真の理解者
車を見た瞬間すぐに誰が来たのか理解した私は寒気と共に全身に気持ち悪い感覚が這った。
「中村さん、中村さん、あいつが来たっ!」
息を荒らして体をくねらせるが結束バンドで縛り付けられた手は椅子から外れず、焦りが心を支配していく。
震える声で中村さんに声を掛けるが、彼は哀れみの目で私を見た。
「可哀想に、大丈夫だよ、きっと良くなるからね」
「…中村さん?」
「君は虚言志向の強い演技性パーソナリティ障害だって高橋くんから聞いているよ、皆んなの気を引くために高橋くんを悪者に仕立てる傾向があるって、こうなる事を彼は予測してた」
中村さんの言葉に、目の前の空間が一瞬歪んだ。
「…そんなっ違う、違うの、それは嘘よ、本当にあいつは地下で人を殺してるの、お願い信じて!」
必死に中村さんに訴えるが、彼には届いていない。こんな酷い有様だし、私が必死になればなるほど彼にはヒステリーを起こしているようにしか見えないのだろう。
「お願い、私を信じて!話を聞いて!」
冷静になりたくても焦りから感情が先走り、体をくねらせ、駄々をこねているようになってしまう。
ピンポーン
玄関のチャムが鳴り、体に緊張が走る。
這うようなむず痒い感覚が腿を伝う。
「…中村さん、話を聞いて、お願い」
冷静さを装い、感情を抑えた声で懇願するが彼は聞いてくれず、私に背を向けて行ってしまった。
玄関扉の開く音がして2人は何やら話している声が聞こえる。その間も必死に結束バンドから手を抜こうと踠くが、キツく縛られており抜け出せる程の余裕はなかった。
「後藤さん」
高橋の声に、動きを止めた。
ゆっくりと首を動かし、声のする方を見ると呆れを含んだような薄ら笑いを浮かべた高橋が立っている。
私は突っ張っていた手を力無く手摺りに預けると、表面張力で瞳に張り付いていた涙が頰を伝った。
ここまでしたのに全て無意味だった、私なりに必死にもがいたのに高橋には敵わなかった。
悔しさよりも悲しさや諦めのような感情が私の体の力を抜けさせていく。
「可哀想に、こんなにボロボロになって」
高橋と並んで立っていた中村さんがそう言うと、高橋はご迷惑をお掛けしました、と頭を下げた。
「君が地下室で人を殺して臓器売買してるって言ってたよ、あまり怒らないであげて」
「はは、分かりました」
そんな会話をしながら高橋は鞄から医療用のゴム手袋を取り出して装着し、注射器を手に取った。
急いで飛んで来たのか彼はスエットパンツに黒色のマウンテンパーカーを着ていて、いつもは完璧にセットしている前髪も下ろしている。
「後藤さん、大丈夫だからね、僕より高橋くんの方が頼りになるから」
そう話す中村さんの後ろでは高橋が注射器に薬剤を充填している。小さな小瓶に入った薬液を細い針で吸い終わると、針を上に向けて注射器を私に見せるかのように顔の横に携えた。
彼の真っ黒な瞳の奥は冷たく、夜の海のように吸い込まれて落ちそうだった。
すると私を見ていた高橋の目線は中村さんに移される。
「っ中村さん、逃げて!」
私は高橋の変化に気づくが間に合わず、中村さんは高橋に後ろから腕で押さえ付けられてしまう。振り向く隙もなく首に注射を打たれると、え、とかすかに声を発し、膝から崩れ落ちていった。
「いや、中村さん、中村さん!」
彼は口から泡を吹き、力が抜けていく体を高橋に支えられながら倒れていく。
高橋は中村さんの脇から手を入れて抱えるとそのままと引きずりながらリビングへと向かう。
足でテーブルを蹴りどかすと中村さんを絨毯の上に置き、力無く横たわった彼の体を絨毯で巻いていった。
何もする事が出来ず、目の前で人が殺されているという衝撃で私は言葉を失う。
高橋は中村さんを巻き隠した絨毯を引きずり、掃き出し窓から外に出る。車のドアが開いた後に閉まる音が聞こえ、戻ってきた高橋は窓とカーテンを閉め、テーブルを元の場所に戻した。
彼は怖いほど無表情で全てを淡々とこなしている。
「…はぁ、ハリボテの君には騙されたよ」
作業を終えた高橋は緩んだゴム手袋を引っ張り、手に密着させながら言った。
「なんで…中村さんはあんたを信じていたのに、なんで殺したの?」
「君のせいだよ、施設の秘密を知ってしまった人間には消えてもらうんだよ、例え信じていなくてもね、あんな老人殺しても何の価値にもならない、焼却炉行きだ」
高橋の最低な発言に怒りを覚え、手摺りをグッと掴んで彼を睨む。
高橋は私の目の前に来ると、いきなり膝を着いて頭を下げた。
「やっと手に入ったと思ったのに…ねぇ、杏奈、僕が今どんな気持ちか分かる?」
下を向いたまま、項垂れなるように高橋は話し、上着のポケットに手を入れると小さな箱を取り出した。
「これが何だか分かる?」
そう言って箱を開けると中には大きなピンク色の宝石が付いた指輪が入っていた。
「ピンクダイヤの石言葉は永遠の愛、完全無欠の愛なんだよ、これを君の誕生日に渡そうと思ってた…」
そう言うと高橋は私の左手の薬指に指輪を押し込んだ。
「僕がどれだけ本気だったか、君に分かるか?」
怒りを孕んだ高橋の声は震え出す。
「僕が今どんな気持ちか君に分かるか!!」
私の頬を両手で挟むと彼はおでこをぶつけて声を荒げた。すぐ目の前で激昂され、その気迫に私はぎゅっと目を瞑る。高橋が放つ異様な空気が怖かった。
ぐっと唇を噛んでそれに耐える。
「…ごめんなさい、は?謝れよ、いつもみたいに、ごめんなさいだろ?全部私が悪いって言え!」
その言葉に私は目を開き、目の前にいる高橋を睨んだ。
涙が溢れてしまっても、唇が震えてしまっても強気な姿勢は崩さず彼を睨み続ける。
すると高橋は両手の力を緩め、指で涙を拭き、今度は優しい口調で話し始める。
「杏奈、僕の何がそんなに駄目なの?女性はみんなあなたは完璧ねって言うのに、何で杏奈は僕の事見てくれないの?僕はこんなにも君の事を愛しているのに」
高橋の感情の起伏に恐怖を感じながらも私は口を開き、震える声で話し始めた。
「…何が愛してるよ、私の事、本田に見せつけるトロフィーワイフとしか思ってないくせに、結局は自分の私欲を満たす為の道具なんでしょ?」
私の言葉に高橋は笑い出す。
「そんなふうに思っていたのか?杏奈、僕は君の事そんな軽んじていないよ、誤解させちゃっ」
「それに、あんたは自我を持っていない」
高橋の話を遮るように私は言葉を続けた。
「人の目、人の機嫌、あなたは人の事を気にしてばかりで、誰かに合わせてばかりのつまらない人間、人を傷付けて弱らせて、支配しているつもりになっているだけの傲慢な勘違い男」
高橋は口を半開きにしてポカンとした顔をしている。
「いや、人間じゃない、ロボットよ、無駄に高性能な」
私が言い終わると高橋は顔をピクリと動かして引き攣り笑いをした。私を見ている筈の目の焦点は合わず、動揺している様だった。
「はは…僕は馬鹿だよな」
高橋は徐に立ち上がり、鞄の方へと歩き出した。カバンから何かを取り出し、振り向くとその手には麻縄を握られている。
縄を私の腕から背中に通して巻き付け、上半身を縛っていく。ぎゅっと締め付けられると、脇が閉まり腕は隙間なく固定されてしまった。
「君にこんな酷い事言われているのに、まだ君の事を可愛いと思えるんだよ、何なら君は僕の真の理解者とも思えてしまう」
そう言いながら高橋は上着のポケットからナイフを取り出す。鋭く尖ったナイフを向けられ、刺される、と思い顔を逸らすと高橋は手の結束バンドを切った。
「ねぇ、杏奈、男女の結びつきが決定的になれるものって何だと思う?」
高橋は縄を引っ張ると私の体は浮き上がった。
「きゃっ」
すると直ぐにダイニングテーブルに押し倒され、手を着く事ができず顔をテーブルに打ちつけてしまった私は思わず悲鳴を上げる。
私の顔のすぐ横に高橋が手を着くとお尻に柔らかな感触が当たった。高橋の体がグッと圧迫していき顔が近づいて来る。
「僕はね、赤ちゃんだと思うんだよ」




