表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/54

近づく距離

鏡の前で髪をとかし、スカートのシワを手で払って形を整え、身支度を済ませた私は1階へと向かう。


自動ドアの前には高橋所長が立っていて、小脇にはシンプルで小ぶりなボディバッグを抱えワイシャツにネクタイ、首にはネームプレートを下げている。彼は私に気付くとスマホに落としていた目線を上げた。


「おはようございます、後藤さん」

そう挨拶すると、彼は私をじっと見て荷物はそれだけですか?と聞かれたので私は頷く。


荷物というか私の持ち物はノートとペン、それとこの施設に来る際に緊急で用意したお財布なのだが、早苗さんがカード入れとして使っていた白黒の水玉模様の小さな巾着袋にお金を入れている。


自販機で飲み物が買えるように、と早苗さんが入れてくれた小銭がジャラと鳴った。

島にいた頃はコレがお財布でもおかしく感じなかったが、所長は何処か笑いを堪えているかのように唇を噛んでいた。


「では、行きましょうか」

高橋所長は自動ドアを開錠し、私は彼の後に続いて一歩踏み出すと久しぶりの“外”って感じがした。

何処からか聞こえる小鳥の囀りが胸の内を代弁してくれているかのようだ。

スリッパから靴に履き替え、玄関を出た私達は車まで一緒に歩く。


「車に着きました、どうぞ」

そう言うと彼は助手席のドアを開ける。相変わらずスマートで大人な対応だ。

高橋所長の車は白色のSUVで、車には詳しく無いのでよく分からないがエンブレムは“L”を斜めにしたような形をしている。車内は事前にエンジンが掛けられていて、冷房が効いて快適な状態だった。

高橋所長は運転席に乗り込むと運転しやすいようにシャツの袖を肘の辺りまで捲り「じゃあ、出発しますね」と言ってシフトレバーに手を掛けると車は動き出した。


私と所長の間にはシフトレバー以外にタブレットみたいに大きなカーナビがあり、そしてドリンクホルダーには飲み物が2つ、しっかりと用意されている。

「牧内さんからお話を聞いた時は嬉しかったんですよ、今日は仕事というより休日の気分です」

楽しいドライブにしましょうね、と笑顔を向けると私は頷いた。


木陰が降り注ぐ木のトンネルの道を通り抜け、舗装された道路に出ると、強い日差しに照らされたアスファルトとライトグレーの補強土壁が目に入り、少し眩しく感じ目を細めた。そして車は山道のカーブだらけの道を下って行く。

施設に来る時は崖側だったので気付かなかったが、山壁側には土砂などを堰き止める役割を担っている補強壁はほぼ垂直に聳え立っていて、ツタなどの匍匐性植物がどこから生えているのか分からないくらい上から垂れている。


壁と道路の境目からはアスファルトを突き抜けて草が生えており、綺麗に整備された花壇も素敵なのだが、こういった手付かずの自然や夏の雑草には強靭な生命力を感じる。

私は車の助手席の窓から流れる夏の景色を堪能した。


運転中、高橋所長は学生の頃の話などをしていて解剖実習では半数以上の生徒が嘔吐したり失神するなどで異様な現場だったと話す。

現役医大生の私はその話に興味を持たずにはいられなかった。


「その実習の後しばらくはスーパーの精肉コーナーに行けなかったです」

ユーモアを交えて話す高橋所長に、私は時折笑いながら相槌を打つ。


道路の両側に木々が連なっている道をしばらく走っていると、開けた場所が目に入る。そこには“ひまわり畑はこちら”と矢印の書かれた案内板が立ててある。

砂利が敷き詰められた駐車場に入ると他にも車が何台か停まっていた。


「到着です、思ったより早く着きましたね」

車を駐車してシフトをパーキングに入れると、高橋所長は腕時計を見ながら言った。


彼はシートベルトを外した流れで首から下げてるネームプレートを手に取り、これは置いておこうと言って外したネームプレートをドアポケットに入れて車を降りた。


外の空気は夏らしく湿気を帯びた重たいものだった。辺りには蝉の鳴き声が大きく響き渡り、強い日差しと大量の蝉が成す轟音に夏の“圧”を感じる。


「受付してくるので日陰で待ってて下さいね」

高橋所長はそう言うと受付のためログハウスのような建物に入って行く。

私は外で販売用の花の苗を見て待つ事にした。マリーゴールドやジニアなどのカラフルな夏の花の苗が並んでいる。


「お待たせしました」

高橋所長の声がして振り返ると、パサっと頭に何かが乗っかり私は手で取ると、それは麦わら帽子だった。

カンカン帽型でピンク色のオーガンジー素材の大きなリボンが付いている。そのレトロで可愛いデザインの帽子をくるくる回して見ていると、「受付がちょっとした雑貨屋さんになってて思わず買ってしまいました」と高橋所長は言う。


私は申し訳なさそうに彼を見ると、気にしないで下さいと手を振る。

「夏の日差しは危険ですから、後藤さんは帽子を持ってないようですし被ってて欲しいんです」

そう言って彼はバッグから折り畳まれたサファリハットを取り出して、僕はコレがあるので、と言って被った。


私は深くお辞儀して感謝を伝えると、帽子を被った。

「うん、良く似合ってる、これは皆んなには内緒でお願いしますね」

その言葉にいちごちゃんの事が頭を過り、私はコクコクと頷いた。


「あら、高橋さん?」

後ろから女性の声がしたので振り向くと、ひまわり畑を見た帰りと思われる年配の夫婦が立っていた。

「どうも、こんにちは」

いつもの笑顔で挨拶して頭を下げる高橋所長。

どうも、お世話になっております、と夫婦も彼に頭を下げる。

3人で何やら話し始めたので私は道行く人の邪魔にならないよう高橋所長の背後に回った。

平日という事もあり人は多く無いが、年配の方や小さな子供連れの親子などが居る。


「彼女さん?可愛い子ねぇ、お人形さんみたい」

奥さんの方がそう言うと私は自分の事を言われていると気付いたがリアクションに困ったので下を向いて聞こえないフリで誤魔化した。

「えっと、違うんです、彼女はご利用者さんで」

高橋所長も少し戸惑いながら答える。

「あらぁ、そうなの、カップルかと思ったわ」

女性はうふふ、と笑うとお邪魔しちゃ悪いわね、と言って別れの挨拶を交わし夫婦は帰って行った。


「お待たせしました、さ、行きましょうか」

高橋所長と私はひまわり畑のある方へと体を向ける。匍匐性の植物が絡まったアーチ状のゲートを潜ると、眼下には黄色いひまわりが広がっていた。

黄土色をした校庭のグラウンドみたいに固い土で出来た歩道があり、歩道の両側には綺麗に整列した肩ほどの高さのひまわりが植えられている。


晴れた夏の青空に黄色い花と緑の葉が良く映えて、奥の方に聳え立つ山々もより壮大に見える。

ゆっくり歩きながらその景色を眺めていると背後でカメラのシャッター音が聞こえ、振り返ると高橋所長がスマホでひまわりを撮っていた。


「記念にどうですか?後藤さんはスマホをお持ちでないようですし、撮りましょうか?」

私の視線に気付いた高橋所長はそう言うとスマホをこちらに向けた。


——その瞬間、凄まじい拒絶を感じた。


意図せず力が入ってしまった首をガクガクと横に振りながら手を大きく振って必死に嫌だとアピールする。



あの夜の出来事が頭を過ぎる。


真っ暗闇の中を必死に走り逃げ回った記憶。

全身を駆け巡る焦燥感。

西森さん達の笑い声、追い詰められた時の絶望感。

嫌な鼓動が全身を揺らす。


こんな事で感情が暴走するとは思いもしなかったので、私はその場で体を硬直させ、動けなくなってしまった。


「嫌なんですね、カメラが」

高橋所長は私の異変に気付き、スマホを下ろす。彼は私の手を引いて木の下に設置されたベンチまで移動するとそこに座らせた。

「すみません、怖がらてしまって」

私は俯きながら首を横に振る。

施設で過ごして心が癒え本来の自分を取り戻しつつあると思っていたのに、こんな事で取り乱してしまう自分が情けなくて、悔しく感じる。


私がグッと手を握り締めているとしばらく様子を見ていた高橋所長は静かに口を開いた。

「誰にでも苦手な物や怖い物はあります、それを無理に克服する必要は1つもないんですよ」

そう言うと彼は笑顔でスマホの画面を私に見せた。

そこに映っていたのは風に飛ばされないように帽子を押さえながらひまわりを見る私の横姿だった。

それを見た私はあからさまに嫌な顔をすると高橋所長は笑いながら、「すみません、怒らないで下さい、消しますから、綺麗に撮れたんだけどな」と言いながら目の前で削除して見せた。


何ともお気楽な態度だが、彼のこの対応は私にとって救いだと感じた。

大きく構えててくれるとこちらも冷静になれるし、私の感じていた焦慮は“大した事ではない”と思えてくる。


私が取り乱す事は予想していなかった事態のはずだが、大事と捉えず落ち着いて対応する高橋所長には感謝した。

しかも私の気持ちを切り替えるために敢えてこのタイミングで写真を見せて自分が怒られる立場を作ったように感じる。

そうだとしたら高橋所長は人の望む事、物を瞬時に解析してそれを与え、導ける人なのかもしれない。

夏の強い日差しを避ける為には日陰が必要なように、彼にはその時々に応じて自分が何をすべきか分かっているのだろう。

牧内さんの言う“皆んなの人気者”の理由はこれなのかも。

——それか翔さんが言うように彼は完璧な高性能ロボットだったりして。

今は太陽光で充電中で、なんて考えていたら可笑しくなってしまい、ふふと笑えてしまった。

組んだ足の膝を抱えるように座っていた高橋所長は“ん?”といった顔をしながら微笑んでいる。


鼓膜を揺らす蝉の大きな鳴き声に包まれながら私達はしばらくベンチに座って過ごした。

背の高いひまわりは猫背のように頭を倒して揺れている。


「真夏に長時間野外にいるのは危険ですし、そろそろ行きますか?」

高橋所長がそう言うと私は頷いた。

「はい」

先に立ち上がった高橋所長は私に手を差し伸べる。少し戸惑いながらも彼の手の平に自分の手を乗せるとぎゅっと手が締め付けられた。

そのまま指を絡ませたカップル繋ぎになり、これではまたカップルに間違われてしまいそうだ。普通に歩けるのに、と思ったがここで手を振り解いても失礼かと思い私は流れに身を任せる事にした。


不思議な事に、以前のような拒否感は感じない。

私達は車に着くまで、手を繋いだまま歩いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ