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1話 はじまり

のんびりと連載していきます

気長によんでいただけたら幸いです!

学校には、というよりも、どの組織にも危機管理マニュアルがある。

それは、地震、火事、水害など、主に災害に対してだ。


モンスターに対してのマニュアルなんてない。

かろうじて、凶器を振り回す不審者への対応があるくらいで。




俺は、工業高校3階の化学室にいた。

夏休み。

1学期末テストの補習だ。

補習を受ける側ではない。

補習を受けさせる側だ。


つまり教員だ。

専門教科は理科、その中でも化学を専門としている。


とても暑いが、教室とは違って冷房はない。

教室を使って、冷房をがんがん効かせたいところだが、あいにく他の行事で使われている。

もともと学習への意欲が低い生徒だが、暑さのせいでよりやる気をなくしている。


一人の女子生徒が外を眺めている。

鈴木友華すずきともかだ。


京人形のような黒髪が、白い首筋を隠す程度に切りそろえられている。

小柄でおとなしい生徒だが、目がぱっちりとしていて目力を感じるせいか、教員の目が行きやすく、教員間でも話題にあがることが多い。

良くない評価のほうの話題だが。


この生徒は、とにかくやる気がない。

授業中は寝てても起きてても話を聞かない。

提出物も一切出さない。


「鈴木。人が話しているときは、聞くことに専念しなさい」

今まで何度言ったか分からないセリフを、今回も投げかける。


鈴木に反応はない。

聞こえていない、わけはないだろう。この距離で。


努力をしても欠点(赤点)になるなら、こちらの指導が悪いか、残念ながら生徒の能力に見合わない。

だが鈴木は違う。


こちらの指導を一切無視している。

礼儀を欠いていると思う。

一番嫌いなタイプの生徒だ。


暑いせいか、腹が立ってくる。


他の仕事はたくさんある。

この補習がなければ、定時に帰れるかもしれない。

それでもこの時間が必要だと思うから、しっかり準備もして、この時間を設けている。


「鈴木」


もう一度呼ぶ。

他の生徒に示しがつかないから、さすがに叱らないといけない。

あまり気は進まない。


この暑い中、大声を出したくない。

異性の生徒を叱るときは、どうしても気を遣うから面倒でもある。

この生徒のために、まじめに補習を受けている生徒の時間を奪うのも心苦しい。


「鈴木、聞こえているでしょう? 返事をしなさい」


「先生……」

鈴木はか細い声で、ようやく返事をした

窓の外を指さしている。


そこでようやく、鈴木の様子がいつもと違うことに気づいた。


「どうした?」

鈴木はしゃべらない。

いや、しゃべらないのではなく、言葉にならない感じだ。

明らかに様子がおかしい。


鈴木は何を見た?


窓に駆け寄る。


交通事故か?

熱中症かか?

火事か?

ケンカか?


頭の中でいろいろな想像が起こりながら、窓の外を見る。


「は……?」

状況を飲み込めなかった。


まず、校庭で生徒が倒れていた。

一人や二人ではない。

何人だこれは……、軽く1クラス分はいる。


しかも全員流血している。

3階から見えるんだから、尋常じゃない出血量だ。

早くしないと命に関わる。


救急車は呼んだのか?

顧問の先生は気づいているのか?

そもそも、なぜこんな事故が起きているんだ?


状況を把握しようと辺りを見渡しながら、いろんな疑問が頭の中で駆け巡る。


顧問の先生が、流血している生徒に駆け寄っているのが見えた。

少しホッとした。

いや、ホッとしている場合じゃない。


AEDや救急車の手配、誘導。

やることはたくさんある。

止血する道具もAEDもまったく足りないだろう。


「校庭で倒れている生徒の救護に行くので、各自課題を進めていてください」


「本当に行くんですか!?」

鈴木がそう反論してくる。

さっきまであんなに消え入りそうな声だったのに、叫ぶような声量だ。

俺の発言が信じられないというような非難の口調も感じる。


だからこそ、鈴木が言っていることが理解できなかった。

なぜ、そんな当たり前のことを聞く?


「当たり前です。生徒の命が第一です」

そう答えた。


「じゃあ、私たちも生徒です!」


「は? 何を言って……」


「あれを見ていないんですか!?」

鈴木が窓の外に視線を移す。


そういえば、なぜあの生徒はあんな流血をしているのか。

その謎は解決していない。

そもそも考える時間があるなら、一刻も早く救助に向かいたいからだが。


鈴木の迫力に押された形で、窓の外を見る。


「え……」


白昼夢とか、暑さのあまりの幻覚とか、気絶している間に見ている夢とか、そんなことをまず思った。

続いて、ドッキリとか、ハロウィンとか、どうか目の前で起きていることが現実ではありませんようにと願うような、そんな考えが浮かぶ。


校庭には、モンスターがいた。

比喩とかではない。

正真正銘のモンスターだ。


2メートルを優に超え、筋肉質で、緑色をしている。

どこからか引っこ抜いてきただろう信号機を振り回していた。


サッカー部と思われる生徒は足が速いはずだ。

それなのに、緑の化け物は数歩で追いつき、信号機を振り下ろした。

生徒から赤い鮮血が噴射した。


「やめてくれ……」

そう声が漏れた。

もう事が起きてしまっているのに、そう願った。


サッカー部には、俺のクラスに5人いる。

どいつも勉強も部活も頑張っている、気のいいやつらだ。

俺が知らないサッカー部のやつらもきっとそうだ。


倒れている生徒に、10番のユニフォームがいた。

佐藤だ……。

10番をもらえたことをすごく喜んでいた。


「全国に行ったら、評点あげてくださいね!」

なんて調子のいいことを言っていた。

「勉強は勉強で頑張って、評点を上げなさい」

と答えたが、そのセリフが必要ないくらいに、勉強もしっかり取り組む生徒だった。


とにかく授業に集中していた。

質問も鋭いから、気を抜いた授業はできなかった。

あの年であの集中力とメリハリのつけ方は、生徒としてではなく人として尊敬した。

きっと、社会に出ても活躍するだろうと思っていた。

活躍して、幸せな人生を歩んでほしいと思っていた。


それが、あんなこと……。

夏の大会も勝ち上がって、今度の日曜が全国に行けるかどうかの分水嶺ぶんすいれいだった。

今までの努力が報われる前に、人生これからって時に……。


「こっちに来い! 化け物!」


顧問の先生が叫んでいる。

先生の手には、木刀。

一度も使われた記憶がない、不審者撃退用に置いてあった木刀だ。

生徒を流血した犯人から、生徒を守ろうとしている。


でも敵うはずがない。

「逃げてください! 先生!」


知っている。

先生も敵うと思っていない。

そんなことが分からない先生ではない。

生徒が逃げ切れるように、時間稼ぎをしようとしているんだ。

自分の命を賭けて。


化け物は、先生の声に反応し駆け寄る。

3歩。


1歩めで、信号機を振りかぶる。

2歩めで、信号機の軌道が半円を描く。

3歩目で、先生の頭がなくなった。


数秒も時間を稼げなかった。


「先生……」


情熱的に仕事に取り組む先生だった。

部活中はずっと生徒を見ていた。

今日みたいな暑い日でも。


一人一人に向き合っていた。


部活が終わって生徒が帰ったあとに、担任業務や授業準備をした。

授業でも決して手を抜かず、一度見せてもらった教科書にはまるで余白がないくらい書き込みがあり、板書計画も練られていてわかりやすい。


それでいて、俺たち若手にも気さくに話しかけてくれ、仕事の質問にも嫌な顔をせずに丁寧に答えてくれた。


尊敬する先生だった。


それがあんな理不尽に、一瞬にして、命を奪われた。


「緊急放送です!」

大きな音量が、スピーカーから流れた。

校内放送か。


「全生徒は、ただちに屋上に向かってください! これは訓練でもテスト放送でもありません! 命を守るためにただちに屋上に向かってください!」


緊迫した声。

教頭先生の声だ。


鈴木は走り出した。

屋上に向かったのだろう。


続いて、3人ほどの生徒が続いた。

いずれも窓際の生徒たちだ。


「全職員に連絡です。屋上への生徒の誘導と安全確保をお願いします。生徒の逃げ遅れの確認が済み次第、防火扉を閉めてください」


校内放送で、教員への指示が出された。


なぜ、屋上なのだろう?

あの化け物が本気で屋上を目指したら、防火扉なんて薄いベニヤ板よりもろい。

なぜ逃げ場のない屋上への誘導なのだろう。


管理職はパニックになって冷静な判断ができないのではないか。

この指示に従って、本当にいいのか?


いや、指示に従おう。

勝手な判断で、管理職が思い描いている避難方法をふいにするかもしれない。


生徒の命がかかっている場面。

1つの失敗も許されない。


ふと、他の生徒を見ると、どうしたらいいのか決めあぐねているようで、キョロキョロ見渡していた。


「君たち、今の放送の通りです。すぐ、今すぐに、屋上に向かってください」


「先生、補習は終わりですか? また別の日ですか?」

なんてのんきな質問をするんだと思ったが、あの現状を知らないから、夏休みの予定のほうが目下もっかの大事なのだろう。


「補習は終わりです。いいから、すぐに屋上に行ってください!」

「なにが、起きているんですか?」

「行きなさい! すぐに!」


思ったよりもきつい口調だったのだろう。

生徒たちは驚いて体を硬直させたが、おそるおそると言った感じで立ち上がり、化学室を出て行った。


1人の生徒が窓の外を見ようと、窓際に行こうとした。


「見るな! どうしても見たいなら、屋上に着いてからにしなさい!」


生徒は体をびくっとしてこちらを見た後、急いで化学室を出て行った。


化学室には誰もいなくなった。


緊急放送は繰り返されている。

ここにいた生徒のように、危機感なく、その場にとどまる生徒がいるだろうことを、教頭先生は分かっているのだ。


でも、放送室は1階にある。

一刻も早く自分も避難したいだろう。


窓の外を見る。

緑の化け物がいない。

というより、動いているものがいない。

校庭には倒れている生徒と、水たまりのように溜まった血が、校庭をうめつくしていた。


「どこに……?」


スピーカーから、ぎゃっと悲鳴が聞こえた。

今までの文言同様、屋上に避難するようにという指示の途中だった。


何が起きたのかは、すぐに予想できた。

それが教頭先生の最期だということも分かった。


緑の化け物に、校舎に入られた。


生徒はちゃんと屋上に逃げられたのだろうか。

屋上に行けたとして、生徒の命は守られるのだろうか。


考えられるのは、ヘリによる救助。

もしくは、自衛隊や警察による化け物の駆除。


どちらも時間がかかる。

時間がかかればかかるだけ、生徒が死ぬ。


俺が今できることは、3階の見回りと生徒の誘導。

そして、あいつの足止めだ。


ここは化学室。

隣の準備室には、少量だが、毒物と劇物がある。


毒ガスを充満させる。

強酸で、目を焼きつぶす。


それくらいしか思いつかない。


あの化け物に効く気がしないが、俺もできることはしたい。

可能性がある限り。


準備室に入り、薬品棚を開ける。

仕えそうな薬品を取り出していく。


床に水が落ちた。

なんだと思ったら、自分の涙だった。

それに気づいたら、目が涙でかすんできた。


校庭の景色と、教頭先生の最期の叫びが頭から離れない。


教頭先生は誰よりも早く来て、誰よりも遅く残る人だった。

朝のうちに片づけないといけない仕事を思い出し、6時くらいに出勤したら、教頭先生が先に仕事していた。

どんなに遅くまで仕事しても、一緒に仕事をして、カギ閉めを一緒にしてくれた。

その際には、俺のことを気づかって声をかけてくれる。

明らかに俺より大変なのに。


休日だって常にいるし、部活の大会でも学校行事でも、雨でも今日のような暑い日でも、生徒に見送りにくる。

職員室の流しをピカピカにしているのも教頭先生だ。


こんな人が教頭先生になるのだなと、畏敬と尊敬をずっと感じていた。

立派な方だった。

最期まで……。


どうして、こんなことに。

亡くなった生徒も、先生も、みんな良い人だった。

俺なんかより、すごく。


俺は劇物庫から取り出した濃硫酸を、じっと見つめた。

お読みいただき、ありがとうございました!

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