第20話 “真実の愛”を支援します
「アーヴィングさま」
授業を終えて馬車に向かう私を、控えめに呼ぶ声がした。
「ごきげんよう、皆さま」
私の当て馬仲間、攻略対象の婚約者令嬢たちだった。
「あの、これからお茶をご一緒しませんか? 少しお話したいこともありますし」
なんだか、また面倒な予感。私は早く家に帰って内職をすすめなければいけないのに。
「申し訳ないのだけれど、もう迎えが来てしまうのよ」
『では、また今度』を狙っているのに、困ったように顔を見合わせるものの、ひいてはくれずに一人が口を開いた。
「あの、私たちも慈善活動にご一緒させていただきたいのです」
「また急なお申し出ですわね」
私の声が少し低くなったことに気づいたようだ。婚約者令嬢の一人が少し眉を下げていう。
「私たちはこれまで何度か執行部の活動に立候補してきたのですけれど、残念ながら参加は認められておりませんでした。でも、今回。アーヴィングさまとご一緒ならよいと、その……」
段々と声が小さくなって言い淀む。将来の夫の上司になる方のお名前は出したくない感じですか。
「そうですか。あいにく、私のほうも城に上がる前に王族に連なる者に相応しい成果を自力でだすよう、父から言いつけられておりますの。なので、ご一緒するわけにはいきません」
このことは王妃さまもご存じですのよ、と少し意味深な雰囲気を出してみる。
「そ、そうですか。王妃殿下と公爵閣下が。それでは仕方ありませんわね」
お急ぎのところ、お呼び止めしてすみませんでした、と。少し早口にいって、蜘蛛の子を散らすように当て馬仲間が姿を消した。ちらりちらりとこちらの様子を伺ってくる周囲の人間に、にこりと笑って。私は足早にその場を立ち去り、自家の馬車に乗り込んだ。ほっと一息つくと、石畳の上をガラガラと回る車輪の音が聞こえてくる。
お誕生日パーティーあたりから殿下さまの様子がおかしい。結局、あの日は婚約破棄劇場が早まることもなく。壇上で今か今かと警戒をしながら、学院生や職員に挨拶をしている間にパーティーは終わった。
ルナたんと出会ってからは距離を取られるばかりだった殿下さまは、まるで学院入学前の、お城で侍従や女官たちから微笑ましく見守られていた頃のように優しく私をエスコートしてくれた。パーティー当日は公の場でもあるし、パーティーの陰の主催者たる王妃さまの目論見として、私たちが仲良さそうに振舞うのは立場として理解できるのだけれど。何故かその後も、執行部で昼食をとか、執行部でお茶を、とか。なにかと誘いをかけてこようとしているらしいのだ。
私は以前執行部に誘われて以来、学院内での二度目の遭遇がないように徹底的に逃げ回っている。護衛やご学友を連れて移動する殿下さまはどうしても機動力に劣る。午前の授業が終われば誰より先に教室を出てサロンへ行き、食事をしたら即裏庭。そして授業が終われば誰より先に馬車に乗り込んで帰路につく。まさに逃げるが勝ち、なのだけれど。あとから現れた殿下さまが教室に来て私を呼び出そうとするので、クラスメイトに「殿下がお探しでしたよ」といわれてしまうのが辛い。
『ゲームで起こる未来』を知らない実家のためにも、『振られたかわいそうな元婚約者』という形での穏便な婚約解消を狙う私としては、記憶を思い出す前に学院に浸透した『誘うヴィクトリア、断る王子』という図式のままでいたい。逆になっては都合が悪いのだ。
本来なかった誕生日パーティーが行われることになって、婚約破棄イベントが早まるんじゃないかと備えていたのに。状況がおかしな方向に進んでいる気がする。『物語の強制力』、仕事して!
ゲームでは今頃、殿下さまとルナたんは市場の屋台にお出かけデートなどをしていたはず。それを馬車で移動中のヴィクトリアが見かけてしまって、さらにもう一段、ルナたんへの当たりがきつくなるきっかけになっていた。
なのに、学院雀の皆さんによると。どうも殿下さまとルナたんの距離が空いてきている様子。教授の総回診でいうと、これまでは殿下教授の斜め後ろにピタリとくっつく助教授ポジションにいたルナたんが、今は三列目の講師ポジションまで下がっているそうだ。現在の助教授ポジションは太鼓の達人、宰相子息。ルナたんと出会う前の定位置に戻ったといえる。
いや、私もね。ぼっちではあるのだけれど、一応公爵令嬢で王太子殿下の婚約者なのでね。親切にご注進してくれる寄子令嬢とか、同情という名の当て擦りをしてくる他派閥令嬢がいる。以前はうんざりしていたけれど、今は情報源としてとても助かっている。
殿下さまのこの変化、前にいっていたお母上さまとのお話合いの効き目が出てきたということだろうか。ママの説教より真実の愛を貫いてこそ乙女ゲームの王子さまでしょうに。マザコン気質はルナたんと結婚するまでちゃんと隠しておいてください。でも……。
「やっぱり、原因は私なのかなあ」
心当たりは一つ、私が『当て馬令嬢をしていない』こと。ルナたんを責めたり、殿下さまに縋ったりするヴィクトリアというスパイスが二人の恋には足りていないから、今ひとつ盛り上がりに欠けているのかもしれない。通常、「親の反対」は『困難』という盛り上がり要素になるはずだけど、殿下さまにおかれましては、ありがたいお母上さまのお言葉なので分類が変わるのかもしれない。
どうにか殿下さまとルナたんを盛り上げなければいけない。でも、私は当て馬令嬢はやらない。断罪、ダメ絶対。リスク管理は大事。じっくり考えて、乙女ゲームイベントをこっそり支援してみようと思う。
この時期、執行部はもう一つの学院の七不思議に遭遇する。それは秘密の部屋。ある日、ルナたんが開けた扉が秘密の部屋に通じてしまい、攻略対象と閉じ込められるものの、二人力を合わせて脱出する。その部屋の正体は、学院の創始者である偉大な魔法使いが自分の後継者に相応しいものを見出すための仕掛けだった、というお話。
二人の絆が深まるだけでなく、ルナたんはこのイベントで隠されていた創始者の莫大な遺産を手に入れてしまう。心優しいルナたんは国中の孤児院や教会に寄付してしまう。これにより大衆からの大きな支持を受ける。攻略対象とハッピーエンドにならない場合は、攻略対象たちに見守られながら学院の院長になってしまう。創始者遺産で奨学金を始め、その門を庶民にまで大きく開いて後進の育成につくす。
この秘密の部屋イベントを拝借すれば簡単にひと財産が手に入る。逃亡資金の欲しい私は是非代わってあげたかったけれど、条件的にルナたんでなければ入れなさそうだから諦めた。こつこつと内職で小銭を貯めていくよ。
この計画、支援とはいっても部屋に一緒に入ることはできないだろう。ここは竜の襲撃時の攻略対象へのサポートの練習がてら、殿下さまとルナたんが部屋に入る前に祝福を贈って二人の運気を爆上げしておこうと思う。ゲームでは魔法を取得する前のイベントだから、そのままでもクリアできるとは思うけど。念には念を入れて支援していこうと思う。部屋を出た途端に「あなたとはもうやっていられません!」なんて成田離婚みたいなことになったら困るのだ。
お昼休みの剣のお稽古は外せないので、放課後に狙いを定める。授業後に教室を一番に出た私は、帰ると見せかけて図書館に身を潜めた。三階のひと気のない一角。とある窓からは執行部の部屋へと続く開放廊下が見える。
ゲームでは、遠ざけられたヴィクトリアがひっそりと、殿下さまのお顔を切なく見つめるスポットとして登場した。確かに、位置的に首を捻って見上げなければまず下を歩く人達から気づかれることはない。ゲーム知識、なかなか役に立つものだ。
高低差もあるから、開放廊下に姿が見えたところで狙いをつけて祝福を贈り、さっと身を隠す作戦。上からキラキラが音もなく降り注いでも、昼間の光の中ならはっきりとはわからないと思う。
ゲームでは、竜の襲撃から王都を守る一員としてルナたんが隣で攻略対象に直接祝福をしていたけれど。私はご一緒はできない。その時に遠距離祝福が上手くいかなくて王都が壊滅してしまっては困るので、今からちょっとずつ祝福効果を上げておくための対策でもある。
「祝福」
私は指を組み、開放廊下を行く執行部一同に唱える。続けて心の内で強く祈った。『殿下とルナの恋が上手くいきますように』、『殿下とルナの運気があがりますように』、『秘密の部屋を順調に脱出できますように』。
「よし、今日も無事完了!」
特に見つかることもなく、三日ほど続けることができた。祝福何回でどんな効果などは全然わからない。あんまりやりすぎて、殿下さまの護衛騎士の攻撃力が爆上げしたり、下げている剣が火花を吹いたりしたら困るので、とりあえず今回はここまでにすることにした。グラムみたいに名前を付けたり、直接何回もかけたりしていないから大丈夫なはず。
私は一仕事やりとげた満足感に浸りながら、本を探している素振りで書架の間を歩いて行く。このまま室内を移動して、さりげなく出口へと近づいて行くつもりだった、のだけれど。
「ヴィクトリア」
以前は聞きなれていた美声に足を止めた。なんで、ここに。今頃は執行部の部屋でルナたんのクッキーを齧っている頃じゃないですか。という言葉は飲みこんで、私はゆっくりと振り向いた。
「これは王太子殿下、ご機嫌麗しく」
少し俯いて、私は膝を屈めた。
「学院内だ、かまわないよ」
「恐れ入ります」
顔を上げると、護衛騎士だけを連れた殿下さまが王子様スマイルで立っていた。
「執行部のお時間では?」
「ああ、今ちょうど部屋に向かっていたところだったんだけれどね。参考にしたい資料のことを思い出して取りにきたんだ」
「手づから恐れ多いことでございます」
「実は本のタイトルが思い出せなくてね、自分できたほうが確実だろうと思ったんだ」
でも、ヴィクトリアに会えたからよかったよ、と。少し照れたようにいう殿下さまに、私も令嬢スマイルを見せた。
なんだろう、これまでずっと逃げきれていたのに。もしかして、殿下の運気を上げてしまったせいだろうか。王太子として生まれてきているのだから、元々の運気もかなり高いはずだ。いわゆる、『もってる』というあれ。そこに祝福をかけまくったから私の運気よりも上がってしまったのかもしれない……。私はこれから毎日自分に祝福をかけまくると決めた。
「ヴィクトリア、少しいいだろうか?」
「申し訳ありません、私、そろそろ迎えの馬車が」
いつもの逃げを打つ私を、しかし殿下さまは許してくれなかった。
「少しの時間でいいんだ、話がしたい」




