独り善がり
空気を引き裂くような大きな音に私と高橋は体を縮こませた。
銃声はやまびこによって跳ね返り、周辺の空気をな何度も振動させている。
「痴話喧嘩にしてもやり過ぎだ、その子を離せ」
銃声の発射元は山の男からだった。
走って来たのか息を切らせながら木々の間から仁王立ちで姿を見せている。
彼は威嚇射撃をしたとみられ銃口を上に向けた状態で猟銃を手に持っており、白いタンクトップの上部は血が滲み前面まで真っ赤に染まっていた。
高橋は体を起き上がらせると私の背後に周り、右腕を首に回して固定すると左手に持ったナイフを私に向けた。
「こっちに来るな、近づいたら彼女を刺す」
高橋は血の付いたナイフの刃先を顔に向けると私は体を反らせた。
逃げたくても高橋の右腕がしっかりと首を固定し、首を絞められていた事で体が痺れて力が入らない。
「やめろっナイフを捨てろ、でないと撃つぞ」
そう言って山の男は銃を構えるが、
「そんな猟銃で何が出来る、それに彼女に当たったらどうするんだ」
高橋は鼻で笑いながら20mほど離れた山の男にナイフを向けて指した。
「部外者はすっこんでろ!」
高橋がそう言うと山の男はその場に跪き、足を広げながら片膝を立てるとその上に肘を乗せて体を安定させ、頰と右肩に銃の末尾をピッタリとくっ付けると銃口を私達に向けて構えた。
「そんなの、ハッタリだろ」
高橋は挑発とも取れるように嘲るが、山の男は黙って銃を構えている。
彼の持っている銃にはスコープなどは付いておらず、銃身と引き金以外は木製で出来たシンプルなライフルだ。
男の半開きだった口がふぅと息を吐くように窄まると再び銃声が響いた。
「きゃぁ」
「うぁっ」
向けられた銃口から大きな音が発せられ私は目を閉じて悲鳴を上げると、高橋は唸り声を上げる。
そっと目を開けると高橋は左腕の中間部から血を流しており、肘辺りを撃たれたようで落としたナイフを拾おうとしても上手く腕を動かす事が出来ず、痛みに顔を歪ませていた。
山の男は発射した時の反動で銃の末尾が刺された肩に当たり、それが痛むのか彼は眉間に皺を寄せて苦い顔をしている。
「こっちは自衛隊時代のあだ名がムスカ大佐だったんだぞ、舐めんなよ」
ぶつぶつと独り言を呟きながらライフルに薬莢を装填し、再び銃を構えた。
「次は耳だ、その子を離せ」
山の男がそう言うと高橋は彼を睨み、ふざけやがってと呟いた。
高橋は悔しそうな表情をしながら少し俯いて地面を見ながら何かを考えている様子だった。
しばらくすると目を私に向けて杏奈、と私の名前を呼び、立ちあがろうと腰を浮かせる。
体を引っ張られ、一緒に立ち上がると彼は私だけに聞こえるように言葉を続けた。
「短い間だったけど、僕はすごく幸せだったよ、君の気持ちは分かってたけど、それでも一緒に居るだけで幸せだった、今まで生きて来た中で最も尊い時間だった」
高橋は穏やかな表情で真っ直ぐ私を見ている、私も彼の目を見てそれを聞いていた。
彼の胸からは壊れそうなほど激しく脈打つ心音が聞こえている。冷静に見える高橋も動揺しているのだと分かった。
「君に釣り合うのは僕しかいないと思っていた、いや、今でもそう思っている」
そう言うと高橋の足はゆっくりと後ろへ下がって行く。
嫌な予感がし、私は引っ張られないように体に力を入れる。
すると、首を絞めていた右腕が素早く脇の下に移動し、抱えられてしまう。
「君のいない世界は考えられない」
山の男も異変に気付き、おい、と声を掛けるが高橋は私の方を見たまま下がり続けた。
浮き気味になっていう足の爪先に力を入れて前に進もうとする私の体も一歩、一歩と後ろへと下がってしまい、私は首を横に振った。
「愛してるよ杏奈、ずっと一緒に居よう」
嫌だと声を出す間もなく体が後ろに倒れ、ぐわんと視界が薄暗い空に切り替わる直前に私が見たものは、猟銃を放り投げて地面を蹴り上げる山の男の姿だった。




