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過去と未来②

娘はまず男の部屋の金庫に手を付けた。何度か開けているのを見たことがあるので開錠番号は把握済みだ。

金庫の中には高級な装飾品と共に束ねられたお札が無造作に置かれており、その中から札束を二束手に取り、扉を閉めた。それだけの作業で娘の手は震えてしまい動揺してしまう。


札束を着替え用のパジャマの中に隠し、部屋を出て風呂場へと向かう、途中何人かとすれ違ったがみんな無言で会釈して通り過ぎるだけだった。


「大丈夫、大丈夫…」

娘は自分に言い聞かせ何食わぬ顔で浴室に入り、鍵をかける。

隠した札束と履いていたスリッパを着ているブラウスの中に移動させ、少しでも音を掻き消すためにシャワーを出し放にした状態で浴槽の淵に足を掛け、風呂場の窓から外に出た。

なるべく音を立てぬよう、そっと。


外に敷き詰められている砂利の感覚がつま先に当たり娘は慎重に体重を掛ける。

裸足でゆっくり砂利の上を歩き、塀のすぐ手前に植えられた木まで辿り着いた。


木は塀と共に家を囲うように植えてあり、上部で枝分かれしてコンクリート製の塀の補助のような役割をしている。生い茂った葉が出るのも入るのも拒んでいるかのようだった。


娘は塀の上部にある装飾用の穴に手を入れて腕に精一杯の力を込めて体を持ち上げようとした。それは容易な事では無く、娘は苦戦する。それでも音も声も出せないため唇を噛み締め、必死で上体を持ち上げる。

何とか上半身を塀の上まで持って行くことができ、あとは足を掛けて反対側に降りるだけ。


つま先がアスファルトに触れると、娘はほっと安堵のため息が出た。

でもまだ、安心してはいけない。


塀を蹴った時に出来た擦り傷だらけの足にスリッパを履かせ、小走りで大通りに向かう。

大通りでタクシーに乗り込み、車が走り出すと娘はまた浅いため息をついた。

心臓の鼓動は激しく鳴り響いていたがひとつクリアする毎に安堵が胸に広がり嬉しさが込み上げてくる一方で、まだ安心してはいけないと自分に言い聞かせ、緊張感を保つようにした。


タクシーに乗ってまず向かった場所は娘の生家だった。狭い路地に入り、平屋の古い家屋が立ち並ぶ中に娘の家がある。

娘は呼び鈴を押し、小さな声で「お父さん」と呼ぶと中からドタドタと拙い足取りで走ってくる音が聞こえてきた。疑いながらも戸を開けた父親の顔は次第に驚きと困惑の表情に変わっていく。


「仁海…」

目の前に居る娘の姿が信じられない様子で父親は娘の名前を呼んだ。

「お父さん」

娘がそう言うと、父親は涙を流しゆっくりとしゃがみ込んだ。

「お父さん時間がないの、よく聞いて、荷物を最小限にまとめて今すぐ遠くに逃げて欲しいの」

正座して丸くなっている父親に札束を1束渡すと、父親はただ、すまない、すまないとすすり泣いた。


娘は父親の背中を抱きしめてゆっくり語りかけた。

「お父さんは優しい人よ、いい思い出がたくさんあるもの、私はお父さんの子で良かったと思ってる、だからお父さんには幸せになって欲しいの」

それを聞いた父親は、自分の情けなさが滲みて更に嗚咽する。


「今タクシーをもう一台呼んだから急いで、すぐ遠くに逃げて」

そう言うと娘は足早に待たせていたタクシーに乗り込み、車は走り出した。


久しぶりの親子の再会は呆気なく終わってしまい、もうこの先父親に会う事はないだろう、そう思うと大粒の涙が溢れポロポロとスカートの上に落ちていった。



駅に着くと娘は顔を拭き、新幹線の切符売り場に向かう。

沢山の人が行き交う駅で人混みの中に男の手下が居るのではないかという感覚に陥り娘は動揺を隠せず、呼吸が荒くなっていく。


乗り継ぎ無しで行ける駅を選び、震える手で新大阪駅行きの切符を受け取り急いでホームへと向かう。発車ベルの鳴る新幹線に乗り込む、と同時にドアが閉まった。

車体が動き出すと娘はまた安堵のため息を吐く。


車内の乗客は多くなく自由席は沢山空いていたのだが、座席に座る事はせずドアに近い連結部分に立ったりトイレに篭ったりしながら過ごした。

そして新大阪駅に着くと今度は博多駅を選び、娘は南の方へと向かった。東京から離れていくのを肌で感じ、恐怖や切迫感などの感情が少しづつ和らいでいく。

新幹線が終点の鹿児島中央駅に着くと今度は電車に乗り換え、人の少ない田舎の方へと向かう。


乗客が次第に少なくなって行き、娘はボックス席に座り目を閉じた。

どのくらい眠っていたのか分からないが娘が意識を取り戻した時は何かに追われる夢を見ていて飛び起きるように目を覚ました。額に汗をかき、心臓は激しく脈打っている。

駅で停車すると娘はその場から逃げるように電車を降り、外に出て呼吸を整えた。


柱に寄りかかっていた娘は顔を上げる。目の前には田んぼが広がっており、民家は疎らで通りの向こうには海と漁船が見える。周りの景色を見た娘は東京からうんと離れたんだ、もう大丈夫、と自己暗示の様に自分に言い聞かせた。

鈍く体を振動させるかの様に脈打つ心臓に手を当て周りを見渡していると商店街の案内看板が目に留まり、娘は歩き出した。



10分ほど歩き、着いたのは少し寂れた商店街だった。

まずは靴を買い、その後洋服店で下着やワンピースなどを購入。着ていた服は処分してもらい新たに購入した薄紫色のゆったりとしたワンピースに着替え、そして薬局で歯ブラシなどの衛生用品を一通り揃えると娘は商店街を後にする。


娘は特に目的はないが、海の方へ向かって歩き出した。ガードレールも無いような歩道をしばらく歩き、10分ほどで堤防に辿り着く。


階段を登り、頂上に着くと娘は段差を利用して座り果て無く広がる海を眺めた。風が強く、波と同調しているかの様に押したり引いたりしながら忙しく吹き荒れている。


袋が飛ばされない様に注意しながら先ほど薬局で購入したおにぎりとミネラルウォーターを取り出す。ここ2日ほど新幹線の車内販売で購入した飴しか口にしておらず、ちゃんとした食事をしていなかった為、久しぶりのご飯だ。

おにぎりを食べ始めるが、口に入るとまるで砂でも噛んでいるかのように咀嚼が重くなっていく。空腹なはずなのに何故か胃が受け付けない。


水で流し込もうと口を付けた瞬間「あの、すみません」と男の声が背後で聞こえ、娘はびっくりしてその場から立ち上がる。

声をかけて来たのは作業着姿の若い男だった。娘はカバンを抱えて身構える。

「すみませんいきなりを声かけて、観光ですか?」

話す男の後ろでは同じ作業服を着た男が2人居て、少し離れた場所からやり取りを見ているようだった。

先ほど歩いている時に通った建設現場の作業員だろうと分かっていたのだが、娘は彼らが何か企んでいるのでは無いかと疑ってしまい、まともに目を見る事が出来なかった。

「すごくお綺麗だから女優さんかと…」

「ご、ごめんなさい先を急ぐのでごめんなさい」

そう言うと娘はその場から走り出した。


しばらく走ったり歩いたりしながら進んでいくと、娘は息が苦しくなり近くにあったベンチに腰掛けた。空腹のせいなのか、直ぐに息が上がり眩暈がして吐き気に襲われた娘は慌てて水を飲んで息を整える。


娘はふとベンチの横に目をやると〝島々巡り〟と書かれた案内看板に気が付いた。

色んな離島の特徴や観光名所、公共施設に関する情報が書いてあり、娘は〝舞島まいしま〟という小さな島に目を留める。

人口は200人弱で民宿が一件、小売店が一件と書いてあり診療所は一件と書いてあるがその上からマジックで線が引いてある。昔はあったが今は無くなってしまったのだろうと推測した。

娘はこの舞島に行くことにした。



小型のフェリーに乗って30分程で目的の島に到着する。島全体が大きな山の様になっており、その麓に道路や民家などの集落がある。

フェリーを降りてデッキを歩いていると小学生くらいの子供が数人浜辺で遊んでいてシュノーケルを着けて海の中を覗いたり、小さな水槽に生き物を入れて観察したりしていてその傍には保護者らしき女性が見守っていた。


フェリーを降りた娘は何気なく浜辺を歩き始めた。

しばらく進むと、人も建造物も視界に入らない場所で足を止める。すぐ後ろには緑が生い茂る山があり、目の前には水平線が海と空を隔てている。

不規則で心地よい波の音、心なしか本土で見た海より水が澄んでいて風も穏やかに感じた。


娘は穏やかに揺れる海面を見て深い溜め息をついた。

やっと安心出来る場所に辿り着いた、そう感じたのだ。

そして砂浜に座りカバンの中から薬局で買ったある物を取り出した。先ほどから何度も確認しては元に戻すを繰り返している。

それは陽性反応を示している妊娠検査薬だった。

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