表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/54

君の目で見る世界は

「今はマリリン・()()()()聴いてるよぉ」

「マリリン・()()()()?それってあのププッピドゥの人?」

「…ちょっとカナちゃんは黙ってくれる?」

「っんでだよ!扱いの差っ」


私が翔さんにイヤホンでいつも何を聴いているのかと聞いたところ、またもや翔さんとカナちゃんの騒々しい掛け合いが始まった。

ソファの上で胡座をかいてダラける翔さんと組んだ足の上に雑誌を広げているカナちゃん。

夕方の憩いの場、私達以外には誰もいない。


談笑中、カツーンと何かが床に落ちる音がして翔さんがおっと、と言ってそれを拾った。

ソファーの足元に落ちたのは翔さん鼻に着けていた太めのボディピアスだった。

彼は拾ったピアスを拭く事もなくそのまま鼻に開いた穴に差し込むと、カナちゃんは汚ねぇなと目を細める。


「このピアス、キャッチがどっか行っちゃって最近良く取れるんだよね」

「じゃあ着けなきゃ良いじゃん」

「ダメだよ、カナちゃんが俺のこと認識出来なくなっちゃうでしょ?」

「お前の顔をピアスで判断してねぇよ」


0.75倍速で話す翔さんと1.5倍速で話すカナちゃん、話し方も性格も違う2人だが妙に息が合っていて、それを傍らで見ている私は笑ってばかりいる。


「あ、居た、越野さん、面談の時間ですよ、高橋所長が待ってるから早く面談室行きましょう」


3人で話していると、背後から牧内啓太さんの声がして私達は振り向き、ソファの背もたれ越しに彼を見た。翔さんを探して施設中を駆け回ったようで息を切らしている。


「え、そうだったけ?ごめん、忘れてた」

そう言いながらもソファに座ったまま動こうとしない翔さん。

「…えっと、じゃあ行きましょうか」

啓太さんが催促するが、翔さんはうん、と言いながらも動かない。

「早く行けよ、コレ車椅子じゃねぇんだから」

カナちゃんがソファを指しながらそう言うと、彼は人差し指を口に当ててシーと言ってカナちゃんをおちょくる。

それに対してカナちゃんもシーじゃねぇよ、と反発する。


「やだ、行きなくない」

翔さんは子供のようにそう言うと、玄関の方を指差した。

「《《ジュニア》》はあそこに連れて行くんだろ?そこで俺を殺すんだろ?」

真っ直ぐ見られてそう言われた啓太さんは苦笑いを浮かべ、返事に困っていた。

「え、いや、そんな事しないですよ」

若い啓太さんには翔さんの扱い方が分からない様子だった。


『難しく考えないで、話したくなかったら話さなければ良いんだよ』

私はノートに書いて翔さんに見せる。

それを読んだ彼は少し考えてソファーから立ち上がると、重い足取りで啓太さんと一緒にエレベーターに乗って上階へと向かった。


私とカナちゃんはその様子を見守っていたのだが、

あいつほんとイカれてる、とカナちゃんは言うと、退所でもすんのかな、と呟いた。

今まで無かった人に面談の予定があるとそう思うのだろうか。


『ショウさんが居なくなると寂しい?』

私がノートに書いた字を読んだカナちゃんはすぅっと息を吸って一瞬止まった後、「いや、寂しくない」と言った。

強がっているのがバレバレだ。

カナちゃんにはこういう可愛い所がある、だから翔さんも揶揄いたくなるのだろう。

私がふふと笑うとカナちゃんは、なんだよと顔を膨れさせた。



———翌朝、私はいつもの時間に目を覚ます。

まだ日が昇る前の薄暗い中、ほとんど習慣と言ってもいいように私は1階へと向かう。


夜の暗闇に対する恐怖心はまだ拭えないが、早朝の窓などから差し込む微かな光に安心感を覚える。

これは気の持ちようなのかもしれないが、これから明るくなっていくのだと思うと怖く無いのだ。


憩の場に着くと意外な人物が居て、私は立ち止まった。

そこにはいつもの定位置に座る翔さんの姿があり、電気も点けず、足元しか照らしていない保安灯だけが点々としている暗い部屋に1人で静かに座っている。


耳にはイヤホンを着けて片手にはスマホが握られていた。

そっと近づき、彼の顔を覗き込む。

すると彼はゆっくり首を動かし、私を見た。

「お、アカちゃん、夜遅くまで起きてるんだね」

目の下には濃いクマが浮かんでおり、眠れていない事が伺えた。

私はノートを持っていなかったので、指で彼の手に『あさだよ』と書く。

「あ、あさか、、あれ、そっか」

いつも以上にゆっくりとした口調で、頭が回っていないようだった。


私はテラスの方を指差し、外に出る事を提案してみる。

「え、そと?」

彼の腕を引っ張り上げてソファーから立たせ、細い腕を抱えたまま歩き出した。その間、翔さんはえ、ふぁ、などと弱々しい声を出している。


裸足の翔さんの足にクロックスを履かせ、フラフラと拙い足取りの彼の腕を掴んで芝生の上を一緒に歩き、私はお気に入りの場所に着くとそこに彼を座らせた。


日の出前の冷たさを感じる青い世界の中で私達は芝生の上に並んで座り、横一列に視界に入ってくる黒い山脈を眺めた。

「外って、広いね」

胡座をかいて猫背で座る翔さんは感じた事をそのまま口に出しているようだった。


やがて日が登り、山の登頂部から少しづつ光に照らされて山が明るくなっていく。

「うわぁ、まぶし」

そう言って目を細めながらも翔さんは視線を外す事なくずっと前を向いていた。


痩せ細った体に白い肌、髪の毛も白に近い色をしている彼は、朝日に照らされると弱々しさが強調され、消えてしまいそうだった。


力無く開いている目にはどんな世界が写っているのだろうか。

私にはきっと、分かってあげられない。

フラフラでも、ボロボロでも生きてる、彼を見ているとそう感じずにはいられなかった。


静かに正面を見ていた翔さんは突然ぶつぶつと呟き始める。よく聞くと彼は歌を歌っていた。

翔さんが手に握っているスマホを見とと“ART−SCHOOL しとやなか獣”と表示されている。今日はマリリン・()()()()ではないようだ。


しばらく歌を口ずさんでいた翔さんは静かになり、私は彼に目を向けると腕を組みながら頭を力無く前に倒し、眠っていた。

私は着ていたカーディガンを脱いで、彼の背中に掛ける。


眠る彼の顔を見たら何だかホッと心が安らいだ。





———蛇腹状に開くテラス窓を開けて室内を確認すると、やっぱり、居た。


「あ、おはようございます、後藤さん」

給湯室の中で高橋所長がコーヒーを飲んでいる、彼の習慣だ。

私は小走りで彼に近づき、中庭を指差して来て欲しいとジェスチャーした。


「ん?どうしたんですか」

コーヒーをカウンターに置き、給湯室から出てくると私は両手を合わせて頰の横に付けて首を傾げ、“寝てる”というジェスチャーをした。

“ん?”といった顔で微笑み、少し戸惑いながらも彼は私の後に続いて中庭まで出た。


「あれ?越野くん?」

背中を丸めて座る金髪の後ろ姿で高橋所長は誰だか察したようだ。

日の出を見るため外に出てから1時間ほど経つが、揺すっても叩いても翔さんが起きないのだ。

このまま放って置くわけにもいかず、困った私は起こして貰おうと高橋所長に頼る事にした。

所長は、良く寝てるなぁ、と言うと翔さんの前で屈み翔さんの組んでいた腕を解くと自分の肩に乗せてひょいっと彼を背中で持ち上げた。


高橋所長に比べると小柄で華奢な翔さんの体は軽々と背負われ、力無く所長の背中に体を預けている。

声掛けで起こすかと思っていた私は高橋所長の行動には少し驚いてしまった。

翔さんはう〜んと唸り、意識はあるのに起きようとする気配はない。


所長は苦なく歩き出し、施設の方へと向かった。私は翔さんが落ちないように横で手を添えて彼をサポートする。


彼等が通れるように窓を大きく開け、脱いだクロックスを棚に戻し、処置室の前まで来ると高橋所長の首から下げているネームプレートで開錠して室内に入った。

処置室の中は病院の入院病棟のようになっていて、高橋所長はベッドの上に座るとゆっくりと翔さんを下ろした。


「越野くんがこんなに熟睡するのは珍しい」

私が翔さんに布団を掛けていると高橋所長が言った。

「後藤さんは人を癒す力があるのでしょうね、現に僕も癒されてますし」

そう言われ、何だか照れくさくなってしまった私は足元を見ながら照れ笑いをした。


すると、高橋所長は翔さんに掛けていたカーディガンを私の肩に掛けると「そんなに優しいと勘違いされますよ?」と言って私の体を包み込むようにカーディガンの両端をきゅっと引っ張り、顔を覗き込んだ。


発言の意が良く分からず、いつもとは違う真剣な顔をする所長に対してどう反応すべきか困っていると、扉がガタンと音を立てる。

そこにはいちごちゃんが立っていてこちらを見ていた。

やばい、と思った私はさっと足を後ろに引いて高橋所長から離れ、ペコリとお辞儀して部屋を後にした。

いちごちゃんの横を通る際も彼女は私から視線を離さず睨んでいる事が視界の端に浮かぶ彼女の顔でわかった。


最悪だ、また彼女の逆鱗に触れてしまうなんて。

早朝にコーヒーを飲む高橋所長の習慣に合わせて彼女も一階に来ることをすっかり忘れていた。

いつもなら鉢合わせしないように早めに自分の部屋に戻るのに、今日は回避出来なかった。


そそくさと部屋へ戻ろうとした時、テラス窓が開けっ放しの状態だった事に気づき、早くこの場から去らなきゃと焦りながらも私は窓を閉めに向かう。

蛇腹状に開く窓は二重構造で重たく、開閉するのに少し力がいる。

力を加えるため体を斜めに傾けて窓を動かしていると、足元に何か違和感のあるものが視界に入った。


それはカラフルな緑色の紐だった。外側のテラスに設置されている靴棚と窓の間にソレは見えている。

私は反対側に回り、靴棚を動かしてみると窓とウッドデッキの隙間に入り込んでいるのが確認できた。


緑色の紐を摘んで引っ張り出すと、紐の先には従業員のネームプレートが付いていた。

プレートの顔写真を見ると以前、無くしたと言っていた女性の物だった。


私はそれを手に持ち、取り敢えず部屋に戻る事にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ