過労系3 2
蔵人は最近色々巻き込まれてる現実から目を背けたくなっていた。
「ルカ?」
「ああ、自己紹介まだやったなぁ。ウチの名前は大石ルカって言うねん。末永くよろしゅうな」
『ああああああああっ!? ルカさんの名前も知らないような奴がルカさんに触れてるなんてぇええええええっ!!』
うるさ。あまりの絶叫に思わず耳を塞ぐ。
叫んだ本人はガスマスクの内側が吐いた空気で曇ってしまう。
『は、何も見えない!? つまり今のは幻覚!?』
「幻覚やのうて現実やなぁ。大体誠はんには何度も機会与えてたやろ?」
『うわぁぁあああああああああああああああ!!』
誠と呼ばれた男は頭を抱えて膝から崩れ落ちるが、その状況に着いて行けない蔵人からすれば何が何だか分からなかった。
「まあ少し可哀想ではあるなぁ? なら最後に機会でも与えよかぁ」
『ほんとか!?』
誠は目をランランに輝かせて立ち上がる。
ルカは少し名残惜しそうに蔵人から離れると誠の前に右手を出した。
「嘘は言わへんよ。ほれ、いつもみたいに頑張ってみぃ」
いつもとは何なのか。割と置いてきぼりにされるので蔵人は孝介をチラ見するが見てれば分かるでと諭される。
『い、いくぞ!』
「いつでもええで?」
誠はルカに触れようと手を伸ばす。
『うぉぉおおおっぉぉおおおおおおおおおおおおおっ!!』
「バトル漫画の主人公か?」
『姉ちんまだこれやっとったんやな』
「黙っとき。本人は至って真面目やしなぁ」
誠はノロノロと腕を伸ばすがその顔はとにかく必死。歯を食いしばり首筋に汗を浮かべながら手を震わせて目を見開いている。
その姿にようやく理解して誠に同情した。
『相変わらずエグイことさせるわ』
「流石に無理だろ」
一体何が行われているか。それはルカにただ触れるだけ。
ルカは臭いだけではない。その身体に触れようとすればまるで死神の鎌に自ら首を預けるような感覚になる。
それは肉親である孝介も同じであり姉であるルカに触れようとすれば変な汗が出るし無理矢理触られると気絶してしまうので誰も触れられなかった。
他人からは呪いと言われた謎の病。これまで何人も触れようとしては臭いとその不思議な【死】の感覚に敗れ去っている。
『ふんぬぅぅぅううううううううううううううっ!!』
蔵人たちからはガスマスクによって見れないが誠の顔面は蒼白。溺れてしまうのではと錯覚するくらい滝のような汗をガスマスクから零す誠は真剣そのもの。
「便秘か?」
『ぶはっ! 蔵っち笑わせんといてや』
「こらこら茶化さん茶化さん。誠はんは真面目にやっとるんやからなぁ」
誠は何度も挑戦している。これで触れればルカと付き合えるから。
その為に何度も足しげく通った。この何もない一軒家までルカと会うために、付き合いたい一心でルカの出す条件に応えようと頑張った。
『ぐぁあああああああああああっ!!!』
しかしその結果はいつも変わらない。
何度もやった結果通り誠はルカに触れる事も出来ずに膝を着いて泣き叫んでしまう。
「………また無理やったな誠はん」
少し悲しそうにするルカは伸ばした手を引っ込めて誠を見下ろす。
『ま、まだ僕は…』
「それはいつまで待てばええん?」
ルカのその目はまるで路傍の石でも眺めるかのように冷たかった。
「ウチはかなり妥協したよなぁ?」
付き合って欲しいと言われた時の条件は当初よりドンドン変わっていった。
「そのけったいな面を外してくれるだけでええって言うた時も外せず逃げたんの何回や?」
まるで懐かしい思い出を語るような口調でルカは囁く。
「その面は外さんでもええからウチを抱きしめてぇなと変えた時もあったよなぁ?」
しかしその思い出語りは誠にとっての死刑宣告。ただ自分の痴態を語られるだけで英雄的要素もなければ友情的な要素も無い。
「それでも抱きしめてくれへんからウチがしびれを切らして手ぇ握るだけでええよと諦めた時もあったわぁ」
ルカの些細な願いも叶えられない。ただ人としての当たり前を望んだだけなのに。
「ウチはかぐや姫やあらへん。だから火鼠の皮衣も蓬莱の玉の枝も燕の子安貝もいらへんのよ。ただ触れて欲しいと言い続けてどんだけ経ったん?」
『それは…』
彼らの関係は既に三年経っている。
「だから指先だけでもええと妥協の上に妥協を重ねたんよ? それなのにウチは未だに触れられた事あらへん。それは画面の向こうにおるんのと何が違うん? 教えてな誠はん」
『ぐっ…』
たじろぐ誠は自分の不甲斐なさを淡々と突き付けられて何も言い返せない。
その上でルカはトドメを刺す様に蔵人の右腕を愛おしそうに抱きしめる。
「これ見てみぃ。ウチがこうしても何も動じへん蔵人はんの姿を。素顔かてこんな風に晒してくれるんよ?」
――誠はんの顔は一度も見た事あらへんのになぁ。
あまりに重い事実を叩き付けられた誠はただ一言、自身の心境を口にする。
『BSS……』
「NTRやないだけマシやと思っとき」
もう無理だと分かり心が折られた誠は嗚咽をもらして頭を地面に着ける。
「誠はんとはこれからも友達やで? ただそこから先はもう進めんと思うといてな」
『ぁああああっ…』
蚊帳の外である蔵人にルカを娶る気は一切ない。
あくまでも孝介との取引で来ているに過ぎず、更にはルカのこの病の治し方も頭にある。
そうであるが故に今この目の前で行われている光景は茶番でしかなく、BSSだのNTRだのと騒いでいるが勝手に巻き込まないで欲しいと嘆きたかった。
だが今それを言う気はなかった。何せそれを口にすればそれ以上に面倒な事態になりそう。具体的にはこの目の前の男が復活して嬉々とする姿が浮かんでしまうから。
この誠と呼ばれる男はとても面倒臭い気がした。見ているだけで関わりたくないと思わせるだけのオーラを感じるだけに希望を与えるのは後々厄介な事になりそうだと蔵人は口を閉じていた。
「ほな、あれはほっといて部屋にいこか」
『姉ちんええんか?』
ルカは蔵人の腕を引っ張りながら誠に背中を向けて家に入っていく。
「希望与える方が可哀想やろ? ウチに触れられるのは蔵人はんだけや」
三人が家に入るとまるで誠を拒絶するかのように扉は閉められる。誠は扉の閉まるその瞬間まで何も言えずにただ俯くだけだった。
・・・
ルカは蔵人の腕を離さない。
「あの、離れてもらえます?」
「いややわぁ、ウチと蔵人はんの仲なんやから敬語とかいらんよ? あともう少しだけ堪能させてぇな」
『姉ちん、蔵っちをあまり困らせたらあかんで』
案内された部屋のソファの一人用には孝介が、三人座れるソファに蔵人とルカが座るが、ルカは蔵人に全身を預けるように座るのでソファの空間はかなり余っていた。
蔵人も拒絶することは出来る。しかし、しかしである。この全身を預けられると言うのはつまり、このDは確実に超えている巨乳を自ら離すのと同義。この柔らかい男のロマンを詰め込んだ感触を手放せられるほど男を捨ててなかった。
「蔵人はんはイヤなん?」
ぽにゅん。
「全然イヤじゃないです」
「もうイケずやなぁ。敬語は無しやで?」
『蔵っち、おっぱいに負けとるやんけ』
仕方ないよ。男の子だもの。
「それで? 愚弟はどうやってこの人連れて来たん? 何かあるんやろぉ?」
『あー、それは追及しんといてな。聞きたかったら蔵っちに直接聞いてくれや』
蔵人との約束がある手前、正体を明かす訳には行かない孝介は結局蔵人に丸投げする形となった。
投げられた蔵人は僅かに顔をしかめるが、変な言い訳されるよりはマシかと考えを改める。
「俺は孝介から偶然ルカさんの「ルカって呼んでな」……ルカの症状を聞いて思い当たる所があったから助けになればと思ってな」
蔵人の答えに少し孝介は驚いた顔をする。
確かに最初は孝介から取引を受けて来たが、それを馬鹿正直に話せば自ずとクラウディアについても話さなければならない。それは孝介の身内であったとしても認められるものではなく、そうなると蔵人から率先して助けようとしたとする方が極めて楽だった。
「蔵人はんはウチのこの身体がどうなっとるか分かるんか?!」
ここでルカは蔵人と孝介の様子の不自然さを追求することは出来る。しかしそれよりも蔵人の口から出た呪いに対する思い当たりの方が優先された。
ルカを長年苦しめた呪い。どんな医者も分からないとしか言わない原因不明の病はもう呪いでしかなくどれだけ望もうと誰とも触れ合えない。近付こうにもこの悪臭が人を遠ざける。
たった一人で生きるしかないと諦め絶望させられたのは最早遠い過去。自暴自棄になり色々としたこともある。
寂しい気持ちを抑えながら己を慰める毎日は死を選ぼうかと揺れた時もあった。
だからこそ細いクモの糸のような奇跡はルカにとって信じられない気持ちでいっぱいだった。
「もちろんだが?」
『「嘘やん!?」』
蔵人からすればこれだけずっと触れ合っていたのだ。元々心当たりがあっただけに悪臭と触れられない呪いなんてものは自身の予想を裏付けるものでしかない。
『蔵っち結局これは何なんや?』
孝介は椅子から落ちそうになるくらい前のめりになりながら答えを求める。
同じように救いを求めるルカの蔵人の腕を握る力が強まった。
「これは魔力過剰蓄積症だな」




