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自然治癒

ドンっ


歩いていたら後ろから肩に何かがぶつかり上半身がよろめいた。

こけるほどでは無いが強めの衝撃だったので肩から掛けていたトートバッグの紐がずれ落ちてしまい、危うく落下するところだった。


ぶつかって来た人物は美貴先輩で、何もなかったかのように傍にいた友達と談笑しながら歩いている。


「何あれ謝りもしないで、すっごい失礼じゃない」

私の横にいたひなちゃんが本人に聞こえるくらいの声でそう言うと、私は少し慌ててしまう。


「ううん、大丈夫だよ、ちょっと当たっただけだから、それより早く行こう」

そう言うと私達はお昼ごはんを食べるため食堂へと向かった。


私達が利用している学生寮の1階は食堂になっていて、多くの学生で席が埋め尽くされており賑やかな話し声で満たされていた。


「あ、いた」

奥の方の席に座って手を振っているキヨさんとふうちゃんの姿が見え、私とひなちゃんは彼女達の元に駆け寄る。


3人はいつもの様に学食を注文しにカウンターへ行き、私は持参したお弁当を鞄から取り出した。

お弁当と言っても週に一度まとめて炊いたご飯を小分けして冷凍した作り置きのおにぎりと、小さなタッパーに目玉焼きやソーセージ、たくあんなどを詰めたシンプルな物だ。


4人でご飯を食べていると一際大きな笑い声が聞こえ、何気なくそちらに目をやると少し離れた所に西森さんと派手な髪色のお友達が居て、彼ら3人は座って学食を食べていた男子学生を取り囲むようにしてテーブルに腰掛けている。

囲まれている男子学生は丸々とした体型をしていて、笑ってはいるが困惑しているのが表情から見て取れた。

きっと揶揄われているんだろうな、と思って見ているとパァンッパァンッとその子の腕を叩く音が響き、彼らはすげー良い音と言いながら笑っているのを見て私はとても不快な気分になった。


西森さんは自ら口出しや手を出す事はせず、彼らの横で腕を組みニヤニヤしながら見ている。

西森さんが私に気付くと派手髪2人におい、もうやめろと言って制止し彼らは私達の所へ向かって来た。


西森さんとはLINEで何度かメッセージのやり取りをしており、その殆どが食事のお誘いや遊びに行こうといったお誘いなのだが私はずっと断り続けていて、実際に会ったら気まずいなと思っていたら本当に出くわしてしまった。

3回生は忙しいって聞いていたのに。



「やっほ、杏奈、お弁当とは関心だね」

西森さんがそう言うと後ろにいた1人が今度俺にも作ってよ、と冗談混じりに言いもう1人がツッコミを入れて勝手に盛り上がっている。


私は“おにぎりを口に含んでいて喋れません”を演出し、ぺこりと軽くお辞儀だけした。

ひなちゃん達は“蚊帳の外”を貫き3人で話し続けている。


「駅前に新しくカフェ出来るらしいんだけど今度一緒に行かない?」

西森さんが切り出す。


「ごめんさない、せっかくですが、まだアルバイトを初めてなくて余裕がないんです」

「そんな事気にしなくていいよ、奢るからさ」

「いえ、そう言う訳には、奢られるような事何もしてませんし」


LINEでも似たようなやり取りをしているのにまさか実際に会ってもこんな会話をするとは思っていなかった。


西森さんは少し考えたあと顔を私に近づける。

「杏奈と2人で話がしてみたいんだ、どうすれば良い?」


私は体を反らせながら返事に困っていると食堂に甲高い声が響き渡った。


雅喜まさきっ!」


声の方を見るとそこには美貴先輩が居て、テーブルを3つほど挟んだ距離だったが、その割には大きな声でその顔は怒っているようだった。


「ちょっと、あんたが席取っとけって言ったから場所取ったのに何でこっち来ないのよ!」


その言葉に西森さんは、はぁと溜め息を吐きじゃあね、と言って私に手を振ると面倒くさそうに彼女のところへ向かう。


その様子を見ていたひなちゃんは怖っ、と言いながらもその顔は薄ら笑いを浮かべていた。


美貴先輩は鬼の形相で私を睨みつけている。

目が合ったので取り敢えず笑顔を作ってぺこりとお辞儀をして目を逸らした。


どうやら私は昔から特定の同性に嫌われる傾向があるようで、そのほとんどが流行りに敏感で気の強い女の子、といったまさに美貴先輩のようなタイプだ。

関わった事も話した事が無くても何故か敵視され、地味な嫌がらせを受けたり根も葉もない噂を流されたりする。


そういう人達に対して私は徹底的に“気付いていません”という態度で接している。

例え無視されても他の人と同様に挨拶をするし、共有すべき情報があったらその子にもきちんと伝える。

そして話しかける時は満面の笑顔で話しかける。

そうすると、私に対する敵対心を徐々に解いでくれるのだ。


私が思うに、最初からツンケンした態度で出てしまうと引っ込みが付かなくなり私にどう接していいか分からなくなってしまうのではないだろうか、と。

だから私の方は気付かないふりして普通にすればその内警戒心を解いでくれるはずだと考えている。

こうした私の行動を見て高校の時の友達はよく“乾眠状態のクマムシのメンタル”などと変な例えをしていた。


「西森先輩ってMっ気があるのかな」

ふうちゃんがそう言うとキヨさんはいつもの落ち着いた喋り方で、Mなのは美貴先輩の方だよ、と言い、私達はほぉと声に出して納得してしまった。




ーーーーー




それからも何度か食堂で西森さんに出くわしたが私は当たり障りのない無難な返事でやり過ごした。

そうすれば私の事をつまらない人間だと思ってその内離れていくだろう、そして私に向けられた美貴先輩の攻撃的な姿勢も無くなるかもしれない、なんて考えている。


そんな風に気を使いながら過ごしていたある日、廊下で転んで鞄の中身を盛大に撒いてしまった人がいて私は彼の撒き散らした筆記用具を拾って渡すと、見覚えのある人物だと言う事に気付いた。


以前、食堂で西森さん達に絡まれていたぽっちゃり体型の男性だ。


「すみません、ありがとうございます」

彼は汗をかきながらそう言うと私の手からペンを受け取りトートバッグに仕舞おうとして袋口を開くと、中から他のペンがポロリと落ちてしまう。


私がそれを拾って彼に渡すと、彼は慌ててペンをバッグにしまった。

そのペンは少し太めで、8色ほどの芯が入っており表面にはハムスターや星の絵が書いてあって小学生女児が好きそうな物だった。


「可愛いペンですね」

私がそう言うと彼はしどろもどろになりながら

「いや、あの、これは、い、妹がくれたんですよ、いっぱい勉強するから色分け出来るペンがあった方がいいって考えらしくて…」


それを聞いて私は微笑ましくなった。

兄想いの妹さんと、恥ずかしがらずにキラキラなペンを使っている彼には好感が持てた。

「素敵ですね、それに妹さん賢いなぁ」

私がそう言うと彼は耳を赤らめて嬉しそうに笑った。


ペンの贈り主である小学生の妹の事で和やかに話をしていると、彼の表情がいきなり曇り慌てたようにそれじゃあ、と言って立ち去った。


私は嫌な予感がして振り向くと、そこには西森さんがいて不満そうな顔をしてこっちを見ている。


「こんにちは」

私が挨拶すると、西森さんは溜め息を吐きながら口を開く。

「なんかショックだな、俺には素っ気ないのにマルちゃんには笑顔だったね」

マルちゃんとは先ほどの男性の事だろうか、あだ名だとしてもネーミングセンスがないなと思った。


「妹さんの話してただけですよ、それじゃあ失礼しますね」

そう言って私はその場から立ち去った。


西森さんのプライドを逆撫でしている自覚はあるが彼に媚びるつもりも誘いに乗るつもりもない。

西森さんは面白半分で人を傷付け、人の痛みが分からない人間だ。

そういった人とは仲良くしたくない、例え彼に恨まれようとも。



ーーーそして、仲良くしたくないのは西森さんだけではない。



彼のお友達も避けたいのだが、今、まさに絡まれている。




大学の講堂で開催された公開講座に参加したのだが講義終了後、私は彼らに捕まってしまったのだ。

今、私はこの前の食堂での“マルちゃん”の状態にある。


机を挟んだ正面にはグレーの髪色をした人が屈みながら机に腕を乗せており、横には青メッシュと私を挟むようにして西森さんが座っている。

いつもなら西森さんが話しかけてくるのに今日は何故だか派手髪2人が話しかけてきていて、西森さんは頬杖をつきながら無言でじっと私の事を見ているだけだった。


「杏奈ちゃんのその目ってさ、アッシュ系のカラコン付けてんの?」

「ほんと、白いお肌と相まって透明感半端ないよね〜」

派手髪2人に容姿の事を言われ、私は資料に目を落としながら適当に返事をしていた。


顔の作りや肌の色は母親に似たのだが瞳の色だけは父親に似ているようだ。

会った事も見たことも無いからどんな人だったかは知らないが、似ているのは瞳の色だけであって欲しいと思っている。


「そんな美しい瞳をした杏奈ちゃんに見て欲しい物があるんだけど」

正面にいるグレー髪がそう言うとスマホを取り出し私に画面を向けてきた。


画面に写っていたのは裸の男性の画像だった。

全裸で陰部も露わになっており、私は思わず顔を逸らした。

「ねぇ、デカくない!?ヤバいよね!」

「マジで大根レベル、パンツ選びが大変そう」

そう言うと2人はギャハハと笑った。

西森さんは無言でこちらを見ているだけで、私がどんな表情するか観察しているかのようだった。


「お医者さんを目指すなら慣れとかないとね、これから本物を見る事もあるだろうし」

「そうそう、こういうのとか」


そう言うと再びスマホの画面を私の目の前に突き付けてきて、見せられたのは裸の男女が絡み合っているポルノ動画だった。


なるべく感情を表に出さないように努めていたが、その動画に関しては上げていた口角が下がり眉間にシワを寄せて俯いてしまった。

私の苦渋の表情が楽しいのか、西森さんはニヤリと笑っている。


人が少なくなった講堂に派手髪達の笑い声が響き、私は机の下でぐっと手を握りしめた。

とても悔しかった、彼らに侮辱されているのが。


「あんちゃーん!」


私を呼ぶ声が聞こえ、顔を上げるとドア付近にキヨさんが立っていた。


「教授が呼んでるよー」

廊下の方を指差して私に手招きしている。

私は立ち上がり、失礼しますと言ってその場から離れた。


小走りでキヨさんの所へ向かい廊下に目を向けるとそこにはひなちゃんが立っており、どうも、教授でーすと言ってピースしていた。

その姿を見て私はぷっと吹き出してしまい、硬直していた心がほっとほどけるのを感じた。


「さ、お昼食べに行こう」

そう言ってふうちゃんは私の手を取りキヨさんが背中に手を当てて押すような形で私達は食堂に向かった。


私は友人に恵まれている幸せ者だ。

何も言わずとも困っている私を助けてくれる。

いつか彼女達にこのお返しが出来るだろうか、いつになるのか分からないから今は彼女達が笑顔を保てられるように努めたい、そう思ったーー。



ーー彼女達の笑顔を保てられるように、とは言うものの日常生活を送るにあたってずっと笑顔でいれるのは難しい。

怒りたくなる時もあれば悲しくなる時もある。




そう、例えば美貴先輩にパソコンを壊された時とか。




そんな事が起きた時、一瞬の出来事に感情が追いつかず、私は床に転がったパソコンをぼんやりと眺める事しか出来なかった。





通路側に座って講義を受けていた私は、机の上に開いた状態のパソコンを置いたまま資料を整理してバッグに仕舞い込んでいた。

L字型に開いたパソコンは美貴先輩の手の平によって吹き飛ばされ、大きな音を立てて斜め前の机の脚に当たり床に落ちてしまったのだ。




「あんちゃん…」

優しい声でふうちゃんが私の名前を呼んだ。

彼女は私の背中を包むように手を当てて心配してくれている。


ひなちゃんとキヨさんは美貴先輩とそのお友達に詰め寄っている。


わざとだの、わざとじゃ無いだの、言い合いが始まり講義室内の空気は張りつめ、修羅場を感じ取ったギャラリーが好奇の目を向けている。


早苗さんがプレゼントしてくれたこのパソコンに関する思入れはひなちゃん達に話した事はないが、日頃大切にしている事を知っているからこそ見過ごせなかったのだろう。


「新しいの買えばいいじゃん、そんな安物よりもっといい物買ってもらいなよ」


「そういう問題じゃないです!100歩譲ってわざとじゃ無いにしろ謝ってください!」


美貴先輩の挑発するような言葉にひなちゃんは顔を真っ赤にして怒っている。


そんなひなちゃんの顔を見て私ははっと我に返り、この状況を終わらせなきゃという思いで美貴先輩の前に歩み寄った。


「な、なによ」

美貴先輩が少したじろぐ。


私は真っ直ぐ彼女の目を見て口角をふんわりと上げた。

「足元にガラス片が落ちてますよ、踏むと危ないので、どいてください」

そう言って私は屈み、小綺麗なローファーを履いた美貴先輩の足元のガラス片を拾い始めた。

美貴先輩は私の行動が理解できないのか不思議な物を見るかのような目で私を見ている。


それを見ていた周りの人達が周辺に散らばったパソコンの破片を一緒に拾い始めた。


「絶対わざとでしょ、タチ悪すぎ」

「てか拾えよな」


美貴先輩には白い目が向けられ、非難する声がポツポツと聞こえてくる。

美貴先輩はその空気に耐えられず、顔を赤くしながら走り去るように講義室を出て行った。



ーーーーー



寮の自室に戻り、パソコンの電源ボタンを押してみるが無反応だった。

画面が机の脚にぶつかった為、大きく割れ内部が見えている。


人間や動物などの生き物は自然治癒力を持っていて、怪我をすると傷口を塞ぎ皮膚を再生させる能力があったり体内にウイルスが入っても熱を出しながらそれと戦い回復する力がある。


でもこの無機質なパソコンはそんな回復能力を持っていない。


不意に早苗さんの顔が浮かび、じわりと涙が滲んでくるのを感じた。

咄嗟に上を向き泣き出しそうになる自分の感情を噛み殺す。


今は悲しくて心がえぐられるような気持ちだが大丈夫、私は人間だ、心の痛みだって自然に徐々に良くなっていくはず。

そう自分に言い聞かせ、新しいパソコンを買うにしても修理するにしてもとりあえず早くバイトを探さなくては、と自身を奮い立たせた。

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