剣を交える (★★★★)
玉座の間で竜王と対面した時の様子は記憶に新しい。思い出すだけで背中がひんやりとする。
門番、城内の護衛兵に至るまで、竜人族の戦士はわたしの祖国の男たちより屈強な体を持っていた。そんな大柄な男達の中で竜王は抜きん出て大きかった。さすが一族の首長に選ばれただけある。
玉座の間では竜王にたどり着くことはできず、部下相手に負けてしまったのは記憶に新しい。
(こうやって剣を交えることができるとは……!)
不思議と血が騒いでしまう。
「竜王。手合わせの申し出、誠に感謝する」
なぜお礼を言うのだろうかと不思議な顔をしたあと、竜王は鼻で笑った。
「律儀なやつだな」
「これが騎士道というものだ。華々しく散れる好機が巡ってくるなんて……」
覚悟を決め、剣を構えた。竜王も臨戦態勢を取り、一定の距離を置いて睨み合う。
睨み合いはしばらく続いた。
竜王の出方を待っていたが、やつは剣を正面に構えたまま微動だにしなかった。加えて目蓋を閉じている。相手が見えない状態でどうやって戦うのだろうか。
視覚情報ではなく、相手の殺気や動き、闘志のようなエネルギー体を感じて、応戦する武術家がいると聞く。こいつもそのような技を……?
静寂の中、徐々にわたしの心がざわついてくる。これはわたしが経験したことがない”決闘”だ。
騎士団で訓練として行っていた”決闘”試合は、「はじめ」の合図と共に、互いに距離をつめ、襲いかかり剣を交えるものだ。寸止めで急所に剣をあてたものが勝ち。 重厚な鎧を装備して行う場合は相手が起立不能になるまで防具を叩き合う試合もある。
睨み合いがこのように長く続くことはない。だが、相手が動き出さなければ、攻守の見切りをすることもできない。
わたしは最初の一撃を繰り出すことに躊躇していた。
「おい。いつまで黙って突っ立っている?」
決闘の様子を眺めていたリグが野次を飛ばした。竜王は相変わらず目を閉じたまま、瞑想にでも耽っているかの如く身動きひとつしない。
「ベルファレス様は貴様の剣を受けるとおっしゃっている。さっさとしないか。このまま何もしなければ、勝負を放棄したものと見なす」
挑発には乗るものか。リグの発言を無視し、竜王の思惑を探る。
(……そうか! わたしからの攻撃を誘っているのか)
策の察しがついた。攻撃には隙が生じる。その僅かな隙を狙うつもりだろう。
こちらだって伊達に戦況をくぐり抜けてはない。素早さで反撃をかわしてやる。
(やるしかない……!)
「うおおおおーーーー!!!!」
わたしは雄叫びを上げながら瞬足で駆け出し、一直線に斬りかかった。狙うは竜王の首。
「ふんっ!」
竜王はわたしが飛び出したタイミングで目をカッと見開き、急所狙いの一撃を剣で受け止めた。
「ぐっ……」
竜王の剣が重い。このまま下に下に押しつぶすように竜王は剣を交えたまま体重をかけてきた。
「くっ……」
竜王の剣を止めようと、足の指に力を入れて踏ん張るが、後ろへ後ろへ押し出される。
上から下にかかる荷重も相まって、わたしの足が地面にめり込んだ。
力は拮抗しているどころか、徐々に押されている。わたしが全体重を足にかけることで、なんとか体勢を保っているが、少しでも力を緩めれば竜王の剣は肩口に到達し、致命傷を負わされてしまう。
もう一撃を食らわすには、いったん離れて体勢を整えなければいけない。
しかし、前へ前へ力で押し込んでくる竜王を崩し、間合いを取る隙を作るのは困難だ。
(どうすればいい?)
「ぐぅっ……」
剣を交えたまま、歯を食いしばって耐える。
全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出す。額を伝う汗が目の中に入り視界を曇らせた。
剣の柄が滑ってしまうくらい手汗はびっしょりで掴んでいるのもやっとだ。
竜王は余裕だ。鬼気迫る様子もない。冷ややかな目をして淡々と力を繰り出している。こんなにわたしが踏ん張っているのに、力んでいる様子もまったくない。
「ぐぅぅっ……ぐっ……」
体中の筋肉がもう限界だと悲鳴を上げる。腕も、足も、全身がぷるぷる震え、力が入らない。
足首まで地面に埋まり、さらに後ろへ押し出される。もう後ろがない。背中が木にぶつかれば、逃げ場がない。
「ぐっ、おおおおーーーー!!」
最後、もうひと踏ん張り。雄叫びを上げ自分を鼓舞すると、竜王の額に光るものを見た。
(……汗?)
「ぐはあっ!!」
気を取られた瞬間、竜王に腹を蹴り上げられた。
わたしはすっ飛ばされ、愛剣は地面に落ちた。腹を抱えて倒れたわたしの首元に勝ち誇った顔で剣を突きつけた。
「勝負あり、だな」
「くっ……」
「お見事です。ベルファレス様」
リグの乾いた拍手が草原に響き渡る。
「もう少し遊んでやっても良かったのだが、お前が辛そうに見えたから終りにしてやったぞ。軽く蹴飛ばしたつもりだが……。どうだ、腹は痛むか?」
(……痛いわ! ……この野郎!)
きっとまたどこかの骨が折れている。
竜王が見下ろしながら、口の端を吊り上げた。
「言い忘れていたが、この勝負。お前が負けの場合、我らに服従を誓ってもらう」
「なんだと!?」
痛みを忘れ、腹から声が出た。
なんと言うことか、交換条件をちゃんと聞いていなかった。条件次第ではこの勝負受けなかったのに。
拷問の恐怖やらで冷静さを欠いていた。今朝見た夢のせいだ。
自分を散々責め立てても、無念が晴れることはない。
痛みい耐えながらか声を絞り出す。
「……嫌だと、言ったら?」
竜王は少し間を開け、不敵な笑みを浮かべながら言った。
「……あらゆる手を使い、お前に降参と言わせるまで」
それは恐ろしく邪悪な笑みだった。
返す言葉もなく、血の気が引いた顔で口をあんぐり開けていると、わたしもいよいよ具合が悪くなり、視界がぐらぐら回り始めた。
「リグ、ハティを呼べ。少々手荒にやり過ぎた。充分に手当をさせろ」
「はっ、かしこまりました」
徐々に、意識が遠のいていく。
草原を撫でる爽やかな風が頬をくすぐる。体の感覚がないのに、それだけははっきり心地よいと感じた。
「俺に汗までかかせる”女”とは大したものだ。楽しかったぞ……」
遠くから、竜王の声が聞こえてくる。ところどころ言葉に朗らかさと微かな優しさが混じっている。
冷たい瞳でわたしを敵視し、非力な者をいたぶって笑うような竜人族の首長だ。やつがわたしを褒めるわけがない。褒めるわけがないのだ。
(これは夢だ。夢に決まっている)
気が触れておかしくなり、優しい竜王を想像しているだけだ。そんな妄想を浮かべてしまう自分に腹が立つ。
わたしを褒めてくれたのは、生まれてこの方、騎士団のランティスただひとりだ。
(そうだ、きっと、ランティスのことを夢見ているのだ)
そう言い聞かせて納得したところでわたしの意識は途切れた。