病的な個性
「っざけんな、このホモの薬中め、クッキーの粉でも吸ってろ」
なんともなパワーワードが聞こえて思わず振り向くと、ピンク髪の女の子が金髪タトゥーの男性にクッキーを投げつけていた。
修羅場といった感じではなく、男性はくくくっと笑っている。
「俺バイだからカナちゃんの事抱けるよ?」
「キモッ、ばか、黙れ」
2人は中庭を見るように配置されたソファーに座っていて、隣接した席ではなく人が1人通れるほどの通路を挟んで隣合っていた。
話している内容はキツいが、たぶん仲良しなのだろう。
私は本を借りたくて憩の場に足を運んだのだが、2人の会話が気になってしまい本を選ぶ手が止まってしまった。
「ちょっと、また飲んでるでしょ?」
ピンク髪の子が近くにいた唐田さんに声を掛ける。唐田さんは眉間に皺を寄せている。
「え、今日は飲んでないよ、二日酔いなの」
そう言って眼鏡に手を当ててトロンとした目を細めた。
「じゃあせめて2日にいっぺんにしろよ、昨日もそう言ってたじゃん」
「えへへ、晩酌は毎晩のお楽しみだからさぁ」
「そんな状態で仕事すんなよ、お前の出す薬怖くて飲めねぇわ」
「大丈夫、ここにある薬は怖いのないから」
毒吐くピンク髪の子に唐田さんはふわふわとした返事で躱していた。
私は小説を適当に2冊手に取り、部屋に戻った。
憩の場で読書する事も考えたが、気付いたら足は部屋に向かっていた。高橋所長も自分のペースでって言っていたしその気になったら共有スペースで読書すれば良い、今はあまり深く考えず気が赴くままに過ごすつもりだ。
その日の夜、夕食の時間に食堂へ向かうと、ちょっとした変化があった。
私の隣のビニール手袋をして食事していた女性が金髪タトゥーの男性と席が入れ替わっていたのだ。
きっといちごちゃんにちょっかいを出したから移動させたのだろう、と私は考えた。
隣に座る男性が気になり私はチラリと彼に目を向けた。
髪の毛はふんわりとパーマを掛けたかのようにボリュームがあり毛質はチリチリとしていて、金というより白に近い髪色をしている。
後頭部は下半分が刈り上げてあり、その部分は本来の黒髪が露出していた。
耳には大小様々なボディピアスを、鼻や唇にもフープのピアスをしており、それらのアクセサリーは食事をするのに邪魔そうに見えた。
長く伸びた前髪が目を隠しながら体を前に倒し、両肘をテーブルに乗せて面倒くさそうに食べ物を口に運んでいる。
彼の隣奥にはピンク髪の子が座っていて、汚ねぇな、ちゃんと食えよと愚痴をこぼした。
「もう要らない、カナちゃんにあげる」
「要らねぇよ」
そんなやり取りをしながら食事を終え、男性はいつものように薬を飲み、口の中を唐田さんがチェックした。
私がその様子を見ていると席から立ち上がった男性と目が合い、彼は私に向かってべーと舌を出した。
それを見た私は固まってしまう、何故なら彼の舌は先が蛇のように二つに割れていたからだ。
びっくりした私はお箸で摘んでいた鶏肉を口元からポロリと落としてしまう。ハニーマスタードの付いたお肉が胸の上にべちょと落ちてしまい、その様子を見た彼はくくくっと笑いながら食堂を出て行った。
今のは一体…?
私の頭は混乱した。
舌があんなふうに割れてるのなんて見た事なかったので、なんで?とどうなっているの?がぐるぐると頭を駆け巡った。
怪我か何かでああなってしまったのだろうか、舌には太い血管が通っているのに大丈夫なのかな?呂律はちゃんと回るのだろうか、味覚は?
調べたくても本もパソコンも無いので調べようが無い。
その夜、私は彼の舌が気になって仕方がなく、寝る直前まで考えてしまった。
——翌日の昼食後、私はノートとペンを持って憩の場へ向かった。
そこには金髪タトゥーの男性がいつもの席で腕組みをしながら足を大きく前に出して傾れ込むようにソファに座っていて、ワイヤレスイヤホンを着けて静かに音楽を聴いた。
私はソワソワしながら彼に近き、さっと彼の前に出るとノートを掲げた。
『すみません、後藤杏奈と申します。差し支えなければあなたの舌を見せてくれませんか?』
ノートに書かれた字を読んだ彼はぐふっと吹き出すように笑って体勢を整えた後「いいよ〜」と言った。
私は彼の席と隣接したソファに座り、体を彼の方へ向けると彼も体を私に向けてべーと舌を出した。
割れてる、やっぱり割れてる。
好奇心剥き出しで彼の舌をじっと見ていると、先割れした舌が左右上下に動き出し、舌とは思えない動きがまるで別の意識を持った生命体のように見えた。
私は人差し指を上に向けて指差し、舌の下部を覗き込むような仕草をすると彼は舌を持ち上げ、私は舌下面を見た。
左右に別れた舌下面にはそれぞれ青く太い血管が見えて、舌の中心部が切れても大丈夫なのだという理由が少し分かった気がした。
「もぉひいひ?」
私が前のめりになって見ていると苦しそうな声が聞こえ、慌てて体勢を戻す。
すると彼も体勢を戻し、こんなにまじまじ見られたのは初めてだと笑った。
ソファの上に胡座で座る男性に私は質問した。
『その舌はなぜそうなったんですか?』
「これはベロピアスをどんどん太くしてって、最後は糸で縛って切るんだよ」
ゆっくりとした口調で気だるそうに話す男性。
喋り口調とは裏腹な痛そうな話に私は太腿の外側がゾワっとした。
『自分で?』
「そうだよ、ピアスやタトゥーとかと一緒、スプタンもスカリも好きでやってる」
私は何の話かよく分からず、首を傾げると彼は舌を指差し「スプリットタン、そしてこれがスカリフィケーション」そう言って左側の袖を捲ると、二の腕に蜘蛛の巣のデザインの切り傷痕が凹凸になって浮かび上がっていた。
傷跡は古い物のようで肌色をしていて、その周りも蜘蛛などのタトゥーで埋め尽くされている。
そんな彼の腕の内側にはたくさんの切り傷があり、洗濯板のようにでこぼこしていてその上にもまた、タトゥーが刻まれている。
その痛々しい姿は彼の壮絶な人生を物語っているかのようだった。
「やってみたい?」
二の腕をじっと見ているとそう聞かれ、私はゆっくりと首を横に振る。
それを見た彼はくくく、と笑っている。
長く伸びた前髪から目がチラチラと見えて、ハードな見た目に反してまつ毛が長く可愛らしい目をしている。目の周りのクマは濃く、色白で細いから病人みたいだけど。
『切断したての時の食事はどうしてたんですか?』
「パンとかゼリー食ってたよ、食べた後は口すすいで、傷口がくっ付かないようにガーゼ当てる」
私はうんうん、と頷きながら聞き、彼はスプリットタンについて色々と解説を進めていく。
「この舌のいい所は男も女もよろこ」
「やめろ」
ボコッと丸めた雑誌で男性の頭を叩いたのはピンク髪の女の子だった。
名前は確か、カナちゃん。
「下ネタ言っていい相手をちゃんと見極めろ、ホモジャンキーが」
叩かれた頭をさすりながら、えーダメだった?と言うと、カナちゃんは「見ろ、あの赤ちゃんみたいに澄んだ目」と言って私を指差した。
「お前みたいなドブネズミとは違うんだよ」
「じゃあカナちゃんは家ゴキブリ?」
「ざけんな、私は地に足のついた人間だわ」
そんな会話をしながらカナちゃんはいつもの通路を挟んで隣のソファに座った。
「てか、私の名前カナじゃねーし、何回言えば分かるんだよ」
その言葉に私はえっ!?と目を見開くと、私の顔を見ていた2人は一瞬止まってどっと大笑いした。
「私の名前は西条実優奈、こいつが勝手にカナって呼んでんの」
「だって、実優奈っていうよりカナって感じじゃない?」
そんな会話をしながら男性は私を見て「君はアカちゃんでいいかな?」と言った。
何一つしっくりこないあだ名にうーんと言った顔をしていると、西条実優奈は本当いい加減な奴、とため息を吐く。
「こいつの言う事は話半分で良いからね、十中八九出任せだから」
カナちゃんがそう言うと男性は軽く手を挙げて「因みに名前は越野翔です」と言ったので私はカナちゃんを見た。
「今のは本当」
そう言って彼女は雑誌を広げて読み始めた。
「アカちゃんは何でここに来たの?」
越野翔さんに聞かれ、私はペンを握りながら少し考えていると彼はまぁ良いんだけど、と言って窓の外を見た。
「ここってさぁ、金持ちの家の奴ばっかじゃん?皆んなキャラ強すぎて恥ずかしいと思ってる家族にぶち込まれているんだけど、アカちゃんにはそれを感じないんだよね、愛されてる子って感じ」
そう言うと彼は中庭の方を指差した。
「あ、また立ちションしてる」
指差した方を見ると1人の男性が花壇に植えられた薔薇に向かっておしっこを掛けていて、周りにいたスタッフが慌てて止めに入っている。
不意に見た外は、夏の強い日差しが眩しくて目の奥がきゅっと締まるのを感じ私は目を細めた。
「あいついつも黄色い薔薇にしょんべん引っかけるんだよ」
笑いながらそう言うと、今度は違うところを指差した。
そこには日焼けに満足し、寝転がっていた地面から立ち上がった櫻井さんがいて、越野さんは「おーい、トビー、良く焼けてんねぇ」と呼んで手を振っている。すると櫻井さんは顔をクシャっとさせて笑顔を見せた。
越野さん曰く、魔法使いが主役の有名な児童書に出てくる“悪い子”に似ているからトビーと呼んでいるのだとか。
「トビーは病的なまでに日焼け好きだよね、俺みたいにガリガリで色が白いから健康的に見せるために頑張って焼いてんだよ」
そう言うと今度は他の所を指差し、あれは病的な短気、と言って洋風東屋の中でお茶を飲んでいるお姫様みたいな格好のいちごちゃんを差した。
「怒らせると面倒だからみんな言うこと聞いてんだよ」
それから病的な綺麗好きや病的なまでに痩身にこだわる人、と続け「あれは病的なわがまま」と言ってカナちゃんを指差した。
するとカナちゃんは無言で彼に向けて中指を立てている。
ここの住人の強い個性は夏の日差しに照らされた色彩豊かな世界と相まっているように感じた。
カラフルで眩しい個性、そんな言葉が浮かぶ。
「そんで俺は病的な死にたがり、いつかカナちゃんに締め殺してもらうのが夢なんだ〜」
翔さんは楽しそうに言ったが、カナちゃんは舌打ちしている。冗談なのか本気なのか、私には彼の世界観が良く分からない。
でも、彼の言った“家族から恥ずかしいと思われている”という発言は悲しく感じる。
私はここの住人のように、傷付いた子供達をたくさん見てきているので、ある程度理解しているつもりだ。
傷付いている人ほど自尊心が低いように思う。
そんな事ないよ、と言えればいいのだが恵まれた環境で普通に暮らしてきた私にはそんな薄っぺらい発言をする立場には無いと分かっている。
こうして話してくれているのだから否定もせず肯定もせず、ただ、彼らの話しを聞く事が私に出来る唯一の誠意なのだと思う。
————————
この施設に来て1週間が経った。
まだ1週間しか経っていないのに何とも濃く、刺激的な事ばかりが起きている。
越野翔さんと西条実優奈とは少し打ち解けて、知らない世界を教えてくれる彼らと居ると何だか楽しくなりそうな予感がしている。
「先日、憩の場で西条さん達と話をしていましたね」
高橋所長の問いに私はコクリと頷いた。
今日は3回目の面談で、今回も高橋所長と向かい合ってソファに座り話をしている。
「どうですか?彼らとの交流は」
『私の知らない世界を見せてくれるのでとても楽しいです、勇気を出して近づいて良かったです。』
ノートにそう書くと高橋所長はそうですか、と言って少し間を置いた後、「いやぁ、実はあの時、給湯室でコーヒーを飲みながら一休みしてたのですが、後藤さん達の楽しそうな会話が聞こえて羨ましかったんですよ」高橋所長はそう言うと、若者の輪に入りたかった、と呟いた。
私がふふ、と笑うと彼は続ける。
「それと、西条さんも言ってましたけど、越野くんは冗談が好きな人なので何か言われても受け入れずに流して下さいね」
その言葉に私は頷き、ティーカップに手を伸ばしてお茶を一口飲んだ。
こうしたちょっとした動きでも高橋所長はじっと私を見ている。
精神科医の性なのだろうか、入所した日から彼はよく人を見るのだなと感じていて、気まずくなるのも嫌なのでこういう時私は目線を落として目が合わないようにやり過ごす。
「あ、そう言えば後藤さん、越野くんの舌が気になっていたようですが」
高橋所長にそう言われ、そこも見られていたのか、と少し恥ずかしくなってしまった。
「医大生ですもんね、感心しました、良かったらこの部屋にある本をお貸ししますよ」
その言葉を聞いて私は本棚に目を向ける。前から気になっていた本があるから嬉しい提案に私は『ありがとうございます』と書いたページを開いてお辞儀すると早速本棚の前に行き、借りる本を探し始めた。
まずは“現代を生きる若者の心理2024”と題した物と“日常で起こる事故、災害への対応と応急処置”に目を付けた。“現代を生きる…”はすぐに手に取れたのだが、もう一冊の方は上段にあり、私は踵を上げて爪先立ちして手を伸ばす。
が、すかすかっと本のカバーを掠るだけでなかなか取れない。
すると、ふわっと香水の香りがして私の顔すぐ横に高橋所長の白衣を着た右腕が伸びてきた。彼は私が手を伸ばしていた本をひょいっと取る。
彼が私のすぐ背後に立っているのが分かった。
体が当たるか当たらないかの距離で生じる暖かい空気の層のような物を感じたからだ。
私は脇を締めて体を硬直させた。
「まだ、男性が怖いですか?」
耳元に顔を近づけて話す高橋所長。
私は俯き、動かないでいると彼はまた小さな声で話し始める。
「僕はダメですか?越野くんには近づいていたのに」
真横で囁いているかのように、右上から降り注ぐその声がくすぐったくて私は耳がチリチリと赤くなっていくのを感じた。
私は動かずにその場でじっとしていたが、彼もまた体を退ける気配が無かった。
心臓がバクバクして耐えられなくなった私は足を広げて横に移動して少し距離を取る。
「すみません、迫り立てるような事をしてしまって、確認の仕方が悪かったですね」
いつもの笑顔声で話し始める高橋所長。
私は彼の顔が見られなかった、自分の顔が赤くなっているのが分かっていたから本を抱えて俯いていた。
高橋所長の言う通り、越野翔さんに近づいても何も感じなかったが、高橋所長に接近されると拒絶のような反応を起こしてしまう。
翔さんに関してはスプリットタンに対しての純粋な好奇心で自ら近づいた、と言うのもあるが、彼には何故だか接近しても大丈夫だと思えてしまう。
高橋所長が嫌いなわけではないが、あまり近づくと良くない気がする、理由は自分でも分からない。
「はい、どうぞ」
本を差し出すと私はそれを受け取り、お礼の意味を込めて深くお辞儀した。
「部屋に戻られるのですか?」
「またいつでも借りに来ていいですからね、スタッフにも伝えておきます」
ペコペコと頷いてやり過ごし、私はさっと体を方向転換させてドアを開けると、あ、後藤さん、と呼び止められてしまう。
「忘れてますよ」
彼は私にノートとペンを手渡すと、顔を覗き込み「では良い1日を」と言った。
私は彼を直視できず、目を泳がせながらノートを受け取ると足早に面談室を出た。
明らかに私は動揺していた。




