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不完全な私達

「なるほどね、お友達にお土産を買いたいのね」

牧内さんが私の書いた外出申請書を口に出して読んでいる。


私は希望するスタッフの欄に牧内さんの名前を書いたので彼女に目を通して貰っているのだが、簡潔に書いたつもりなのに何故かうーんと言って考えている素振りを見せた。


「村の外れにね、ひまわり畑があるのよ、良かったらそこも行ってみない?」

ちょっとした気分転換に道の駅まで行ければ良かったので想定外の提案に一瞬考えたが、まぁついでだしいいかと思い私はコクリと頷いた。

それとね、と言って少し周りを気にして口に手を当てた牧内さんは「私じゃなくて所長と行ったらどう?」と小さな声で言った。


私は思わず中庭に居るいちごちゃんに目を向ける。まさか室内の話し声まで聞こえているとは思わないが、それでも“所長”というキーワードが出てくると彼女の事を警戒してしまう。


私は首を横に振って“あたながいいです”と伝えるため両手の平を上に向けてくいくいっとやって見せた。


「あら、所長はいい車に乗ってるから快適なドライブが出来るわよ〜啓太が振動が少なくて静かで良かったって言ってたわよ」

男性と車内で2人きりは気が進まない、男性というか高橋所長だから余計にそう思えるのかもしれない。彼といると調子が狂うのだ。


私が俯いて考えていると、牧内さんはいいじゃない、とさらに押してきた。

「所長はね、実はこの辺の出身じゃないの、だから近隣の観光とかした事ないのよ、後藤さんが行くきっかけになってあげて」

あまり乗り気はしなかったが、ここで我を通して突っぱねても高橋所長に失礼だと考えた私はぎこちない笑顔を作りながら頷いた。すると牧内さんは嬉しそうに笑って「じゃあこの用紙は預かっておきますね」と言って何処かへ行ってしまった。


「押しに弱いね〜アカちゃんは」

後ろの方から聞こえたのはカナちゃんの声だった。いつもの席に座っているピンク色の後頭部が見えるが、その横に翔さんの姿は無い。

私は彼女の元に歩み寄る。


「伊集院が知ったら血の涙流すなこりゃ」

私が横に座るなり、彼女はそう揶揄ってきた。

彼女の言うように、いちごちゃんに知られたらトラブルになりかね無い、私が血を流す事になるかもしれない。

高橋所長との外出は知られないようにしなければ。


私が何気なく翔さんの定位置のソファーをじっと見ているとカナちゃんがそれに気付き、気になるの?と聞かれた私は頷いた。

ここ数日、翔さんの姿を見ていない。食堂にも顔を出さないからどうしているのか気掛かりだ。


「大丈夫だよ、あいつ、たまに引き篭もる事あるから、そのうち出てくるよ」

カナちゃん曰く、食事は看護師さんが栄養価の高いスープを部屋まで持って行き食べさせているそうだ。


外の陽が傾き、窓枠の影が室内に伸びて私達の足元まで届いている。

室内を他に利用している人はおらず、開放感のある広い空間はとても静かだった。


『誰しも気分が沈んじゃう事はあるもんね』

私がノートに書いて見せると「そうだね…」と呟き、少し間を置いてカナちゃんは話し始めた。

「一度沈むとなかなか這い上がって来れないんだよね、私らみたいな人間って…頭の上に土嚢を積まれたみたいに重くなっていくんだよ、で、どんどん沈んじゃうの、普通の人ならそれを退けて気持ち切り替えたりとかするんだろうけど私達にはそれが簡単に出来ない、頭ん中ぐちゃぐちゃになっちゃうんだよね、なんでだろう」

淡々とした口調でそう言いながら頬杖を付いて雑誌を捲る彼女の腕には苦しんだ証が刻まれている。


過去に嫌な思い出やトラウマを多く抱えている人間は沈んだ時に底から湧き上がってくる“負”が多くてそれに引き摺り込まれてしまうのでは無いだろうか。

そのせいで簡単には上がって来れなくなる、なんて、ただの素人の考えだけど。


彼女達が沈んでしまった時はどんなに苦しい想いをしているのだろうか、分かってあげられない自分が無力に感じる。


『疲れちゃうね』私がノートに書くとカナちゃんは口を尖らせて「うん、疲れる」と答えた。

『でも、深く沈んだ人の方が戻ってきた時の達成感とか開放感が凄そうだね』

ノートに書くとカナちゃんは「何だよそれ、登山じゃないんだから」と微笑む。


「あいつが戻ってきたら高橋と外出する事、真っ先に報告するわ」

揶揄うようにカナちゃんが言うと私は慌てて首を横に振る。それを見てカナちゃんは悪戯っぽく笑った。


そんな風にカナちゃんと話をしているとポーンとエレベーターの到着する音がして私達は何気なくそちらに目を向ける。

エレベーターから出て来たのはタバコを咥えた沢村さんだった。片手には箱とライターを握りしめている。

沢村さんは私達と目が合うとすぐに目を逸らした。それはとても友好的とは言えない態度と目つきで彼は自動ドアを開錠すると外に出て行った。


「あのヤクザまだ居たのかよ」

カナちゃんの発言にえ?といった表情をしていると「いかにもヤクザって感じじゃない?あの沢村ってやつ」とカナちゃんは言う。


「あいつ嫌いなんだよ、顔こえーし態度デカいし、経営コンサルがそんなに偉いのか知らんけど高橋はいつもあいつに絞られてるし」

『カナちゃんでも怖いものあるんだね』

私がノートに書くと「え、私の事何だと思ってる?」と苦笑いを浮かべる。

褒めたつもりなのだが違ったのだろうか。私はノートを抱えて首を傾げるとカナちゃんはぶはっと吹き出した。




———翌日、牧内さんが訂正と加筆された外出申請書を持って部屋を訪れる。


「所長ね、今週は新規の入居者の施設案内とか学会で東京に行く用事とかあるから、来週になっちゃうって言うんだけど、いい?」

じゃあ牧内さんに変更で、と言いたい所だが、困らせたくないので私は頷いた。


「良かったわ〜」

そう言うと牧内さんのスマホのアラームが鳴り、もうすぐ6時だと気付いた私達は食堂まで一緒に移動する事にした。


私と牧内さんは2階の食堂まで一緒に移動するその間、「所長との外出は素敵な思い出になるわよ」とずっと囃し立てている。

私と所長を一緒にさせたいのだという牧内さんの魂胆はバレバレだ。でも何故なのかは分からない、私は10月になったらここを離れるのに。


そう言えばこの施設ではパッタリと見なくなった人が居るが、彼らは退所したのだろうか。話した事もなく、親しいわけでもないから私の知らない内に出て行く事は不思議ではないが共同生活しているのに呆気ないな、と思えてしまう。


そんな事を考えながら歩いていると食堂に到着し、私はカナちゃんの横で食事をする金髪の青年の姿が真っ先に目に入った。

足早に自分の席へと向かう。

彼はいつものように体を前に倒し、面倒くさそうに食事している。

カナちゃんが肘で突くと顔を上げた彼は私に気付き、ビーフシチューをかき混ぜていたスプーンの先を上げてフリフリと振って挨拶した。

ビーフシチューは逆流して指やテーブルに飛び散っている。

虚な顔をした彼にそれを気にしている素振りはなく、カナちゃんも言及していない。


まだ、本調子では無さそうだ。

それでも翔さんの姿を見る事が出来て私は安心した。




———次の日、私は借りた本を返すため憩の場に向かうといつもの席に座る翔さんの姿が目に入り、私は彼の元に駆け寄った。


「おぅ、アカちゃん」

いつもの気怠そうな喋り口調、昨日よりは調子が良さそうだ。


翔さんは指先を忙しなく動かして、手元を覗くとティーバッグの四角い包み紙を使って折り紙をしていた。

ゴツゴツとした手で小さな紙を器用に折っていく翔さん、私は隣に座りその様子をじっと見ていると、「今、鶴折ってる」と言ってまるで子供のように口を尖らせて目の前の小さな紙に神経を集中させている。

胡座をかいていた翔さんは体を前倒しにして更に細かい作業へと突入する。


「あーちょっと待って」

焦りの混じった女性の声が聞こえ、声のした方に顔を向けると従業員がネームプレートを機械に当てて自動ドアを開錠した所に他の従業員が一緒に出ようと声を掛けていた。


「あんたまだネームプレート再発行してないの?」

「だって事務のおばさんうるさいし、めんどくさくてさぁ、多分家のどっかにあると思うんだよね」

そんな会話をしながら彼女達が向かっている外には、牧内啓介さんが施設の利用者と一緒に荷物を持って車に乗る姿が見えた。


そこには高橋所長の姿もあり、周りにいたスタッフは作業を中断して駆け寄り「元気でね」などと声を掛けながら別れの挨拶をしている。

私は退所する人に初めて遭遇したのでその様子をじっと見ていると、見送りを終えて施設の方へ向きを変えて戻ってくる高橋所長と目が合った。

彼はニコッと笑って手を振り、私も軽く会釈をした。


「できた〜」

作業が終わって翔さんは体勢を戻す。ソファーの背もたれに彼の後頭部が当たり、完成した小さな折り鶴を手の平に乗せて私に見せると、私はパチパチと拍手した。

自動ドアの開く音がしてチラと目を向けるとそこには高橋所長が立っていて、翔さんを見て一瞬冷めたような笑顔を見せた後、私と目が合うといつもの優しい表情に戻り階段で上階に向かって歩いて行った。


「はい、アカちゃんにあげるよ」

私は差し出された折り鶴を受け取る。

「お守りになるようにチン毛を中に入れておいたから」

それを聞いた私はそっと指で摘んで彼に返した。

「要らないの〜?じゃあカナちゃんにあげよ」

翔さんはそう言って折り鶴をポケットに仕舞い込んだ。


『しばらく顔見なかったけど、調子はどうですか?』

私はノートに書いた文字を彼に見せる。

「うん、ダルくなっちゃって取り敢えず部屋の中で息だけしてた、もういいよ、調子は」

『よかったです、こもってる間は面談とかしなかったの?』

「面談?面談ねぇ、してないよ、面倒くせぇし、高橋は良いやつだけど」

そう言うと少し間を置いて「高橋はいい奴で完璧だよね」と言った。


「俺は高橋が怖い、完璧すぎて、自分と違いすぎて」

『怖い?』

「そう、完璧な人間ってさ自信に満ちてて、両手を広げてこっちに迫って来てるみたいでさ、お前はどうだ?俺みたいに出来るか?って威圧されてる気分になる」


私が黙って聞いていると「あいつは人間じゃない、高性能ロボットだと思う」と言った後、「俺なんかは出来損ないで産まれたからあいつとは正反対なんよ、周りの人間に《《道具》》として扱われてきたからさ」

その言葉を聞いて先日の翔さんの発言が頭を過ぎる。


何だかもどかしく悔しいような気持ちになった。

私は翔さんの事出来損ないだなんて思っていない、あなたが居ないと寂しく思う人間がいる事を伝えたい、でも自尊心の低い人間は褒められたり、自己評価を否定されるのを嫌だと思う人もいる。


『完璧が全ていいとは限らないよ、私は不器用でも人間らしさのある人が好きだよ』

私はノートに自分の考えを短く書いて翔さんに見せると、それを読んだ彼は少し驚いたような表情をした。


「ダメ、俺、アカちゃんの事抱けないよ?」

どう解釈してそんな言葉が出て来たのかは分からないが彼にそう言われ、何故か私は突然フラれてしまった。

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