過労系4 7
【李サイド】
部屋の主――李深緑は覚悟を決めた。
たとえそれが自分のエゴであると理解しても弟を救うためには時間がなく、既に手段を選んでいる様な余裕は無くなった。
もし地獄があるのならきっと自分は鬼となって地獄に落とされる。
だがそれがなんだと言うのか。今ここで動かなければ弟は終わる。李は大切な大事な唯一無二の弟が死んでしまえば生きている価値を見出せなくなるだろう。
だから動く。その結果他人の尊厳を踏みにじったとしても弟の命には変えられない。
「これは仕方ない事。あの子を救う為に仕方ない事」
数分眺めた制服に袖を通す李は鏡に映る自分を嫌悪する。
とてもではないが学生としてはギリギリ。胸元の大きな膨らみや顔から出る年齢が言い方は悪いが制服キャバのよう。何故この姿で誰もツッコまないのか。海外の人だとこんなものなのかと思われているのか。
日本人の大らかな性格に救われている状況であると認識する反面、果たして自分はどのように見られているのか不思議でしょうがないが李は意識を切り替える。
「井出蔵人……」
もっともクラウディアに近いと思われる重要人物の名を口にすると同時に自己嫌悪に吐き気が込み上げるのを感じた。
恐らく彼の人生を歪めるだろう。そう考えると一瞬悩みもするが、それもほんの一瞬。弟を失う事と天秤に掛ければ弟を取る。が、弟と近い年齢の蔵人を犠牲にするのに何も感じない程、李は鈍感ではない。
「準備は出来てル。後は実行するだケ……」
鏡に映る自分はこうも醜かったかと。
身ぎれいな生き方はしていない。人様に誇れるような生き方はしていない。
しかし、しかしである。弟と近い年の子を自分のエゴに巻き込みのを良しとするほど悪辣ではない。
「ぐっ……」
強い吐き気に襲われながら李は口を手で押さえる。
「もう引き返せなイ張静弟弟の為…」
李の弟である張静は不治の病に掛かっている。医者は長くないと言い延命に使われるポーションでは数か月と持たないとされている。
ダンジョンから出る魔道具を頼ろうにも、そうした人命に関わる魔道具はオークションでのセリ落としとなり入手はまず不可能。そもそも不治の病さえ治せるような魔道具が出るのは十年に一度の奇跡。
李自身もダンジョンに潜り魔道具を得ようとしたがお目当ての魔道具が早々に出る筈もなく、何より仮に魔道具が出たとしても擦り傷を治す程度なんて事もザラだ。つまり魔道具でどうにかするのは現実的ではない。
だから李は魔道具を頼るのを諦めた。
次に目を付けたのはポーションだったが、これも魔道具と同じだ。人が作れるレベルのポーションでは延命が精々。ダンジョン産のポーションでも病を治せるレベルは魔道具同様に十年に一度のレベル。
李は諦めるしかないのかと思わされた時、神の奇跡として話題に上がったのがクラウディアだった。死者さえ蘇らせる女。
その奇跡に縋る者が多く、そうした者たちから狙われるだけあって雲隠れしている女に李は狙いを定めた。
出るかも分からない魔道具に頼るよりもクラウディアを捜し出す方が可能性が高かった。何より最悪弟が死んでも僅かながら猶予があると踏めば下手な魔道具やポーションよりも期待が持てる。
「もし井出がクラウディアと関係がなければ…、いや、その考えも無意味カ」
タイムリミットは刻一刻と迫っている。
そもそもあのクラウディアの奇跡さえ制限付きの魔法なのかも、いやそう考えて然るべきだ。人間にあんな奇跡を制限なく出来る筈もない。
そうである以上やはり時間が無いのは明らか。なら妄想と妄信で生み出された結論であったとしても信じて突き進む以外に道はなかった。
僅かに生じた蔵人とクラウディアの関係性のなさを捨て去り、李は強く意思を固める。
「私は井出蔵人を誘拐すル。どんな手を使ってもダ」
【蔵人サイド】
蔵人は一人暮らしが長い。
両親は海外で活動しており、かつ放任主義な所があるので日本に帰って来るのは極偶にでしかない。
それだけに蔵人は自炊に長けていた。
「蔵っちの剥いたジャガイモの皮えろぅ薄いやん」
「こんなの慣れだよ」
クラウディアであった一時期は料理もしていた。その頃は食材の量も少なく、如何に無駄なく使うかも考えながらやっていた経験も生きていたりする。
皮を剥いたジャガイモを適当なサイズに切って鍋に放り込む。
「こんなものでしょうかー?」
「……少し焦げてるが問題ないナ」
肉を炒めるエリスは若干焦がしてしまっていたが大勢に影響はないと李は気にしなかった。
「しっかし料理なんていつぶりやろか?」
「そんなにしないのか?」
「やってもレトルトやな。ぶっちゃけ面倒やん」
「否定はしない」
蔵人も自炊はするが、ダンジョンに行くとレトルトで終わらせる時もある。やはり一人暮らしで一々作るのは時間が無い時はしたいと思わない。
ただずっとレトルトやコンビニ飯は流石に飽きる。だから蔵人は大体半々くらいの割合で料理する。
「炭足りるんか、これ?」
「足りないなら足せば良いぞ。今はまだ良いが」
「結構熱かったわ」
白くなった炭は火力があるように見えないだけに手をかざして確認する孝介だが、かなり熱く問題なさそうと放置した。
「簡単ですねー」
「一般人のやるカレーなんてルー入れて煮込むだけだしな」
「凄い人やと一日やるらしいで?」
「正気じゃないナ」
切って焼いて煮込んでと気付けばカレーは完成しかけていた。
「お、井出の班も順調だな」
様子を見に来た中年教師が鍋の中を覗き込む。
「うん、良い出来だと思うぞ」
「ありがとうございます」
クラス中をあちこち回る中年教師は忙しない。
何せトラブルが起きれば直ぐに対応する為に動かねばならず、そもそも最初からトラブルが発生していた。
「炭に上手く火が着かなかった時はどうしようかと思ったが本当に何とかなって良かった」
「バーナーでもあれば楽だったんでしょうね」
キャンプ用のバーナーがあれば炭を一気に燃やして火を着けられたが学校にそんなものはない。
精々理科室のガスバーナーだが、そんなので炭に火を着けようとすれば火災の恐れもあった。
なので根性による大量の新聞紙で燃やす作戦でゴリ押しにより事なきを得た。
そんな小さなトラブルは重なったものの、どうにか形になったリクリエーション。しかしながら蔵人は思う。
「これ、つくづく調理室でやれば済むし楽でしたね」
「言うな。それは教師陣全員が思ってる事だ」
コンロもあれば流しもあり、何より米を炊く炊飯器もある。近くに炊飯器があるのに飯盒で炊くのは面倒だと全員が思い知らされた。
しかし調理室は精々入れて一クラスのみなので二年生全員がやるとなれば流石に難しい。だから日を分けてやる提案もされたが当然モンペより却下されている。
あらゆる点を一切考慮せずに過程のみを重視して経験させるのが子どもの為になると考えるモンペの恐ろしさは一言では言い表せられないが、良い経験にはなったと言えるだろう。二度とやりたくないが。
「まあ出来たんで。今日だけですし」
「そうだな。やっっっと解放されると思うと嬉しいぜ⭐︎」
「……先生ってそんなキャラですか?」
「おっと、少し気持ちが乗ってしまった。誰にも言うなよ? 恥ずかしいからな」
「言いませんよ。先生ってネトゲやると性格違いそう」
「バレたか。じゃあ他の班も見て来るからトラブルがあれば呼んでくれ」
「分かりました」
しかしそんな困るようなトラブルが起きる筈もなく、全ての班のカレーが無事に完成した。
空はすっかり暗くなり、部活をやっていた者も帰り職員室だけが煌々とした蛍光灯の明かりと竈の朗らかな灯火だけが視界を広げていた。
「少し時間が掛かったが皆んなよく頑張ったな。それじゃあ手を合わせていただきます」
「「「いただきます」」」
大変だったと騒ぐ生徒たち。本当にお疲れ様でしたと労をねぎらい合う教師たち。
それぞれがカレーの出来を評価したり、留学生たちと交流を深め、そしてーー
――全員が倒れた。




