故郷
早く伝えたい、その一心で走った。
浮いてしまいそうな感覚に足が縺れながらも必死に足を動かす。
島で唯一の郵便局に通い詰めて、待ちに待った手紙がやっと届いたのだ。
潮風を切りながら水平線を突っ切るように海沿いの道路を駆け抜けて行く。
やがて朝日が昇り、辺りを明るく照らしていき、海面がキラキラと弾けて増殖するように輝きだした。
——「早苗さん、合格したよ!」
家に着き、玄関を勢い良く開けると私は体よりも先に声を中に通した。
すると「きゃ〜!」と歓声を上げながらオタマを持った早苗さんが奥から走って来た。
早苗さんは封筒ごと私を抱きしめ、2人できゃっきゃっ言いながらその場で跳ねて喜んでいると、2階から子供達が眠たそうな顔を覗かせた。
玄関と向かえ合わせになっている階段から1人降りて来る度に「杏奈ちゃん、大学合格したの?」と聞かれ私はそれに答え、おめでとうの言葉にありがとうを返していく。
「今夜はお祝いよ!」
早苗さんの言葉にみんな喜び、まだ陽の光が届いていない室内を子供達の声が明るく変えていく。
今、この家には9歳から14歳までの子供8人が一緒に暮らしている。血の繋がりはなく、ショートステイでこの家に来ている施設の利用者だ。
入所期間はバラバラで、夏休み等の長期休みを利用して来る子もいればそうじゃない子もいる。
みんなそれぞれ事情があってこの島に来ている。
イジメや家庭の問題、犯罪に巻き込まれたり犯罪まがいの事をしたり…住んでいた環境から抜け出す必要のある子達がここには集まっているのだ。
心に深く傷を負い、この島に来た当初は誰とも目を合わさず口もきかなかった子も、美しい海と緑に囲まれた大自然の中でゆっくりと流れる時間を感じ、同じような境遇の仲間達と過ごすうちに次第に心を取り戻していく。
最初はヘルメット無しで原付バイクに乗ったり、トラックの荷台に平然と人が乗っている島の光景に驚き、家族のように話しかけてくる島民に戸惑う事しか出来なかった子も、次第に受け答え出来るようになっていく姿を見ると私も嬉しくなる。
私の場合はショートステイではなく親と死別して身寄りがいなかった為、4歳の時に早苗さんに引き取られ、早苗さんは私のお義母さんになった。
この短期入所生活援助施設〝山と海とこどもの家〟を運営しているのが早苗さんで、みんなの母親的な存在だ。
早苗さんは明るくて元気で常にエネルギーに満ちた太陽みたいな人、世話焼きだが過干渉はせず相手が心を開き歩み寄って来るのをどんと待ち構えている、そんな人。
早苗さんの旦那さんは20年前に海難事故で亡くなっており、女手一つで実の娘2人と私を育ててきた逞しい人だ。
日が暮れると家の中はお祝いの準備で賑わい始めた。
早苗さんが大量の唐揚げを作っており、私はその後ろで手伝いをする、いつもの光景なのだが杏奈ちゃんは座ってなよ、と言われ居間に座らされてしまう。
「杏奈おめでとうー!」
「可愛い妹のお祝いに来たわよ!」
玄関が開く音とほぼ同時に元気な声が聞こえてきた。
早苗さんの2人の娘で私のお義姉さんにあたる、香さんと理恵さんがケーキを持って駆け付けてくれたのだ。
「もう島中が杏奈の話題で持ちきりだよ、この島で初めての医大生が誕生したって」
「夢に一歩近づいたね、おめでとう!」
香さんと理恵さんは2人とも島に居る男性と結婚しお嫁に行っているのだが、時々私達の様子を見に来てくれる。
早苗さんに似て元気で明るい人柄で、3人が揃うととても賑やかだ。
姉達が加わった事で家の中が一層明るくなり活気に満ちていった。
————
テーブルに隙間なく並べられたご馳走を気の知れたメンバーで取り囲み、お正月のような賑やかな夕食を終えて家の中の空気が少し落ち着いた頃、早苗さんが居間のドア越しから私に小さく手招きするのが見えた。
「杏奈、ちょっとおいで」
私は早苗さんの方に駆け寄るとそのまま一緒に外に出て、庭の松の木の前で立ち止まる。
辺りは暗く、月明かりだけが私たちを照らしている。
外は優しい波の音に満ちており、家の中の音が遠くに感じた。
「杏奈、あんたは本を良く読むし賢い子だとは思っていたけど、それだけじゃない、本当に努力家だよ。頑張ったね。」
「ありがとう」
早苗さんに改めて褒められ、私は少し照れてしまった。
「親バカに聞こえるかもしれないけど、あんたはすごく美人よ。それは武器にもなるし、障害にもなる、都会に行けば色んな人がいて…」
早苗さんは言いたい事を上手くまとめられないようで話の途中でため息をついた。
彼女の心配や不安な気持ちがひしひしと伝わってくる。
「こんな脅しみたいな事言ってもしょうがないわよね、杏奈は賢いし強いからきっと大丈夫!やって行けるわ!」
「うん、私は大丈夫だよ、不安よりも楽しみな気持ちの方が強いもの」
彼女を安心させる言葉を探したが、気の利いた言葉が浮かばなかった。
「でもね杏奈、医者なんて何時なっても良いんだから辛くなったらいつでも帰って来てもいいからね、無理だけはしないでね」
「ありがとう早苗さん、本当にありがとう」
私がそう言うと早苗さんは泣きそうな顔を隠すかのように手に持っていた紙袋に視線を落とした。
「そうそう、プレゼント用意したのよ、大学行ったら必要でしょ」
受け取った紙袋の中を覗くとそこにはリボンの付いたノートパソコンが入っていた。
私は予想していなかったプレゼントに肩をすくめてしまう。
「こんな高価なもの受け取れないよ…」
「何言ってんの、今時の大学生でパソコン持ってない人なんて居ないわよ、ほら受け取って」
そう言って早苗さんは笑った。
私はプレゼントを受け取ったが嬉しいという気持ちよりも申し訳ない気持ちの方が強かった。
私が医者を目指しているのはこの島に医者がいないからだ。
みんな体調を崩すと本土か隣の島まで行かなければならない、急を要する際にはとてももどかしい想いをしている。
助かるかもしれない命を高齢だからなどという理由で見送らなければならない、そんな場面に何度か遭遇した事がある。
子供ながらにそれが悲しくて仕方なかった。
その悲しみと自分の無力さに対する悔しさが私の医者になりたいという気持ちを高みに押し上げた。
何年かかるか分からないが、この島に病院を作る、それが私の夢だ。
私は他の子供達と違って親からの継続的な支援はない。
本来なら孤児院に行くところを早苗さんが引き取ってくれ、何も持っていない私に島の人達は洋服や靴などを寄付してくれて、現にさっきまで噂を聞きつけた島の人達がリュックやスーツケースを使って欲しい、と持って来ている。
他人の私を気に掛けてくれる心優しい島民と早苗さんに私は恩返しがしたい。
「私、絶対にお医者さんになって帰ってくるよ、だってこの島が私の家だもの」
私は改めて自分の決意を口にし、目標を果たすと早苗さんに約束をした。




