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新生活

海という漢字には“母”が使われている。


海は生命の源であり、深く広大なその懐には大きな哺乳類から小さなプランクトンまで沢山の生命が存在しているので母という漢字はぴったりだと思う。


海のように深く、広大な愛情で包んでくれた母、母の写真を見るとふわっと母の香りが脳裏に一瞬蘇る事がある。それはとても懐かしくて寂しい気持ちにさせられる。


私が唯一持っている母の写真は、海辺で幼い私を抱っこして微笑んでいる写真だ。いつもポーチに入れて持ち歩いている。

そしてもう一枚、大学の合格通知を受け取った日にみんなにお祝いしてもらった時の写真。

私はその2枚の写真をポーチに入れて仕舞い、リュックを背負って新幹線を降りる準備を始めた。

もう直ぐ目的地に着くとのアナウンスがあったからだ。


ボストンバッグを乗せたトランクを引いて通路を歩いていると、ふと昔聞いた雑学が頭を過ぎった。

地球の3分の2を占める海は全体の15%程しか解明されておらず、深海に至っては5%しか解明されていない。そして宇宙も全体の5%しか解明されていない、という事。

この事実を知った時は衝撃的だった。未知の部分が95%もあるなんて、何があるのか想像するとワクワクした。


そして私達人間が宇宙をそう感じるように魚もきっと海は無限大だと感じているのではないだろうか。

魚が自分の移動範囲や回遊ルートを逸れて自由に動き回れるとしたらきっと泳いでも泳いでも突き当たる所が無く、海には果てがないと思うだろう。

その行為は危険を伴うがきっと想像を超えた素晴らしい経験になるはず、色とりどりの珊瑚や熱帯魚に目を奪われたり、クラゲやホタルイカなどの発光生物に驚いたりしてきっと素敵な大冒険になるに違いない。


私は自身を魚と反映させてそんな事をぼんやりと考えながらドアの前に立った。

向こう側にはきっと別の世界が広がっている、そう思うと風に靡く草原のように胸が心地よく騒めき立つ。


車体が止まり、ドアが横にスライドして開く。

ドアの向こう側には沢山の人が行き交っている。

私は一歩踏み出した。



————



大学のパンフレットには駅から徒歩10分と書いてあったが、私がこの商業施設の様な駅の出口を見つけるまでに30分以上掛かってしまった。


やっとの思いで駅の出入口を見つけ外に出ると、賑やかな街並みが目に飛び込んできた。高いビルには派手で目立つ広告が並び、車や人々の発する音で雑然とした活気に満ちている。近未来に来たかのような都会の景色が目の前に広がっていて、浮き足立ってしまいそうだった。


私はリュックからパンフレットを取り出し、地図を確認する。駅前の大通りから少し逸れた坂道を登った所に目的の大学がある。


私が選んだこの“西南せいなん医科大学”は敷地内に大学病院と学生寮があって、運良く寮を利用出来る事になった。奨学金制度もあってその審査も通過し、金銭的に余裕があるわけではないが取り敢えずは安心して大学に通える。


息を切らせながら坂道を登り、大学に辿り着くと生徒と思われる若者達の姿が目に入った。

この敷地内だけで島の住人に相当するのでは無いかと思うほど人が多く、本当に同じ日本なんだよね、と変な感覚に陥る。


私は構内を歩きながら自分と同世代の女の子達の事をまじまじと見てしまった、みんな華やかでキラキラしているのだ。

綺麗にメイクをして服装も流行りの物で、まるでテレビや雑誌からそのまま飛び出して来たかのようだった。


それに比べて私はお古の服ばかり。インナーで着ているTシャツは中学生の時から着ているものでサイズが合わず余裕なく体に張り付いているし、その上に羽織ったオーバーサイズなネルシャツは島民がくれた物で袖を何重にも折って着ていて、デニムの短パンは加工では無く経年劣化により逆に良い味出てるし…私の服装はとてもオシャレとは言えなかった。


建物のガラスに映った自分の姿を見るとTシャツが上に寄ってお腹が出ていたのでそれを引っ張りお腹を隠した。

このTシャツはそろそろ寿命かな、などと考えながら顔を上げると建物の内側にいた人達と目が合ってしまう。

気まずくなり、私はそそくさとその場から離れた。


「ねぇ、そこの子ちょっと待って」

校内に向かって歩いていると背後から声をかけられ、振り向くと4人の男性が立っていた。さっき私と窓越しに目が合った人達だ。


「君、新入生だよね?」

「はい、そうです」

私が答えると彼らは堰を切ったように引っ切り無しに質問を投げ掛けて来た。

彼らの話す速度についていけず答える隙をなくした私はしどろもどろになってしまう。

「てか、すごい可愛いね!」

突然大きな声で容姿の事を褒められ、周りの人の視線を感じた私は恥ずかしさで縮こまってしまった。


「おい、新入生が困ってるだろ止めろよ」

はしゃぎ気味の4人とは違うトーンの声が聞こえ、声のした方を見ると、そこには1人の男性が立っていた。

耳に着けた小さなフープのピアスが陽に反射してキラリと光っている。


「西森くん、来てたんだね」

4人組はさっきまでのテンションが嘘みたいに落ち着き、気まずそうに目線を逸らした。

「…それじゃあね、新入生頑張ってねー」

そう言うと4人組は手を振ってその場から立ち去ってしまった。


「大丈夫だった?困ってる様に見えたけど」

声を掛けてくれたのは、軽くパーマの掛かった黒髪から覗く、少し垂れ気味の目が印象的な男性で、地元では見たことのないスマートで都会的な雰囲気の男性に私は緊張してしまう。


「あ、ありがとうございました」

お礼を言うと彼は私の荷物を見て察したのか、「事務室まで案内するよ」と言ってトランクのハンドルに手を掛けた。

悪いので自分で引いていくと言ったが、彼はニコリと笑ってそのまま歩き出した。


彼の名前は西森雅喜にしもりまさき、私の2年先を行く先輩で医学部の3回生。

寮ではなく近くのアパートで一人暮らしをしているそうだ。

事務室に着くまでの2、3分程の道のりで得た彼の情報だ。


事務室にて寮の手続きと簡単な説明を受け、部屋の鍵を受け取り退室すると西森さんが廊下に立っていた。

彼は私に気付くとスマホから顔を上げる。

「暇だから寮まで案内するよ、杏奈ちゃん」

「えっと…お願いします」


———


「出身は何処なの?」

「鹿児島にある舞島という小さな島です」

「本当?すごいな、離島から来た子と話すのは初めてだ」


海が綺麗だから子供は海の生き物探しに夢中になる事、島民はみんな仲が良い事、星が凄く綺麗に見える事など、気付くと島の事を夢中で話していた。


「あ、すみません、一方的に話してしまって」

「いいよ、俺はこの街が地元だからそういうの羨ましいよ」

そう言うと西森さんは307号室の前で立ち止る。

先ほど貰った鍵についているキーホルダーに書かれた番号と照らし合わせてみる、どうやらここが私の部屋のようだ。


「ねぇ、連絡先教えてよ、また何かあったら助けてあげるよ」

西森さんがポケットからスマホを取り出してそう言うと、私は少し困ってしまった。

でも嘘をついてもどうにかなる事でも無いので、正直に言うしかない。

「すみません、スマホ持ってないんです」

ノートパソコンを買って貰ったからスマホの必需性を感じなくなったので手放したのだ。


格安SIMにして月に1000円前後の出費だとしても私にとっては痛手だし、今まで使っていたスマホはバッテリーの劣化などで使い物にならない為リサイクルショップで現金に変えてきた。

スマホ端末も安くはないから新しい物を買う考えは私には無く、パソコンで大抵の事は出来ると思っている、カメラも付いてるし。


「そんな断られ方されたの初めてだよ」

西森さんは私が嘘をついていると思ったのだろう。

「ノートパソコンがあるので不要になったんです、LINEやGoogleのアカウントもあるのでそれで連絡は出来ます、タイムリーなお返事は出来ないかもしれないけど…」

私がそう説明すると彼は目を丸くして驚いた顔をしていた。

「はは、マジか、ますます興味をそそられる…」

彼は下を向くとポツリと呟いた。


私と西森さんが廊下で話をしているとガチャっと部屋のドアが開いた。

眼鏡をかけたショートカットの小柄な女の子が顔を覗かせ、私と西森さんの顔を交互に見ている。

「あ、ルームメイトが先に入ってたみたいだね、じゃあもう行くよ」

そう言うと西森さんは帰って行き、私は彼にお礼を言って深々と頭を下げた。


私は部屋の方に体を向き直し、ルームメイトと思われる女の子に挨拶をする。

後藤杏奈ごとうあんなです、今日からよろしくお願いします」

「あ、赤沢陽向あかざわひなたです」

私達は交わし、赤沢さんに案内してもらう形で一緒に部屋の中に入った。

部屋には2段ベッドと勉強机が2つ、壁を向く形で備え付けられていて、部屋の真ん中には小さな折りたたみテーブルが置いてある。


「あの、ごめんなさい、私高い所苦手だからベッドは下の方を使わせてもらってて、目が悪いから机も窓際を…」

「ううん、何の問題もないから大丈夫だよ」

私がそう言うと、彼女は照れくさそうに笑った。

えへへと笑うその様子が子供のように可愛らしくて、ルームメイトが人の良さそうな子で私は安心した。


「なんか不思議、AI生成の美女が目の前で動いてるみたい」

顔をまじまじと見てそう言う赤澤さんに私は思わず吹き出してしまう。

「すぐ見飽きるよ」

そう言うと彼女は飽きるほど見たいと言ったのでまた笑えてしまい、先程まで感じていた緊張が解けていくのを感じた。


私は荷解きをしながら赤沢さんと色んなことを話した。出身地や、この大学を選んだ理由、医者を目指すきっかけなど。

赤沢さんの場合は祖父が小児科医をしているらしく、その影響で小児科医を目指している。


「そう言えば、さっき西森さんと一緒だったけど知り合い?」

彼女にそう聞かれて、私も疑問に思っている事を聞いてみた。

「ううん、たまたまだよ、暇だから案内するって言ってくれて、西森さんって有名人なの?」

私がそう言うと彼女は驚いた顔で知らないの!?と言った。


彼女によると西森さんはこの西南大学附属病院の病院長のお孫さんで、次々期後継の存在だそうだ。

「優秀で爽やかなイケメンって感じなんだけど、何処か高圧感があって近寄り難いというか…腫れ物じゃないけど、扱いにくい感じがして…」

と言葉を選ぶように、でも本音で話したいと言う彼女の本心が垣間見れる。


それを聞いて気まずそうにしていた男子学生達の事を思い出して腑に落ちた。

そして顎を上げて目線を下に落とすように人と話をする彼の癖は、他人より優れているという自信の表れなのだろう。


「敵に回したくないタイプなんだね」

私がそう言うと赤沢さんは興奮気味にそう、それなの、と同調する。

「ねぇ、連絡先交換しよ」

そう言われ、スマホを持っていないと言うと彼女もまた西森さん同様、目を丸くして驚いた顔をしていた。まるでフレーメン反応をした猫のようだ。

私はあと何回、この顔を見ることになるのだろうか。

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