妄想と現実
「この施設ってさ実は地下講堂があって、そこで怪しげな集会が行われているんだ」
カップにお湯を入れていると、翔さんがカウンターに肘を掛けながらそう言った。
「またに入所者が消えるのはきっと生贄になってるからなんよ」
「くだらん、皆んな家に帰ってんだよ」
クッキーを食べながらカナちゃんがすかさず否定する。
私は紅茶のティーバッグを上下させながら翔さんの話を聞いていると、彼は続けた。
「あの扉、怪しく無い?受付は給湯室から入れるのに受付の横の扉は何?」
確かに、彼の言うように入り口から入ってすぐ左には扉が一つある。
「この前トビーが牧内ジュニアに車椅子で連れて行かれる所見たんだよ、深夜に真っ暗な中…」そして「あの扉は地下の礼拝堂に繋がっていて高橋を中心とした黒魔術が行われている」と翔さんは言う。
「なんだその妄想、トビーは帰ったって聞いたぞ、お前ラリってんのか?脳内に麻薬製造機でもあんのか?」
「カナちゃんは大丈夫、だけどアカちゃんは汚れの無い処女だから心配、生贄にされそうで」
「おい、まるで私が汚いみたいじゃんか」
カナちゃんは顔を近づけて翔さんに凄むが彼は気にする素振りを見せず、扉のある方を見てぶつぶつと何か言っている。
「妄想スイッチ入ったな」とカナちゃんはため息を吐いた。彼女は翔さんのこの状態に慣れているようだ。
「越野くん、素晴らしい推理だよ、君の前世はシャーロックホームズに違いない」
「いや、シャーロックホームズは実在した人物じゃねぇし」
給湯室の中で包装シートの薬をハサミで切っていた唐田さんが言うとカナちゃんは食い気味で話を遮った。続けて「また飲んでる」と呟く。
唐田さんは目の周りが赤くなっており、瞼もトロンとしていた。
「もう、唐田ちゃんはここの従業員じゃなくて利用者の方が向いてるよ、アル中の治療しな?」
カナちゃんがストレートな発言に私は少しヒヤヒヤしてしまった。
「大丈夫だよ、私は働いてる方が気が紛れるから」
「いや、紛れてないから飲んでるんでしょ?」
「大丈夫、これは一時的なものだよ、それにね、いい歳した大人は自分で解決しなきゃ」
ヘラヘラしながらそう言う唐田さんを見ていると、辛いのは仕方がない、といった諦めのようなものを感じる。
「俺もそのうちあそこに連れて行かれて殺されるんだ…」
「はいはい、それは今じゃないから大丈夫だから」
翔さんはまだ妄想から抜け出せないようでそんな発言をしているとカナちゃんは翔さんの腕を引いてソファーに座らせた。
私は首を伸ばして翔さんの言う扉を見ていると、気になるの?と唐田さんに聞かれて頷いた。
「確かに、この施設は入れ替わりが多いからそんな妄想もしたくなるよね、まぁ大抵は帰宅や転院とかなんだけど、…その他は越野くんが言うようにお星様になったりもしてるよ」
その言葉に私は眉毛をピクリと動かして唐田さんを見るが、彼女は黙々と薬を切っている。
すると彼女は「まぁ、こんな施設だからねぇ」と言って笑い出した。
ここは精神疾患を抱えた利用者が多く滞在している施設、誰かが亡くなるのは不思議ではないのだろう。だが、酔っ払いとはいえ唐田さんの発言には鳥肌が立ってしまう。
一度笑い出した彼女は止め所を見失ったようで「この施設はね、」と独り言を言いながら肩を揺らしている。その姿は少し異常に感じた。
「あ、後藤さんは大丈夫だよ、ちゃんと生きて帰れるタイプだから」
ハサミで私を指しながら、彼女はそう言った。




