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1話 対峙

マイペース過ぎてすみません…

ブックマークありがとうございます!

更新頻度をあげられるように頑張ります!

硫酸。

もっとも有名な強酸であり、工業的に大量消費されているし、教育的にも、小学校の理科室にすらある。


シアン化合物、黄リン、水酸化ナトリウム、ピクリン酸、ガソリン、潤滑油、塩酸、次亜塩素酸ソーダ。

とにかく目につく毒物、劇物をバッグに詰め込む。

何かの拍子にビンが割れたりしたら死ぬな、とか思いながら。


今までは、「どう安全に使うか?」を考えていた。

それが今は、まったく逆のことを考えている。

「どうやって迅速に多くの被害を与えるか?」


ここに、来るだろうか。


そもそも、あの化け物は何を目的にして動いているのだろうか。

食糧をもとめているわけでもない。

自己防衛のために攻撃しているわけでもない。

縄張りを求めているようにも見えない。

ただひたすら、殺人を目的にしているように見える。


信号機を道具として使っていた。

人を攻撃するだけなら、自分の手足でいいはずなのに。

リーチを長くして、効率的に人を殺すように考えているようにしか思えない。


だとしたら、逃げた生徒を追ってくるのか?


背筋にしびれるような冷たさが走った。


早く、屋上に向かわなければ。


後ろでカリカリひっかく音がした。

驚いて心臓が止まるかと思った。

あいつが来たのかと思った。


ハムスターだった。

この準備室でひそかに飼っていた。

白黒模様のゴールデンハムスターで、1歳数か月のそろそろ初老なお年頃だ。

ハム吉という。


ハム吉のケージに近づく。

ハム吉は前足でケージの網をつかみ、後ろ足で仁王立ちしている。

カリカリというのは、網をかじって「散歩させろ!」という合図だ。

真っ白でモフモフなお腹を見せている。


ケージの上を外した。

これでハム吉は自由だ。

俺に何かあったときのために、今のうちに逃がしておこうと思った。


ハム吉は動かず、こちらを見ている。

野生を失って、逃げる気持ちすら無くなっているのだろうか。


餌袋を切って、餌をばらまいておく。

水道を出しっぱなしにした。


ガアアン!

にぶい金属音が響いた。

断続的に、鋭く。

あまりの音の大きさに耳をふさいだ。

やがて、音がやんだ。


防火扉が壊された音だと想像できた。


防火扉は、階段と棟の境目にある。

あいつは、屋上に行きつく。


ハム吉との名残を惜しんでいる場合じゃない。

フラスコ、ピペット、雑巾……、道具として使えそうなのかそうでないのか分からないものをバケツに放り込む。


「ハム吉、最後まで飼ってやれなくてごめんな」


化学準備室を出た。


3階の防火扉は閉められているようだった。

防火扉の開けながら、屋上への階段を目指す。


2階の防火扉を壊す音が聞こえた。

2階をあがる音が聞こえた。


足が震えてもつれそうになった。


あいつは、もう俺と同じ階にいる。


最短で、屋上に向かっているような気がする。

あの放送を……、人語を理解しているのか?

それとも、人がいる場所を感知しているのか?


どちらにせよ、俺はあいつより“高いところ”で待ち構えないといけない。


幸い、屋上に行く階段は1つしかなく、あいつの登っている階段からは遠いところがある。

防火扉は3枚。

俺はまもなく屋上への階段にたどり着く。


生徒がいる。


走り抜けている横目に、教室の窓を開けている女子生徒が見えた。


「何をしているんですか! 屋上へ逃げなさい!」


女子生徒は振り返った。

鈴木だった。


「屋上へは行きました。でも私はここから逃げます」

鈴木はそう答えた。


屋上に行った。

そのうえでの判断か。


「屋上は安全じゃないと、そう考えたのですか?」

そんな俺の質問に、

「自衛隊のヘリなんて待てません。先生も屋上になんか行かないほうがいいですよ」

焦っている雰囲気で、そう答えた。


鈴木は、防火はしごに手をかけた。


3階の、1枚目の防火扉が壊されていく音がした。

鈴木は泣きそうな、不安そうな顔を浮かべた。

集団と違う行動をするというのは、相当な不安だろう。

でも鈴木の判断は、たぶん正しい。


「鈴木! 屋上には生徒がいっぱい残っていますか!?」

鈴木に質問に答えてもらうため、あの音に負けないように大きな声でそう聞いた。


「いっぱいいます!」

鈴木も声を張り上げて答えてくれた。


「ありがとう!」

その情報を聞けて良かった。

ヘリ一回で救助できる人数なんて限られている。

やはり、時間を稼がなければ。

たくさんの時間を。


失敗は許されない。

急がなければ!


「私はもう行きます」

そう鈴木に告げる。

「下を見ずに、ゆっくり、しっかりと降りてください。モンスターは、しばらくは外に出ない。ここが3階だということを忘れないでください」


鈴木の手が止まった。


「ゆっくりとは言いましたが、止まっている時間はありませんよ!」

「先生は、私のことを怒らないんですか!?」

鈴木がそう聞いてくる。


鈴木も急いでいるはずだ。

だから、これは鈴木にとって大切な質問なんだと思った。

俺は生き残る自信はない。

生き残った鈴木に、少しでも前を向いて生きていけるように、しっかり答えないといけない。


「どうして? 怒られるようなことはしていないでしょう」

集団行動から外れたことに、罪悪感を感じているのだろうか。

集団行動は命を守るために1つの手段。

集団行動を外れたことで、鈴木が自分を責めることがあってはならない。


「私たちに何かあっても、鈴木が何かを背負う必要は何もありません。どうか前を向いて生きてください」


言葉は難しい。

思いをこめても、言葉を尽くしても、伝わらないことは多い。


「先生」

鈴木がつぶやくように、しかしはっきりとこう言った。

「先生も生き残って」


はしごを降りて行った。

鈴木は生き残ってくれるだろう。

先生“も”と言ってくれた。


俺は、屋上に行かなければ。



屋上への階段を登りきった踊り場にたどり着いた。

心臓の音が鳴りやまない。

手が震えている。


俺がここで足止めをしないと、多くの生徒が死ぬ。


やりきる。

やりきるんだ。


まず、プラボトルに入った次亜塩素酸ソーダを階下に向かってまく。

次に、まかれた次亜塩素酸ソーダに向けて、塩酸ビンを投げる。

割れて、中身が出る。


黄色いガスが発生した。

塩素ガス。

呼吸器に損傷を与え、咳や嘔吐、最悪死に至る。

「混ぜるな危険」は塩素ガス発生のためで、実際に死亡事故が起きている。


あの量だし、空間が広いので、効果はあやしい。

空気より重いので下にたまるので、屋上の生徒への危害はないだろう。


階段に潤滑油とガソリンをまく。

シアン化物を水にとかし、ピペットで吸い上げる。

ピクリン酸を左手に、濃硫酸を右手に持つ。


できる限りのことはした。


失敗したら死ぬ。

成功しても死ぬかもしれない。


胸に手を当てる。

できるできないじゃない。

やるしかない。

そう言い聞かせる。


「ゴオン」

にぶい金属音が鼓膜を突き抜けた。

同時に、防火扉がチューインガムのように膨れた。

もう一度、音がする。

ふくらみが大きくなる。

数回繰り返された。


やがて、大きな緑の拳が防火扉から出てきた。

穴が広げられ、化け物の顔が見えた。


目が合った。


人のような目をしていたが、獣のような瞳だった。

純粋な殺意。


死。


目の前に死があると思った。

奥歯が鳴った。

一瞬、鈴木と一緒に逃げればよかったと思った。


でも、教頭先生もサッカー部の先生も、最後まで生徒のために戦った。


体、動いてくれ。

自分の死にびびってる場合じゃない。


化け物の視線がそれた。

口をおさえている。

塩素ガスに気づいたようだ。


化け物にも、毒は効く!


「アアアアアア!」

化け物は咆哮ほうこうした。

鼓膜も、心臓も破れるかと思った。


「これに懲りて、引き返してください。あなたに危害を加えたいわけじゃない」

言葉による説得も試みる。

少しでも可能性があることをやる。

祈りながら。


だが、化け物は防火扉を抜けた。

塩素ガスによる症状もない。


分かった。

覚悟を決める。


化け物は再び咆哮した。

さらに音量を増したが、ひるんでる暇も、耳をおさえている暇もない。


1歩目で階段の半ばまで来た。

速い!


2歩目が届いてたら俺は死ぬ。


でも1歩目まで待つ必要があった。

ピクリン酸をビンごと投げたと同時にかがんだ。


化け物に当たらなかったら死ぬ。

ビンに強い衝撃が加わらなくても死ぬ。

かがみながら祈った。


ピンと、甲高い音が鼓膜を強く押した。

すぐ、少し刺激臭を含んだ風が通り過ぎる。


おそるおそる顔をあげる。


化け物は顔をおさえていた。

あの小瓶では、ケガすらも負わせられていないようだ。


ピクリン酸はフェノールをニトロ化したもので、爆薬として使用される。

衝撃や急熱によって爆発する。

しかし、教育用のものだ。

濃度が十分ではない。


残念ではあるが、それは想定内だ。


問題はここから。


化け物は、階段から転げ落ちた。

油が敷かれた階段は、不意をくらった化け物の足元を滑らせてくれた。


その際に、ガソリンができるだけたっぷり体にまとわりついてくれるとなお嬉しい。


ピクリン酸を持っていた空いた手でライターを取り出す。

火をつけようとしたが、その必要はなかった。


爆発したピクリン酸の火の粉がガソリンに着火した。

緑の化け物が火に包まれた。

階段も燃えているので、こちらにも熱気が伝わってくる。


火の中で悶えている化け物に向かって、ふたを開けた濃硫酸のボトルを投げた。


強酸が皮膚に付着すれば、火傷やけどを負う。

その強酸の中でも、濃硫酸は脱水効果がある。

皮膚の水分子を強引にぬきとり、皮膚組織をばらばらにする。


しかも硫酸は揮発しないから、洗い流さない限り、ずっと皮膚に残る。

この火の中だから、濃硫酸はさらに濃縮され続けるだろう。

しかも熱された硫酸は、酸化力を増す。


化け物の咆哮が大きくなった。

硫酸のプラスチックボトルが溶けたのだろう。


この咆哮は、今までのと違っていた。


やれることはやった。

あとは、火がおさまって近づけるようなったら、ピペットで口にシアン化カリウムを注ぎこむ。

シアン化物は少量でも数秒で死に至るほどの猛毒だ。

でも、


「もう動かないでくれ」


そう願いながら、燃え盛る炎と、火だるまになっている化け物を見続けた。


お読みいただきありがとうございます!

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