第17話 王様の孤独 王VS王子 あるいは親の心子知らず
「父上、お呼びと伺いました」
夕食後、僕は父上の私室に向かうようにいわれた。いつもは何かあれば執務の合間に執務室に呼ばれることが多いのに、珍しい。
目線で促されて、父上が座る長椅子の向かいに腰をおろした。ローテーブルには酒や軽食が並べられていて父上も寛いだ服装をしているのに、手にはグラスではなく書類を手にしている。
「まだ執務を終えられないのですか?」
「これは明日までに目を通しておきたい」
書類を長椅子に置き、ぐいとグラスを呷る姿には疲れが滲んでいる。父上と夕食を共にするのは賓客を招いた晩餐会など、公務であることが多い。日頃は家族との食卓の椅子をあたためる間もなく、このように過ごされているのだなと知った。
空いたグラスに手ずから酒を注いだ父上が、僕の前に置かれたグラスにも暗紅色の液体を注ぐ。
「よろしいのですか?」
「其方ももう17才。ひと昔前なら初陣を終えて兵士と酒樽を囲んでいよう」
「父上もそのように?」
グラスを手に尋ねる僕に、父は遠くを見るように薄っすらと微笑んだ。
「今は平和になった」
父上が手にしたグラスを何かに捧げるように軽く掲げ、僕もそれにならった。父上が僕の年の頃にはまだ隣国との小競り合いが続いていて、そのために国内もいくつかの派閥に分かれて疑心暗鬼に陥っていたと城の教師がいっていたっけ。
一口だけワインを飲み下すと腹の底がじわりと熱くなり、口の中には渋みが残る。父上は満足そうな顔でグラスを置くけれど、僕は正直、ワインを美味しいとは思えない。
「10年、いや学院を卒業すれば、すぐに其方も酒のありがたみがわかるようになる」
僕の胸中を察したように、父上が笑って。さて、と居住まいを正した。
「最近の、其方の学院生活について王妃からきいた」
またそのことか、と正直思った。その気持ちが滲み出てしまったのか。
「なにやら物言いたげであるな」
「その件につきましては、母上と先日お話したばかりです。僕の素行が悪いような噂が流れているようですが、誤解だと説明しました」
父上が脱力したように背もたれに体を預けた。
「アーヴィングの娘とはいつ会った?」
「ヴィクトリアと、ですか?」
答えようとして言葉に詰まった。いつだった?
「先日、城でいつものお茶会をしました」
「先日、な」
ふた月前だと父上がいう。
「同じ学院に通っているのですから、特に時間を設けることもないかと」
いいながら、学院で会ったのはいつかと考える。母上に注意を受けて……、そうだ。
「執行部に誘おうと声をかけているのですが、彼女も忙しいようで。母上の助言を受けて慈善活動をしているとか」
「婚約解消を口にするほどだ、忙しいのではなく其方を避けているのではないか?」
「ヴィクトリアがそんなことを?!」
驚く僕に、父が少し呆れた顔を見せる。
「城での茶会で、其方に直接いったのだろう? 臣下になってもアーヴィングとして忠誠は変わらぬ、と」
「そうですが、そんな大げさな意味ではないかと……」
父上の強い視線に、声が段々小さくなってしまう。
「ここ半年以上、ろくに茶会も開かれず、学院への通学も一人で行っているのであろう? 学院内でも昼食も別に取っていると報告が上がっている」
「それは、その通りです」
侍従か、護衛騎士か。城はともかく学院内のことまで父上にいいつけるなんて。
「孤児院からの特待生に執心していると聞いている」
「それは誤解というか、確かに親しくはしておりますが。僕だけではなく、執行部として」
「執行部には女子生徒はその者しかおらぬのだろう? なぜ最初からアーヴィングの娘を参加させなかった」
「それは、彼女は妃教育があるからそちらをやってもらったほうがいいと」
「其方は帝王教育を休んでおるのに、か?」
僕はそれ以上に返す言葉を見つけられなかった。
「私は其方の父親だ、そしてこの国を治める王でもある。私が取り決めた婚約の何が不服か。王家の人間として答えよ」
「不服など……。」
「では、なぜ婚約者を大切にしてやれなかった?」
「私は彼女を蔑ろにしたことなどありません」
「では、どういうつもりだったのか」
「彼女は婚約者で幼い頃から付き合いがあります。いずれ結婚するし、今しかない学院のことを多少優先しても、それはほんの数年のことです。城から離れた場所で同年代の人間と親しく付き合えることが楽しくて。女性といっても学院生だし、同じ執行部員でもあるし。確かに他の学生よりは親しくしておりましたが大げさに騒ぎ立てるようなことはありません」
「あくまでも執行部員の一人というのか」
「学友として親しくはありますが、それ以上でも、それ以下でもありません」
父上が小さく顔をしかめて頭を抑える。
「其方の言い分はわかった。だが、問題は婚約者である公爵令嬢より、孤児の特待生を選んだと周囲が認識してしまったことだ」
「卒業すればヴィクトリアと結婚するのです。噂などいちいち相手にせずともよろしいではないですか」
父上が首を振る。
「いったであろう、アーヴィングの娘が婚約解消をいいだしておるのだ」
「僕が誤解を解きます」
「執行部の誘いすら断られている其方が、か?」
僕はまた言葉を失くしてしまった。
「其方がその特待生に恋情を持つことは責めぬ。だが、既に立太子した身。王たる私が定めた王家とアーヴィング公爵家との契約を軽んじることは許されぬ」「」僕は、恋情などと……」
「本当に自覚がないのか。全く、始末が悪い」
父上がまたグラスを呷る。
恋情? 僕がルナに? 僕は10才の頃にヴィクトリアと結婚すると定められた。これまでずっと上手くやってきたつもりだ。確かにネルソンたちと過ごす時のような楽しさはなかった。お茶会はいつでも退屈で、でも女の子なんてそんなものだと思っていた。ヴィクトリアは僕が見知った令嬢の中でも飛び抜けて綺麗だし。いつも一生懸命話しかけてきて、返事をしてやれば嬉しそうに頬を赤らめる。妃教育もよくこなしていると城の教師もいっているし、自分が王になった時、隣に立つ王妃には相応しいと思っていた。なのに、僕はルナを?
改めて考える。そうだ、父上の言う通り。僕は半年以上、まともにヴィクトリアに会っていない。執行部はみんな忙しくて、全員が確実に集まれる時間は朝だったから授業の前に集まって会を開くことになった。それで一人で学院に通うようになって。それから朝で終わらなかった議題を、昼食を取りながら続けるようになり。ヴィクトリアには一時的にと断ったけれど、執行部のみんなと過ごすことが当たり前になって正直、ヴィクトリアと会っていないといわれるまで気にしたこともなかった。
でも、ルナにはいつも会いたかった。週末には、週明けにルナに話すことをあれこれと考えていた。好きな色、好きな花、会話の中にでてくる些細なことも心に止めた。彼女のことは何でも知りたくて、ルナがおいしいといった市場の屋台に行って、同じものを食べたいと思う。肩口でくるりとウェーブするあの髪に触れてみたいと……。
「それが、恋というものなのか」
思わず漏れた呟き。
「父上、すみません。僕は……」
「よい、其方も年頃の男だ。誰かを恋う気持ちは止められぬ」
父上が柔らかい眼差しをしていった。
「だが、王族であることを忘れるな。我らの結婚は国政である」
「心得ております」
自覚しても、決して許されぬ恋。
「同時に父親としての思いやりでもある」
「政略結婚が、ですか?」
父上が頷いた。
「なぜ同い年の公爵令嬢にしたと思う? 王家に次いで家格の高い家だ。その令嬢となれば身分に付随する義務や孤独を理解してくれるであろうからだ。その気持ちは恋ではなくとも、理解や共感を持ち、その実家の支援も含めてお前をしっかりと支える能力も期待できたからだ」
こればかりは高位の貴族としか分かち合えぬ、父が諦めたような顔をする。
「お前が王位継承者としての重責や孤独を感じるように、アーヴィングの娘はその配偶者としての重さを知りながら、それでもお前の隣にあろうと幼い頃から努力していたではないか。お前の言う通り、学院が最後だ。卒業すれば友人は臣下となり、この先、お前と対等にある者は現れぬ」
「父上……」
「私も王妃も、其方より先立つ。もしも年下で家格の下がる妻を持てば、お前が守ってやらねばならぬ。お前が盾となるのだ、お前の盾となる者はおらぬ。だが、王家に次ぐアーヴィングならば一番大きな盾となり得る。公爵も次期も、王となる孫であり甥であるお前の子ども共々、お前を、王家を命をかけて守ってくれよう。打算だろうとな」
真っすぐに僕を見るその目は、王ではなく、父親のものだと思った。
「父上は、母上ともそういう?」
僕は少し目を伏せる。仲睦まじそうにみえるけれど、本当は保身のための関係なのだろうか。父上がふと笑った気配がした。
「共に肌を許して子を成す夫婦でなければわかりあえぬことはいくらもある。それに、私は其方のように他に気を移したりはしなかった」
「僕は……」
よい、といって父上が手を上げて抑えるしぐさをした。
「私たちの頃はまだあちこちきな臭くてな。王妃と手を取り合って、付け入れらぬよう互いに必死だった」
今はそれだけ平和になったということだ、といって父上がグラスに手を伸ばした。
「アーヴィングの娘となら、よい夫婦になれるであろう」
「そうでしょうか」
「婚約解消の申し出をするときに、その特待生を新しい婚約者にしてもアーヴィングの忠誠は変わらぬといったのであろう? 其方を慮ってのことではないか」
そうか、そんなに僕のことを。
「でも、僕は酷いことをしてしまって、ヴィクトリアは婚約を解消したがっているのにこれから上手くやれるでしょうか」
「来月の其方の誕生日、今年は急遽学院でパーティーをするように王妃が手配している。アーヴィングの娘はこれまで学院で肩身の狭い思いをしていたようだから、睦まじい姿を見せてその立場をしっかりと支えよ。それが公爵への約束手形にもなる」
「学院で?」
ルナのことが頭をよぎる。この期に及んでもなお、ヴィクトリアと共に過ごす姿を見られたくないと思ってしまう。
「特待生の娘は直轄領に孤児院でも立ててやればよかろう。結婚後、何年かしてから妾にとればよい」
公爵もそれくらいは大目に見てくれようと父上がいった。
「ルナを、妾に」
朗らかで誰にも優しく慈悲深いルナ。妾なんて、日陰の存在は彼女には相応しくない。止められないそんな気持ちを父上に悟られぬよう、僕はワインを呷った。顔をしかめているのは、口に残る渋みのせいだ。




