金持ちと貧乏医大生
慣れない環境のせいか眠りが浅く、夜中に何度も目が冴えてしまった。
カーテンの端から漏れる光が少し明るくなるのを感じた私はベッドの下の段で寝ているルームメイトを起こさないよう、本を片手にそっと部屋を出た。
まだ朝の4時30分、誰も起きていないようだ。
少し大学構内を歩いたあと私はベンチに腰掛け空を見上げる。
早朝のまだ薄暗い空が辺りの物を青黒く染めていて、空気はひんやりと冷たく湿っている。
私は早起きしてこの空気を感じるのが好きだ。
時折遠くで車のタイヤが空気を切るようなスーという音以外は何も聞こえない。
静まり返り生活感が消えたこの世界はまるで前日までの出来事をリセットしたかのように思える。
前日の熱をクールダウンさせて、色を無くしまた初めからやり直せる環境を整えてくれた、そんなふうに思えるのだ。
一頻りボーとした後、私は時間が許す限りこのベンチに座って1人の時間を満喫する事にした。
「あんちゃん!どこ行ってたの?迷子になったかと思ったよ」
朝8時過ぎ、部屋に戻るとルームメイトが私の顔を見るなり心配して駆け寄ってきた。
「おはよう、ひなちゃん、早くに目が覚めたから外を散歩してたの」
昨日初めて会って一晩で私達はあんちゃん、ひなちゃんと呼び合う仲になった。
同じ目標を掲げた仲間同士だから打ち解け合うのが早いのかもしれない。
「9時には入学式の受付が始まるよ、早く支度しなくちゃ」
そう言って彼女はヘアミストを頭上に満遍なく吹きかけ櫛で髪をとかし始めた。
私も部屋着を脱ぎ義理の姉である香さんのお下がりのリクルートスーツに着替える。
白のワイシャツにスカートタイプのシンプルな濃紺色のスーツだ。
髪の毛は少し華やかさを演出する為にハーフアップにし、緩めに縛って毛束を内側にくるりと一回転させた“くるりんぱ”スタイルにして、支度を終えた私達は部屋を出ると隣の部屋からもスーツを身に纏った二人組の女の子が出て来た。
「あ、キヨさん、ふうちゃん、おはよう」
安藤清香さんと、磯田風香さんは昨日ひなちゃんに紹介してもらった隣の部屋の同級生だ。
大人びていて背が高くスラリとした和風美女なキヨさんと、ふんわりとパーマ掛かったヘアスタイルの柔らかい雰囲気のふうちゃん。
2人も私達同様、相部屋を利用している。
私達は4人で構内にある入学式会場へと向かった。
「わぁ、あの子の大きなリボンが付いたブラウス、可愛いね」
「あの子は看護科って感じだね、華やかさがある」
会場に着くと沢山の人で賑わっていて3人は周りを見渡してはそんな話をしている。
「そして、視線を感じるね」
ひなちゃんはそう言って私の方をチラリと見た。
「そうだね、人が多いからね」
私がそう言うと彼女は呆れたようにみんな私の事を見ているのだと言った。
人の多い所では沢山の視線が交差したりぶつかったりするのは普通の事だと思っていたから自分が見られているという自覚はなく、私を見たってなんも面白くないのに、と首を傾げるが3人の興味はもう他に移っていて誰も聞いていなかった。
その後始まった入学式は滞りなく執り行われ来賓祝辞や新入生代表による入学の辞、学生代表による歓迎の辞が述べられた。
来賓者の中には西森院長も居て、新入生に向けて祝辞を送ったのだが穏やかでゆっくりとした喋り方には温厚な性格が滲み出ているように見受けられ、孫の西森さんとはあまり似ていない印象だ。
式の後には翌日行う予定のオリエンテーションの資料が学科別に配られ簡単な説明が終わると新入生達はゾロゾロと会場を後にして行く。
会場の外では先輩達によるサークルの勧誘が行われていて私達4人はきっと勉強で手一杯になるだろうし余裕があるならアルバイトをしたいと考えていたので、話し掛けられ無いように4人とも下を向いて足早でスタスタと歩いた。
「杏奈ちゃーん」
私の名前を呼ぶ声が聞こえ、顔を上げると少し離れた広場の木の下に居た男女グループの1人が手を振っており、よく見るとそれは西森さんだった。
私がぺこりと軽く会釈をするとこちらに向かって歩いて来る。
その姿を見てひなちゃん達はさり気なく私から離れていった。
「入学式お疲れ、サークルには入らないの?」
「ありがとうございます、サークルは入っても幽霊部員になりそうなので」
「ははっ、だね、医学部は忙しいから」
何気ない会話から始まり彼はこれからお昼ご飯を一緒に食べに行かないかと切り出した。
「友達にも紹介したいしさ」
そう言って先ほどの木の下で一緒にいた男女を指差した。
男の人2人は私の視線に気付くと笑顔で手を振った。
明るいグレーの髪色した人と、ウルフカットで襟足に青のメッシュを入れた鼻などにピアスを付けた少し派手な見た目の2人だ。
そしてその横には女の人が3人いて、手前に居た女性は肩ほどの長さの切りっぱなしボブを外ハネさせ、しっかりとワックスでスタイリングされたヘアスタイルに服装はタイトなノースリーブのマキシワンピの上にオーバーサイズのシャツを合わせている。
シャツは第4ボタンまで開けてずらし、肩を出して着ており私が着ていたシャツとは比べ物にならないくらいオシャレで大人の色気を感じた。
そして、腕を組み私を睨み付けている。
その後ろにいた女の人達も巻き髪を綺麗にまとめていて、雑誌に載っているような“いまどき”な感じの2人なのだがクスクス笑いながら私を見ていた。
華やかなグループで私には不釣り合いだ、敵意も感じるし。
「お誘いありがとうございます、でも友達と約束があるので」
私がそう言うと西森さんはひなちゃん達の方へ視線を送り、ため息混じりにじゃあ次の機会にと言って彼は仲間の元へ戻って行った。
私は軽く会釈し、少し離れた場所にいたひなちゃん達の所へ駆け寄った。
「ねぇ、近くにサイゼがあるからこれから4人で入学祝いしない?」
学生寮まで歩いて帰る途中キヨさんがそう提案するとふうちゃんとひなちゃんはそれに賛成し、私達4人はファミレスに向かう事にした。
貧乏医学生はサイゼで充分、なんて言いながら。
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「あぁしかし、有名人に好かれちゃったね、あんちゃん」
「しかも美貴先輩に目を付けられちゃったね」
「さっきのあんちゃんを見る目、めちゃ怖かった」
3人は席に着くなり、待ってましたと言わんばかりに話し出した。
私は西森さんとその仲間たちの話題だという事は理解できたのだが、席に着いて早々に話題にされるとは思っていなかったので少し戸惑ってしまった。
「えっと、その、美貴先輩っていうのはさっきいた人なの?」
小諸美貴さんは看護部の3回生でご両親が医師をしていて自身も医療従事者を目指す様になったそうだ。
西森さんとは幼馴染でよく一緒にいるらしく傍にいた男女4人も看護部や医学部の3回生でみんな同級生との事。
「美貴先輩の持ってたバッグってミュウミュウだったよね?」
「てかあのグループってみんな医師家系のご子息、ご息女じゃなかった?しかも開業医の」
「そうなの?お金持ちの集まりだったのか〜」
3人は首を軽く横振りしながらはぁ〜とため息混じりに羨ましいと口にした。
私はそんな事より気になっていた事を彼女達に聞いてみた。
「3人とも何でそんなに先輩たちの事について詳しいの?」
すると先輩に知り合いがいて噂を聞いたり、あとはSNSを見ればすぐに分かるという。
彼女達に美貴先輩のSNSを見せてもらったが、海外旅行やオシャレなカフェでの食事などの写真がたくさんアップされており、とても充実したプライベートが伺えた。
LINEはSNSになるのだろうか?
私もSNSやってるよ、って言ってもいいのかな?
なんてそんな事を考えながら3人の会話を聞いていた。
私達はたくさん話し込み寮に戻る頃には3時を過ぎていた。
「疲れたね〜」
慣れない服と靴のせいで4人ともヘトヘトだった。
キヨさんとふうちゃんは自分の部屋に戻らず私たちの部屋で寛いでいて、3人ともスマホを見ながらダラけている。
3人を見ていると、地元の高校の友達を思い出す。
同年代の女の子ってみんなこんな感じなんだな、と安心する。
「あんちゃんも資料見てないで休みなよ」
オリエンテーションの資料を広げている私を見てひなちゃんが声を掛ける。
「情報収集だよ、私もみんなと一緒」
私は続けてまた一緒に行こうね、と言うと3人は顔を上げてうん、そうだねと笑顔を見せてくれた。