3話 退治
3話目あげられました!
ありがとうございます!
肉と血が焼ける生臭い匂いが漂う。
皮膚がなくなり、筋肉組織もところどころ消失し、内臓がてらてらとぬめり輝いているように見える。
化け物は死んだ。
あそこから起き上がるなら、それはもうゾンビの世界だな。
いや、それもありえそうだ。
なんだってありうる。
たった1時間で、俺が知っている世界ではなくなったんだから。
「良かった」
いや、きっと何も良くない。
多くの生徒が亡くなった。
先生たちも、おそらく。
俺はきっと、もう教師をやれない。
きっと、亡くなった生徒を思い出してしまうから。
1時間前の日常は還ってこない。
それでも、思ってしまう。
生きていてよかったって。
涙が止まらないくらいに。
「屋上に、行かないと」
そう自分に言い聞かせるように口にする。
何もせずに、何も考えずに、ここで座り続けていたい。
でも俺たちは、これからも生きていかなければいけない。
それが生き残った者の使命だ。
立ち上がる。
体が重い。
屋上の扉を開けた。
一クラス分くらいの生徒視線が、一斉にこちらに集まった。
モンスターがやってきたのかと思った生徒もいたのだろう。
身構える者、頭を抱えて縮こまる者、倒れこむ者、悲鳴をあげる者もいた。
この生徒たちは、ずっとこの恐怖と一緒に生きていかないといけないんだな。
それでも、助けられてよかった。
生きていてくれて、良かった。
今はそう思おう。
教頭先生の遺志に応えられただろうか。
「先生!」
こちらに、がたいの良い男性教員が駆け寄ってくる。
「小林先生も無事だったんですね!」
渡辺先生だ。
席が隣なので良く話すし、仕事終わりにラーメンを食べに行くくらいには仲が良い。
機械科の先生なのに筋トレが趣味で、なおかつ水泳部の顧問なので、しっかりした逆三角形の筋肉質である。
しかも高身長なので威圧感があるが、優しそうなたれ目な顔立ちで愛嬌もあるので、なつく生徒が多い。
「渡辺先生も無事みたいで何よりです」
「ちょうど今、有志であの化け物を退治にしに行くところだったのですが、先生は行きますか?」
間髪入れずに、渡辺先生はそう聞いてきた。
やはり、救助まで化け物は待ってくれないと思ったのだろう。
有志と言っても、3人くらいの男性教員が階段に向かっていっただけだ。
それでも、自分の命を賭けても生徒を守りたい教員が3人もいたと言うべきか。
「なんだこれは!」
階段を降りて行った教員の驚いた声が響いてきた。
おそらく、あの化け物を見つけたのだろう。
渡辺先生はその声に反応した。
「俺は行きます! あとは先生の判断にお任せします!」
「待ってください!」
そう言って、走り出そうとする渡辺先生を引き留める。
「化け物を、倒すことができたんです」
そう答えると、渡辺先生は驚いたような、理解が追い付かないような顔をした。
「倒すことができた? あの化け物を?」
そう驚くのも無理はない。
私自身ですら驚いている。
「どうやって? 誰が?」
まさか私が倒したとは思っていないらしい。
「私が、ガソリンと薬品を使ってなんとか、運よく倒せました。今は燃えカスになってくれると思います」
「そうですか……。あの煙は、あの化け物が燃えてたんですね」
渡辺先生は肩をつかんだ。
「ありがとうございます。生徒を救ってくれて。先生も無事でよかった」
泣きそうな顔で、そう言った。
握力が強いが、その痛みが生きてることを実感させてくれた。
「じゃあ、今がチャンスですね。校舎に化け物が入ってこないようにバリケードを作りに行きましょう」
渡辺先生がそう言った。
「化け物が入ってこないように?」
思わず聞き返した。
化け物を倒したことが、伝わっていなかったのかと思った。
渡辺先生は悲しげな顔でこちらを見た。
「先生は知らないんですよね。外がどうなっているか。一度見てみるといいと思います。俺たちは1階の階段を閉鎖してきます。もし来られるようなら、ぜひ来てください」
渡辺先生はそう言い残して、走り去っていった。
外に何があるというのか。
でも、きっと俺が見たくない事実があるのだろうというのは容易に想像がついた。
おそるおそる、屋上を囲うフェンスに向かう。
歩きながら、生徒と目が合った。
ぐったりした様子だ。
言葉を発しようとしない。
部活の途中だったのだろう。
ユニフォームや体育着の生徒が多くいた。
フェンスから外をのぞく。
黒煙があがっているのが見えた。
いくつも。
道路には、もう二度と見たくもなかった緑色の化け物が闊歩していた。
目につくだけで、十体以上はいる。
いつもの通勤路に、戦車が転がっている。
迷彩服を来た人が転がっている。
自衛隊だ。
自衛隊の御遺体が転がっている。
半分になっていたり、一部分がなくなっていたりしている。
道路にいくつもの血だまりができている。
目を背けた。
荒くなった呼吸を押さえつけるように、自分の胸をつかんだ。
鼓動が不自然に高ぶっている。
救助なんて、もう来ない。
だから、渡辺先生達は籠城するためにバリケードを作りに行ったんだ。
終わりの見えない籠城を。
崩れ落ちそうになる体を、後ろ手でフェンスをつかんで支えた。
今は生徒が見ている。
不安がらせてはいけない。
どんなに絶望的でも、最善を尽くすしかないんだ。
最善を……。
「行かなければ」
そう言って自分を奮い立たせる。
あの化け物が複数で入ってこられたら、今度こそ終わりだ。
1体でも自信がない。
一刻も早く、バリケードを作らないといけない。
絶望している時間はない。
重い足取りで、屋上の階段を降りる。
渡辺先生のように、走る気力がわいてこなかった。
ガソリンの火は消えていた。
水と濡れ雑巾で消された跡がある。
階段柵に、モップが引っかかっているのが見えた。
階段から下をのぞくと、体前半分が消し炭になって骨が見える化け物と、ホースが見えた。
ここからモップをつたって誰かが飛び降りて、ホースを引っ張ってきたのだろう。
危ないことをする。
いや、みんな必死なんだ。
生きるために、守るために。
一刻も早く、バリケードを手伝いにいかなければ。
手すりをつかみながら、濡れている階段を滑らないように降りる。
そして、うっかり化け物と遭遇しないように、辺りを見渡しながら。
階下で、キリキリと鉄がこすれるような音がした
バリケードを作る音なのだろうか。
それとも……。
1階に到達した。
化け物はいないようだ。
そして、先生方も見当たらない。
「先生! 来てくれたんですね!」
渡辺先生の声が聞こえたので振り向く。
渡辺先生は車に乗っていた。
廊下を車が走っているのは、異様な光景に感じる。
「車で階段前を塞いでしまうことにしました。ぎりぎりこのサイズなら廊下を走れますね」
本当に車幅ギリギリで、車にいくつもの真新しい傷がついていた。
そういう場合じゃないと分かっているが、教員の給料では苦労しただろう高級セダンを、車大好き人間の渡辺先生がこんなふうに使うとは。
「機械棟にバリケードに使えそうなやつを持ってこようと思うんです。一緒に来もらえますか?」
この学校には、科ごとに実習棟が存在する。計3棟
機械棟、電気棟、建築棟だ。
渡辺先生の提案にうなづいて、先に機械棟に向かう。
後ろから車の扉を閉める音がしたと思ったら、渡辺先生はすぐに俺を追い抜いて前を走っていた。
体が軽い。
ジョギングくらいの走り方なのに、全然追い付ける気がしない。
同い年なはずなのに、スペックが全然違う。
放送室前で、渡辺先生が止まった。
「どうしました?」
追い付いて声をかける。
渡辺先生がこちらを向いた。
笑顔が少し崩れた顔をした。
まさか……、緑の化け物だろうか。
いや、それだったらこんな悠長にはしていないだろう。
また何か、大きな問題があったのだろうか。
追い付いて、足を止める。
視線の先には、ぐしゃぐしゃになった放送室がある。
扉が踏み倒されていた。
「急がないといけないんですけど」
渡辺先生が申し訳なさそうに言う。
「ここに来られるのは最後になるかもしれなので、どうしても一目会いたいんです」
ここには、おそらく教頭先生の御遺体がある。
渡辺先生だって、ムリして笑顔を明るく振舞っていたんだ。
その笑顔が保てないくらい、慕っていたのか。
でも、それくらい素敵な方だった。
放送室に入ると、教頭先生らしき人が、頭がつぶされながら壁に張り付いていているのが見えた。
おそらく緑の化け物が張り手をしたのだろう。
頭だから、苦しまずに済んだだろうか。
「教頭先生」
渡辺先生は手を合わせた。
「ありがとうございました。助けられず、申し訳ありません」
とても長く、手を合わせていた。
涙が一筋こぼれた。
「さあ、行きましょう」
渡辺先生が顔を上げた。
また走り出す。
同じペースで走るように横に並んだ。
「一度、教員をやめようと真剣に思ったことがあったんですよね」
と、渡辺先生が走りながらそう言った。
「意外ですね」
誰だって、どんな仕事だって、大なり小なり仕事をやめようと思う気持ちは芽生えることはあると思う。
でも渡辺先生がそう思っていたことは意外だった。
いつも前向きに仕事に取り組んでいて、楽しんでいるように見えた。
「俺は民間出身で、しかも機械とはほど遠い営業だったんです。だいぶ苦労しました。他の先生が言っていることも専門用語過ぎて分からないし、科目数も多いから勉強に追われる日々で」
渡辺先生が当時を思い起こすように言う。
専門外のことを勉強するのは大変だったろう。
普通科目のことは小学校から勉強してるから何となく分かるが、機械とか電気とかになると、別の国かと思うくらい何をやっているか分からない。
渡辺先生は首を振った。
「そんな苦労は覚悟していたんですが、やっぱりクラス経営、生徒指導ですよね」
わかる、と思った。
教員の使命も悩みもやりがいも、そこにある。
「教育学部も出ていない、教育関係の知識も積み上げもない俺が、クラス担任なったらどうなるか。しかも授業もおもしろく展開する力もない。クラスが荒れましてね」
俺が知っている渡辺先生になるまでに、こんなにも苦労があったのか
「こんな俺が教員で生徒がかわいそうだと、思ってしまったんですよね。何をしててもずっと。それで教頭先生に退職の意を告げに言ったんです」
俺が教員になってから、退職届を書くほどの悩みを経験したことはなかった。
「『渡辺先生は、貴重な経験を積んでいらっしゃる』とおっしゃったんです」
渡辺先生の言葉が涙ぐんだ。
「機械が好きで来た生徒ばかりじゃない。将来、転職して違う業界で戦う未来を選ぶ生徒もいる。そんな生徒に寄り添える。そして今、専門外で逆境に置かれながらも、努力して変えていく背中を見せられる。そんな素敵な教師はなかなかいるものじゃない。そうおっしゃった。そして」
あの教頭先生らしいと思った。
教頭先生の笑顔を思い出して、心が温かくなった。
『クラス経営がうまく言ってると言っている先生を、私は信用していません。違う生き方、考え方をしている生徒が40人集まるわけですから。問題がないわけないんです。一緒に考えましょう。クラス経営は担任だけの仕事じゃないんですから』
渡辺先生ほどじゃないにしろ、俺もあの先生に励まされたことがある。
本当に、惜しい人を亡くした。
ガラスが割れた音がした。
まさか、と思って音がするほうを振り返った。
廊下5メートルほど先に、石が落ちていた。
ガラスの破片も見える。
何かがあの石でガラスを割ったのだろう。
「誰だ!」
声をかける。
緑の化け物なら、石を使わなくても窓を簡単に割れる。
人間だろうか。
それとも新しい化け物だろうか。
窓が開く音がした。
手が見えた。
人間だ。
小さい白い手だ。
その手に、何か黒い丸いものが載せられている。
それが窓枠に乗せられた。
それから両手で窓枠をつかみ、体を持ち上げた。
顔が見えた。
「鈴木」
鈴木友華だった。
鈴木は廊下に降り立った。
窓枠に載せた黒い丸いものを回収する。
「先生、もうすぐ化け物たちが来ます。今度は一体じゃありません」
手のひらがもぞもぞと動いたような気がした。
なんだあれは?
見たことがあるような。
よく見れば、牛の柄のような白い斑点がある。
「ハム吉……?」
鈴木の手のひらにいるのはハム吉だった。
いつも通り鼻をひくひくさせて、とてもかわいかった。
お読みいただき、ありがとうございます!