表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/54

あいつの手の平

大丈夫、見つかったと時のシュミレーションはしてある。




『杏奈?杏奈、どうしたの?杏奈!』

電話の向こうで早苗さんが声を荒げる。

私は停止した脳を再起動させ、落ち着いて声を出した。


「ごめん、何でも無いよ」

そう言うと、手を差し出した状態で待っている高橋に受話器を渡し、彼はそれを本体に置いて電話を切った。


「おいで」


高橋は目の前に手の平を差し出し、私のアクションを待っている。

1番見つかりたくない人に見つかってしまい、鼓動が助走をつけ始める。


彼の手に自分の手を乗せると、強い力でぐいっと上に引っ張られ、立ち上がった。

これ以上動揺しないよう、鼻から大きく息を吸い深呼吸を繰り返す。


振り切る事が出来ないように手首を掴まれ、そのまま腕を引かれた状態で私達は事務室を出た。

事務室の隣の面談室の前を通り過ぎて3番目の部屋、プレートの掛かっていない正体不明の部屋の扉を高橋は開ける。

室内は電気が付いており、施設利用者の部屋と同じような造りになっていた。違うのは内装や家具がシンプルな事。

高橋は部屋の中心に配置されたソファに私を座らせた。


「すみません、散らかってて」

少し苛立ちが感じ取れる口調でそう言いながらベッドや椅子の背もたれに放ってあったタオルや白衣を片付けていく。

その様子を見てここは高橋の部屋だと察した。

彼は無地の黒色Tシャツに灰色のスエットパンツを履いており、いつもと違ってラフな格好をしている。

髪もセットしておらず下ろした状態だった。


高橋はパソコンデスクに配置されたキャスター付きチェアを引きずり、私の向かいに座る。

足を組み、何処か高圧的に感じた。


「っ…すみません、忍び込むような事して」

意を決して声を出す。話せるようになったのが嬉しくて母親に電話したくなった、と説明する。

「私、泣き虫だから、人のいる所では電話したくなくて、それで、すみませんでした」

落ち着いていると思っていたのに声が震えてしまう。

大丈夫、この方が反省している感じ出て逆にいいかもしれない、落ち着け、高橋の前でボロを出しては駄目だ、落ち着け。

頭の中でそう繰り返し、いつも通りの自分を見せようと必死に心を支える。


高橋は腕を組みながら無言でこちらを見ている。

「…電話は使って頂いて構いませんよ、面談室をお貸しするので、次からはそうして下さい」

少しの沈黙のあと、言葉を発した高橋はいつもと違う冷たい態度で、胸がしゅんと萎むのを感じた。

「はい、分かりました」

高橋の顔を見る事が出来ず、斜め下を見たまま頭を下げた。


高橋は言葉を続ける事なく、じっと私の事を見ているのが視界のに入って来る彼の顎のラインで感じ取れた。

しばらく沈黙が続き室内の空気が痛く感じ、私は手を動かしたりして落ち着きを無くしだす。


「僕は1つ、君に聞きたい事がある」


話し始めた高橋の声にドキッとし、私は眉毛を上げて彼を見た。




  「後藤さん地下に行きましたね?」




  ——高橋の言葉に音が消え

  心臓が一瞬動きを止める


  強く後ろに引っ張られたかのように

  血の気が引いていき

  

  眼球が細かく振動しだし

  視界が揺れ始めた

  

  



「手術台の上に長い黒髪が落ちてたんですよ、まさかなって思ったけど、コレで腑に落ちました」

高橋は私の手から奪っていったノートの切れ端を見せた。


座っているのに倒れそうなほどの眩暈がする。

体中の血液が冷え、固まっていく。

今自分の置かれたこの状況に逃げ場はないと悟った。


「いつ行ったんですか?」


    ——私、死ぬんだ


「袋の中身は見たんですか?」


    ——殺されるんだ


「ピアスを1つ、持って行きましたね?」


    ——殺される…


「…後藤さん?」


瞬きを忘れてしまったかのように俯いているとポタポタと涙が腿に落ちた。


高橋がため息を吐くのが聞こえる。

彼は私の前のテーブルを押し退けると床に膝を付き、私の手を包んだ。


「聞いてほしい、君は勘違いしている、説明する時間をくれれば君もきっと納得してくれるはず、」


高橋が何か言っているが私の耳には入ってこなかった。

生まれて初めて死に直面し、全てのシャッターを閉じたかのように何も見えなくなっていく。


「君がお母さんに電話した事で君の母親も危険に晒される可能性があることを、」


高橋が何か大事な事を言っている。

聞こうとするが、私の手を握りしめている彼の手に赤黒い血がべっとりと着いているのが見える。


眼球をくり抜かれた自分の顔が浮かび、死にたくないと首を横に振る。


「…後藤さん」


彼の手を振り解こうとするが、力が入らず震えるだけで離す事が出来ない。


「後藤さんっ」


死にたくない…死にたくない…


「杏奈!」


高橋の声でハッとし、奥に逃げ込んだ意識が引き戻される。


「今はもう何も言わないよ、言い訳はしない、ただこれだけは聞いてほしい」


高橋は優しい声でゆっくりと話しだした。


「誰にも君に手出しはさせないよ、絶対に、君を守りたいんだ、君のお母さんもね」


「…ほんと?」


私がそう声を絞り出すと、彼は私の体をぎゅっと抱きしめた。


「怖がらせてごめん、君の事は絶対に傷付けないよ、だって、僕の気持ち知ってるだろ?」


その言葉に私の強張った心がホッと息を吹き返した。


「いいかい?明日の朝、お母さんに電話するんだよ、分かったね?」


その言葉に私はコクコクと頷く。

彼からは甘ったるいタバコの匂いではなく、シャンプーと石鹸の優しい香りがした。


あんなに高橋の事を憎いと思っていた筈なのに、それなのに今は彼が救いに感じる。


気付くと私はガタガタ震えながら高橋の腕にしがみ付いて、ごめんなさいと繰り返し謝っていた。


ピッタリとくっ付いていた高橋の体が少し浮き上がると不意に私の首元にキスをした。


針を刺されたかのように体が反応し、私は小さな悲鳴を上げる。

何でそんな事したのか理解出来ず、戸惑いながらすぐ横にある彼の顔に目を向けた。



チラリと見えたその口元は



笑っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ