第21話 金色の丸いもの
王族にそういわれてしまえば逃げられない。
「では、少しだけ」
私は殿下に促されるままに閲覧席に腰をおろした。向かいに座った殿下の胸元に目線を固定する。
殿下の背後に立っていた護衛騎士が、少し離れた位置に下がって体の向きを変えた。丁度私たちに直角になるように立つ。目の端で殿下を捉えてはいるけれど、心情的には二人きりなれるようにという配慮なのだろう。護衛騎士としては最大限の譲歩だ。元々ひと気のない一角だったので、他には誰もいない。私は漏れそうになるため息を我慢する。
「ヴィクトリア、まず謝らせてほしい」
何に? と思ったけれど、口には出さない。殿下はずるい。私は貴族だ。王族の『頼む』は命令だし、謝罪を口にされたら許さなければいけない。わかっている。でも、私はわかりましたとか、気にしていませんとかいいたくない。だから。私は唇に弧を描くだけにした。そんな私に殿下が苦笑する。
「父上にいわれてしまったよ、僕は君に避けられているって」
何も応えない私に、いつかのお茶会の時のように殿下がつむじに話しかけてくる。
「僕の振る舞いで、君が学院で肩身の狭い思いをしていると。そんなつもりじゃなかったのだけれど、本当にすまないと思っている」
数か月前、前世の記憶を取り戻す前にこの言葉を聞けたなら。きっと私は涙ぐんで謝罪を受け入れたのだろう。
でも、もうあの頃の私ではないから。胸に湧き上がるのは乾坤一擲の予感。謝意があるのなら、婚約破棄ではなく解消を、そしてもしかすると慰謝料だってもぎ取れるかもしれない! 私は顔を上げてにっこりと微笑む。自分でいうのはなんだけど、ここ最近で一番の笑顔に違いない。
「もったいないお言葉でございます」
「ヴィクトリア、許してくれるのだね」
「許すも許さないも、人の心が移ろうことに何の罪がありましょう。先日お伝えしましたように、新しき春の風はやがてくる殿下の御代をあたたかく包みこむと存じます。恐れ多くも、殿下の幼馴染として。そしてアーヴィングの一員として変わらぬ忠誠でお仕えする所存」
「ああ、ヴィクトリア。君にそんなことを言わせるなんて、僕はなんて罪深いことを」
殿下が眉を下げる。そういうの、いいから、誠意は形で表現して欲しい。
「いいえ、殿下はこうして私に御心を砕いてくださいました。さすが次代の王となられるお方。その慈悲深さ、いたみいります。もしも、私を哀れと思し召しならば、お気持ちをほんの少し形にしていただければ……」
私は慎ましやかに目を伏せた。殿下に向かって念力を送る。ほら、金色の丸いアレですよ、アレ。
「もちろんだ。さあ、手を出して」
殿下がキラリと歯が光りそうな勢いでニコリと微笑んだ。え? 今、ここで? 王子なのに金貨持って歩いているんですか? 私は現金なんて持たせて貰えたことないですけど。王家って案外気取らない生活しているんだなあ、と今になって感心してしまった。
確かに誠意を形にとはいったけれど、くれると云われてチョーダイと手を出すのもはしたないというか、生々しい? 一応公爵令嬢だし、後日家に届けてくれるほうがいいんだけど。でも、ここで貰ってしまえば家にはバレないかも? 最適解を求めてためらう私の横に、いつの間にか移動してきた殿下が跪いた。
想定外の動きに呆気にとられていると、あれよあれよと私の手をすくい上げ、左手の薬指に大きな緑石のついた指輪がはめられていた。ああ、確かに金色の丸い……。
「殿下?!」
我に返って、取られた手を引き抜く。指輪も抜こうとする私の両手を、殿下が上から優しく包み込んだ。
「いいんだよ。これは君のものだ、ヴィクトリア」
なんですか、そのいい笑顔。
「しかしこれは、一体? 」
「学院を卒業したら、僕たちの結婚式の告示の時に君に贈るために準備されていたものだよ。少し早いけれど、これで君が学院で気兼ねなく過ごせるようになるならばいいと母上が手配してくださったんだ」
「そんな、これでは……」
私たちが結婚するみたいじゃないですか、という言葉が続けられなかった。その代わりに。
「特待生の方は、殿下のお気持ちは……」
殿下を引き上げて、私も椅子から立ちあがる。殿下は少し寂し気な顔をした。
「父上には、ルナは妾にすればいいといわれたんだ。王領に孤児院を建ててやろうって」
陛下! 王族ってみんなナチュランボーン傲慢だなあ……。私は思わず遠い目になってしまう。
「でも僕はそんなことはできない。ルナには、人に後ろ指をさされることなく、幸せになって欲しいんだ」
私の薬指に指輪をはめた人の口から出てくる言葉がこれなのか。私は少し眩暈を感じた。
「確かに僕はルナに恋をしていて、その間、君には辛い思いをさせてしまった。本当にすまないと思っている。でも、これからは父上と母上のようによい夫婦になってもらいたい」
一点の曇りもない、ハニカミプリンススマイル。ルナには誠実な王子様。ルナを幸せにするために諦めて、私と結婚するのですか? その計画の中で私への誠意は、私の幸せは、どこ? 怒りなのか、悲しみなのか、失望なのか。胃の更に奥のほうで沸々とする黒い気持ちを押さえつけるように唇を噛みしめた。
「また、髪飾りをつけてくれるようになって嬉しいよ」
照れたように微笑む殿下。今の私の顔を見て、出てくる言葉がそれなのですか? お誕生日パーティーで王族に貰ったものと学校中が理解しているから。まだ婚約者の私がつけていないほうがマナーとしてまずいからつけているだけなんです。いろいろな想いがぐるぐると私の中を渦巻いて。ようやく声になった言葉は。
「どうして急に、こんな……」
「城での茶会で、ヴィクトリアはルナを僕の新しい婚約者にしてもアーヴィングの忠誠は変わらないといってくれただろう? 幼い頃からずっと僕の贈った髪飾りをつけて頑張ってくれていた君が、どんな覚悟でそれをいったのかをよく考えるべきだって、侍従たちにもいわれたんだ」
私は恐る恐る護衛騎士に視線を流した。横を向いていたはずの彼は、薄っすらと涙を浮かべてこちらを見守っている。少し細めた目で、うんうんと私に頷いてみせた。同情ポイントがこんな形で作用するなんて……。策士策に溺れるとはこのことか。
「僕はようやくわかったんだ。君がどれだけ僕を想ってくれているかってことに」
眩しい王子さまスマイルに目がくらんでいる間に、殿下さまがさっと私の手をすくいとって唇をよせた。
「これから幸せになろうね、僕たち」
ちがう、そうじゃない!




