後日譚3(七年後)
夕飯を食べ終わると子供達の世話を乳母に任せて、わたしは寝室に向かい寝台に腰掛けた。
ランプの光はゆらゆらと揺れて、眺めていると眠気を誘う。
王宮で文書に関わる仕事をしているハロルド様は、貴族院で開かれている聴聞会の議事録作成に携わっていて、最近は帰りが遅い。
この十日ほどわたしや子供達が起きる前に屋敷を出て、寝てから帰るような生活をしている。
そろそろ仕事の山場を越えそうだと、従者から聞きハロルド様の帰りを待つ。
屋敷は昼間の喧騒をよそに静まりかえる。
静寂を破る馬車が走る音が窓の外から聞こえ、待ち人の帰宅を知らせた。
「飲んでいらしたの?」
音を立てずに開かれた扉の向こうに立つ、ハロルド様の顔は真っ赤だ。
おぼつかない足元を心配する従者に下がるように告げるのも、支離滅裂な話っぷりだ。
かなりの量を飲んでいるのがわかる。
わたしが世話をするからと、従者に声をかけて下がらせた。
別に付き合いで酒場に寄って帰ることはあるだろうことはわかっている。
普段深酒をしないハロルド様が泥酔しているのは何かおかしい。嫌な予感がする。
「ミザリー……」
酔っ払ったハロルドはフラフラと歩み寄り、わたしを寝台に押し倒すと胸に顔を埋めた。
わたしの胸元が濡れる。
えっ? ……もしかして、泣いているの?
「あなた……?」
呼んでも顔をあげない。声を堪えて泣くハロルドの生暖かい息がくすぐったい。
「ねぇ、どうしたの?」
「うぅっ。捨てないでくれぇ」
「なにを?」
「……俺を」
そう言ってわたしに顔を埋めたまま、駄々っ子のように頭を振る。
心配性な上に感情表現の豊かなハロルド様は、お酒の力もあってか、自分の言ったことに悲しみが溢れたようで、嗚咽を上げて子供のように泣き出す。
「ねぇ、あなた。お水を飲みましょう」
わたしはハロルド様を引き剥がして座らせ、ベッドサイドかの水差しからコップに水を注ぐ。
ハロルド様は受け取った水を一気に飲み干した。
「何があったの? わたしにわかるように説明してくださる?」
何から話していいのか考えをまとめている様子のハロルド様は、深呼吸してゆっくりと話し始めた。
「……以前義父上が騙されたボルボラ諸島で行う真珠養殖に関わる投資の権利書だが、義父上は銀行に担保として預けたままだよな?」
「そうだったはずよ」
「やっぱり」
わたしの肯定にハロルド様はうなだれる。
「こないだからこの詐欺話の主犯者の聴聞会が開かれていてね。成功していないとされていた真珠養殖が、実は成功していて秘密裏に隣国に輸出されていたんだ」
「そんなことできるの? 貿易港は監視の目が厳しいんでしょ?」
「ボルボラ諸島から漁船を模した船で、真珠を育てた貝のまま輸出していたんだ、魚介の輸出として欺いていた」
「そう」
「本来であれば真珠養殖事業に出資したファサン子爵家が真珠の加工を一手に担う契約だったんだろう?」
そう。お父様は養殖真珠の加工に再起を見出して、なけなしの資金を出資した。
「今回の聴聞会のあと権利者を確認して、それぞれに利益が再分配される。本来得られるはずであった利益が手に入るんだ。つまり、このままではファサン子爵家への銀行の貸付金が完済できてしまう……」
ハロルド様は感情を失い、呆然としている。
「いいことじゃないの」
「いいことだと言うのはわかっているんだ! でもファサン子爵家の借金がなくなれば、ミザリーが我が家に縛られる必要はなくなる。これまで何度もファサン子爵家が破綻しない程度のギリギリの貸付を行って、ミザリーが離れられないようにしていたというのに、こんな大逆転がおこるなんて……」
そう言うとハロルド様は感情を取り戻したかのようにまた泣き出す。
破綻しない程度のギリギリの貸付……
またお父様ったら懲りずにお金を借りて新事業に手を出してるのね。
ハロルド様の手のひらで踊るお父様にため息をつく。
それにしてもこんなに泣き上戸だったかしら。
きっと仕事が忙しすぎて考えが後ろ向きになっているのね。
わたしはハロルド様と出会ってからの七年間を思い出す。
そうだわ。出会ってすぐは、奴隷のようにこき使われるしかないなんてわたしも思い詰めていた。
子供が生まれたばかりの時も、寝ることができずにハロルド様が少しでも離れると、捨てられた気持ちになった。
「今日はゆっくりお休みになって」
わたしはハロルド様をやさしく抱きしめた。