「お二人の鍛錬ぶりを何度か見ていたバートン嬢がいうには、そこの冒険者風情は身の程知らずにも王太子殿下の婚約者にのぼせ上がっているようだった、と」

ハッとして、私は思わずシグルドを見た。ネルソンも、殿下も。そこにいる全員の視線を受けたシグルドは私だけの瞳をまっすぐに見返して、否定も弁明もすることなくただ顔を伏せた。


「ほら、本当だったでしょうネルソン様。見てください、言い訳もできないんです」

バートンさんのはしゃぐような声が不快に響いた。

「それだけじゃない、アーヴィング嬢。あなたも、満更でもない様子だったと聞いていますが」

ネルソンの含むような厭らしい物言いが、逆に私の頭を冷やしてくれた。


背が高いのに、すっかり俯いてしまったせいで顔が見えないけれど。私の心に焼き付いた優しい声、優しい瞳。いつでも私の話を聞いて応えてくれた。危ないことをすると心配をして、次は一人にはしないと約束してくれた。いつも、なんどでも。私の願いを叶えたいと、望みを教えて欲しいと繰り返しいってくれた。私の名前を決して呼ばないほどに王家や貴族社会の恐ろしさを警戒していたのに、婚約を解消したいという私の逃亡計画を手伝ってくれていた。彼のあたたかさ、優しさ、強さ、覚悟、それから想い。


その全てを、バカな私は“初めてで、仲良しのお友達”だなんていって喜んでいた。そして、その愚かさをも受け止めてくれていた、なんて優しい人。

――私も、彼が好きだ。

唐突に理解して、不思議な程に心が凪いでいく。こんな状況で、そんな場合じゃないでしょうと、笑ってしまいそうになる自分がいる。


強制的に、衆目の中で暴かれてしまった彼の心。どれだけ傷つけてしまっただろうかとその痛みを思いながら、否定も弁明もしないシグルドに胸が躍ってしまう自分はなんて度し難いのだろう。


今この時まで、恋というのはキラキラと輝く美しさだけの結晶のようなものだと思ってきたけれど。私の恋はどうやら、美しく、とても醜い。マーブル状に渦巻いて切り離すことができず、ドロリと粘度を持って胸に蹲っているようだ。彼の優しさだけじゃなく、痛みや苦しみも手に入ったことがこんなにも嬉しい。


さあ、ここからは私がシグルドを守る時。あなたが守ろうとしていた大切な家には、決して手出しはさせない。胸の奥から湧き上がる喜びが、自然に笑顔を作り上げる。


「ネルソン様、おもしろいことをおっしゃいますわね」

今こそゲーム本来のヴィクトリアのように。冷たく、居丈高な悪役令嬢になりきる。

「いやですわ、私が男爵子息、それも、家督も継がない三男などと噂されるなんて不愉快です。私はアーヴィング公爵家一女。いずれ王族に連なる王太子の婚約者です。王太子妃、ひいては王妃になりますのよ。いくら宰相家などと持てはやされていても、所詮王家の血を持たぬ侯爵子息でしかないあなたに侮辱される謂れはありませんわ。父を通して、アーヴィング公爵家から正式にネルソン侯爵家へ抗議をいたします」

胸を張り、ツンと顎を上げてネルソンを睨め付ける。



「これは、あくまでバートン嬢がそのように見えたというだけの話です。学院内のささやかな噂を少し話しただけのことで、実家への抗議というのは……」

ネルソンは目に見えて逃げ腰になった。

「ネルソン家は我がアーヴィング家とは異なる派閥を持たれているのですもの。そこのバートンさんのご実家はネルソン様の寄子でしたわね。学院の中とはいえ、寄り親寄子で私の醜聞を仕立て上げるというのなら、アーヴィングとして

受けて立つまでですわ」


「ヴィクトリア、大げさだよ。学院内の雀のさえずりがネルソンの耳に入ったというだけのこと。決して悪気があったわけじゃない」

そうだろう、と。今まで静観していた殿下がプリンススマイルでとりなしに入った。

「ええ、殿下のおっしゃる通りです。僕も少し言葉が過ぎたかもしれません」

ネルソンが眼鏡をくいっと押し上げる。


「ネルソン様。先程、辺境の男爵家くらいどうにでもなるとおっしゃっていましたけれど。でしたら、自家の寄子の娘の一人や二人、嫡男としていかようにもなりますわね」

「そ、そんなっ」

小さく叫んだバートンさんを、ネルソンがちらりと見やる。

「それでアーヴィング嬢が納得していただけるのであれば」

「学院でさえずることがなくなれば結構ですわ」

「では手打ちということで」

ネルソンとお互いに目で頷く。


「そんな、ネルソン様! 酷いです。全部話せば卒業後も取り立ててくれるっていったじゃないですか」

ネルソンはバートンさんと目を合わせることもなく、その場の誰かが取り成すこともなかった。

「バートンさん、あなたには王都の空気は合わなかったようね。実家でゆっくりと過ごしたらいいわ」

「アーヴィング様、申し訳ありません。私、本当にそんなつもりじゃ」

言い募るバートンさんに微笑んで、それから唇の前で人差し指を立てると彼女はようやく口を閉じた。


「クロイツさん」

「はい」

「これまで本当にどうもありがとう。報酬は後日届けさせます」

「承知しました」

シグルドがとても哀しそうな瞳で私を見ている。


庇うためとはいえ酷いことをたくさんいってしまった。高位貴族としての権力を振りかざした傲慢な振舞いも見られてしまった。なんて恥ずかしい。こんな女だったのかとがっかりしただろう。嫌われてしまったに違いない。それでも。あなたの実家に迷惑をかけず、噂が広まることは防げたはずだ。傷つけたこと、恥をかかせたことを許してほしいとはいえないけれど。幸せになって欲しいと祈ることだけは、どうか許しいて欲しい。


「それでは殿下、御前失礼いたします」

小さく膝を屈めて、殿下の返事も待たずに私は一人逃げるようにその場を後にした。

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ヴィクトリア、かぁっこいーっ!! 浅はかバートン、ざまあ! ネルソンは何をしたいんだ。断罪劇場の材料にしたかったのか?
バートン嬢、そりゃそこまで権力のある人にたいしてあからさまに踏み台ムーブをかませば反撃されるに決まってるのにね。王都貴族にお山の大将の田舎貴族が嫌がられる描写が多いけど、なんかその背景が分かった気がす…
雉も鳴かずば撃たれまいに…
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