表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

仮面の奥に囚われて

作者: 如月悠里

 仮面舞踏会。


 仮面の下に真実を隠して、誰が誰なのか、探り探られ。

 仮面を被れば淑やかな淑女にも、艶やかな娼婦にもなれる、大人の社交場。


 ――本当の私を知っているのは、貴方だけ。






「リュカ!聞いてちょうだい!もうこれしかないと思うのよ!」


 勢いよく執務室の扉を開ければ、埋もれんばかりの書類に囲まれ、眉間に皺を寄せていた弟の顔には、更に深い皺が刻まれてしまった。


「姉上……淑女はそのように音を立てて扉を開けたりはしません。ノックもしませんでしたね?」

「うっ……失礼致しましたわ」


 じろりと睨まれ、慌てて淑女の礼をとる。と、これ見よがしに大きな溜息が聞こえてきた。


「姉上は姿勢だけは本当に綺麗なのですから、最初からそうしていれば僕だってこんな小言を言わなくて済むんです。普段からもう少し伯爵令嬢という自覚を持ってください」

「そうは言ってもねぇ……我が家は貧乏だし、自覚を持てと言われても難しいわよ」


 そう、何を隠そう、私――リリアーヌ・アリッサムは正真正銘の伯爵令嬢ではあるのだが、伯爵家とは名ばかりの貧乏貴族である。


 それもこれも、原因は私のお父様だ。没落の典型とも言える女遊びが過ぎるだとか、賭事に狂っているだとかそのような事では全くなく、只々度が過ぎる程のお人好しなのだ。


 困っている人があれば、貴賤を問わず全力で助ける。その姿勢はとても立派だと思う。思うのだが、何事も為そうと思えばお金がいる。その上、お父様は人を疑うという事を知らないので、それはもうよく騙される。つい先日も怪しい商人に騙されて、見た事もないフルーツの苗木をたくさん買わされてしまっていた。


 しっかり者のお母様が生きていた時には、ここまで落ちぶれてはいなかったのだが、私が幼い時にお母様は流行り病であっという間に儚くなってしまったのだ。それからというもの、お父様を止められる人は誰もおらず、我が家の財政は悪化の一途を辿っている。


 弟のリュカは、お母様に似た上にお父様を反面教師にしているのでとてもしっかりしているのだが、まだ14歳の未成年だ。頭も良くて、貴族学校にも飛び級で入学しており、領民と一緒に農作業に勤しむお父様の代わりに執務の大半を行っているので、最早弟が伯爵の様なものなのだが、流石に成人の18歳にならなければ爵位は継げない。


 そうなってくると次期伯爵になる弟の為にも、私が出来る事は少しでも持参金が少なくても大丈夫な人を捕まえる事なのだ。


「やっぱりもう、これしか手は無いと思うのよね……」


 手元に握り締めた封筒へと視線を落とせば、リュカが怪訝そうな顔を向けた。


「これしか手は無いって……姉上、また何か変な事考えてやしないでしょうね?」

「変な事って失礼ね!これよこれ、王妃様主催の仮面舞踏会よ!!」

「は?」


 ばばんとリュカの眼前に、王家の紋章の封蝋がされた封筒を差し出す。リュカは目を丸くした後、私から勢いよく封筒を奪い取り、何度も裏返しては確認しているが、王家の象徴のライオンが、紛れも無く本物である証なのだ。検分を終えると、彼は呻きながら頭を抱えてしまった。


「まさかとは思いますが、これに参加して、どうされるおつもりなのですか?」

「それは勿論、持参金が少なくても気にしない上位貴族を捕まえて、既成事実でも何でも作って結婚に持ち込むのよ!」

「はぁぁぁ!?馬っ鹿じゃないですか!?そんな事、処女の姉上にできる訳ないでしょう!?」

「そうそれを逆に利用するのよ!世馴れた振りして近付いて、事が済んだら純潔を奪ったのだから責任とって頂戴って迫る算段に決まってるじゃない」


 我ながら名案だという表情をしていれば、リュカは本格的に頭を抱えて蹲ってしまった。「こんな事バレたら殺される……」と何やらよく解らない事をぶつぶつと言っていて、首を傾げるばかりだ。

 暫くそうしていたのだが、考えが纏まったのか、よろよろと力無く立ち上がり、私の方を恨めしそうに見てきた。


「……そんな事しなくても、姉上にはちゃんと婚約の申し込みをしてくださる方がいるでしょう」

「アレク兄様には……こんな借金だらけの貧乏令嬢じゃなくて、もっと素敵な御令嬢がお似合いだもの」


 アレク兄様というのは、アレクサンドル・グロリアス様という。それは美しく長い黒髪と、優しい琥珀色の瞳の持ち主で、見目も麗しい上にかつては王女様も降嫁した事がある様な、由緒ある侯爵家の御嫡男様なのだ。


 そんな彼のご両親である侯爵御夫妻は、私の両親とは何と貴族学校時代からの友達だったりする。その縁で、アレク兄様とは私が産まれた時からの付き合いで幼馴染なのだが、アレク兄様にとっては本当の妹の様なものなのだと思う。


『可愛いリル。私の事は、アレク兄様って呼んで。そう呼んでいいのは、生涯リルだけだからね。勿論、君の事をリルって呼んでいいのも私だけだよ』


 私の名前のリリアーヌから、彼は私の事をいつも可愛い百合の花(リル)と呼ぶ。

 彼とは6歳も離れているから、本当に私は彼にとって小さくて可愛い存在だったのだろう。その頃はまだ兄弟がいなかったアレク兄様は、どこへ行くにも私を連れて行ってくれたし、美味しいお菓子を手ずから食べさせてくれたり、一緒に絵本を読んだり、それはもうたくさん遊んでもらった。


 私が4歳でアレク兄様が10歳の時、私にはリュカという弟ができて、アレク兄様にもヴィクトルという弟ができた。それからは弟達も含めて遊んでくれたけれど、私と二人だけで過ごす時間もいっぱいとってくれたアレク兄様は、本当に優しくて大好きな、私の初恋だ。


 でも、お母様が亡くなって、我が家の財政が傾いてくると嫌でも思い知ってしまった。私とアレク兄様では釣り合いがとれないのだと。


 侯爵御夫妻には、これまで何回も我が家の危機を救ってもらっているけれど、流石にその一環でアレク兄様と結婚というのは申し訳がなさすぎる。借金だらけの我が家と縁を結んだ所で、侯爵家にはなんの得もないのだから。


 頭に浮かんだアレク兄様の優しい微笑みを打ち消す様に(かぶり)を振ると、ぎゅっと拳を握りしめる。


「とにかく!アレク兄様だけは駄目なのよ……!でもアレク兄様以外からの婚約の申し込みなんてこれまで一度も無いのだし、きっと貧乏な伯爵令嬢は魅力が無いのね。だからこその仮面舞踏会よ!」

「僕にはどうしてその結論に至ったのかが全く解りませんよ……」

「あら、リュカでも解らない事があるのね。仮面を被れば、誰が誰だか解らないでしょう?それならきっと、私自身を気に入ってくれる人だっているかもしれないじゃないの」


 自分では、この銀糸の様なふわふわの癖毛も、淡いオパールグリーンの瞳も、美人だったお母様に似て可愛いと思っているのだが、家族以外ではアレク兄様とヴィクトル、後は侯爵御夫妻にしか可愛いと言われた事が無いのだから、きっと家族の贔屓目なのだろう。

 容姿で勝負出来ないのなら、仮面舞踏会は正に好都合なのだ。


 リュカはあぁでもない、こうでもないと考えを巡らせていた様だが、最後は諦めた様子で溜息を漏らした。


「姉上が言い出したら聞かないのは解ってますけど、この事はアレクサンドル様には言いますからね」

「構わないわよ。アレク兄様にも私だって解らない様に、完璧に変装してみせますからね!」

「そうですか……僕は無駄な足掻きだと思いますよ。姉上は一度、あの人の重さを身をもって知るべきだな」


 ぽつりと漏らされたリュカの言葉は、あれこれと変装について考えを巡らせていた私には、全く聞こえていなかった。






 ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎






「ど、どうしましょう……私、完全に場違いだわ」


 王宮の大広間には煌びやかなシャンデリアが輝き、豪華なドレスに身を包んだ女性や、かっちりと正装した紳士が笑いさざめいていた。

 皆、それぞれ思い思いの仮面を被り、誰が誰だか解らない。仮面の下で何を考えているのか、お互いに探りながら会話というゲームを楽しんでいるのだ。


 まさしくここは、世馴れた男女の集う、大人の社交場。成人になったばかりの私では、雰囲気だけで気後れしてしまった。


 そもそも、今回の招待状はとある公爵令嬢から必要ないからと譲ってもらったものなのだ。

 ついでにドレスやお化粧なんかも協力してくれて、普段学校ではあまり話した事がない方なのに、なんて親切な方なのだろうとそれはもう感謝した。

 髪色はそのままだけれど、綺羅綺羅としたラメを振りかけた事で、動く度に星屑の様に綺羅綺羅と煌めいて、いつもよりも華やかな印象になっている。更に普段した事がない艶やかな雰囲気に結って頂いたし、仮面を被れば家族だって私だとは解らないだろう。

 ドレスだって、普段は着た事がない落ち着いた夜の様なミッドナイトブルーだ。煌めく銀糸の様な髪と合わせれば、夜の女王といった所だろうか。


 自分では完璧な装いだと自信満々だったのだが、ホールに入った瞬間、しんとさざめきが静まり返り、視線が痛い程集中した事に驚き、完全に怖気付いてしまったのだ。動揺を悟られないように、背筋だけはしっかりと伸ばし、静々と端の方にある立食形式の料理の前まで移動すると、溜息を漏らした。


(そもそも、舞踏会って一度も参加した事が無かったんだったわ……我が家は貧乏だからドレスも古い物しかないし、アレク兄様は私を人が集まる所には連れて行ってくれなかったものね……)


 そう考えると、アレク兄様は私を人前に出すのは恥ずかしいと思っていたのだろうか。ホールに入った時も、私が場違いすぎて目立ってしまったのかもしれない。


 目の前にあるグラスを手に取り、一口含む。果実酒の甘さが、緊張して酷く渇いた喉を潤すのだが、心にはもやもやとした思いが広がるばかりだった。


「なんだか駄目すぎるわ……もう帰ろうかしら……」

「え、もう帰られるのですか!?」


 近くで声がしたのに驚き、びくりと肩を震わせる。振り向けば、そこには蝶を模した仮面を着けた赤い髪の青年の姿があった。貴族男性の知り合いが学校以外にいないのだが、恐らく会った事はない人だろう。彼は私と目が合った所で、にっこりと微笑んだ。


「美しい方、貴女が現れた瞬間、あまりの美しさに我々は息を呑みました。何処の姫君なのかと、貴女の話題で持ちきりですよ」

「美しい……?私は美しいのですか?その様な事、今まで一度も言われた事がないのですが……」

「それは貴女の周りの者の目が節穴なのでしょう。貴女は月の女神の様にこの上なく美しい……どうか私と一曲、踊っては頂けませんか?」


 そう言うや否や、彼は恭しく片膝をつき、すっと此方へと手が差し出される。どうしたらいいのかと逡巡していると、ざわりと人々の気配が揺れ動くのを感じた。何事だろうかと視線を向けた所で、思わず息を呑む。


 それはとても美しい人だった。黄金の様な長い髪に、夜色の燕尾服。仮面には銀の百合があしらわれ、その仮面の奥にあるのは優しい琥珀色の瞳だ。すらりとした長身で、仮面で顔は隠されているのに、その雰囲気だけで彼が美丈夫だというのは明らかだった。


 彼は迷う事なく、私をその視界に捉えると、脇目も振らずに真っ直ぐ此方へと歩を進めてくる。私の前に跪いていた青年など物ともせず、私の指にそのしなやかな手を絡めた。


()()()私の百合の花(リル)。君が居るべきなのは此処ではないよ。さぁ、私と共に帰ろう」


 どくんと心臓が一つ音を立てる。

 ()()()ではなく、()()()と、確かにそう聞こえたのだから。


 言葉にならず、こくりと一つ頷けば、彼は蕩ける様な笑みを浮かべる。と、そのまま勢いよく私を横抱きに抱えてしまうのだから、私は目を白黒させながら、必死に彼の首筋にしがみつくしかなかった。


「お集まりの皆々様、お騒がせして申し訳ない。どうかこの後も存分に楽しまれるよう」


 私を抱えたまま、彼は優雅に礼をとると、そのまま今来たばかりの扉をくぐり、気付いた時にはそのままの体勢であっという間に馬車の中に収まっていた。どう考えても、馬車の中でまで横抱きで膝の上というのはおかしい。しかも、いつの間にか私の仮面は剥ぎ取られてしまっており、赤くなった顔を隠す事も出来なかった。


「も、もう離してくださいませ!アレク兄様!!」


 そっと彼の仮面に手をかければ、至極嬉しそうな表情のアレク兄様が微笑んでいた。


「おや、私が誰だか解っていたのだね」

「当たり前です!髪の色も……あと声もちょっと違いましたけど、瞳の色がおんなじなのですもの。私が大好きな、優しい琥珀色です」

「うん、よく出来ました。でも離してはあげられないな。離したら君は逃げてしまう事が解ったからね」


 彼の右手はがっちりと私の肩を捕らえているのだが、私の足を抱えていた筈の左手は、いつの間にか自由になっており、あっという間に私の手はまたしても彼の手に絡め取られてしまった。

 指先が優しく撫でられたかと思えば、瞬く間にそこに口付けが落とされ、びくりと震える。あろう事か、そのまま指を喰まれてしまうのだから、私の顔は羞恥で真っ赤に染まってしまう。指先を這う淑やかな舌の感触に、為す術もなく打ち震えるしかない。


「……ねぇ、私と結婚するのは、そんなに嫌だった?」


 長い睫毛に縁取られた彼の双眸が、咎める様にすっと細められる。

 あぁ、そうか。彼は怒っていて、これは罰なのだ。


「っ……嫌、じゃありません……ただ、これ以上アレク兄様に迷惑をかけたくなくて……」


 震えてしまう声を必死に抑え、絞りだす。こんな風に彼が怒った事は今まで一度もなく、嫌われてしまったのだろうかと、油断すれば涙が溢れてしまいそうな所をどうにか耐えた。


「迷惑だなんて、誰が言ったの?」

「だって……!迷惑に決まっています……ただでさえ借金だらけなのに、アレク兄様以外から婚約の申し込みもこないような何の魅力もない私まで押し付けられるだなんて、アレク兄様には何の得も――」


 言葉と一緒に耐えていた涙が溢れだし、しゃくりあげてしまう寸前だったのを、彼の唇に塞がれる。驚き、口を開けた所で、侵入してきた彼の舌に私のそれも絡め取られた。吐息の熱さと息苦しさに、堪らず彼の胸を叩くのだが、びくともしない所か逆に頭を掴まれ上向かせられると、口付けは更に深くなってしまった。


 ようやく解放された時には、息も絶えだえで、腰は抜けるし目は潤むし、顔は鏡を見なくても真っ赤であろう事は明白だった。きっと彼を精一杯の抗議を込めて睨みつけるのだが、彼はといえばこの世の全ての幸福を受けた様な、極上の微笑みを浮かべていた。


「なっんて事なさるのですか……!わ、私は初めてなのに……!」

「良かった。私も初めてだから、お揃いだね」

「えっ……?」


 嬉しそうに微笑むアレク兄様を、信じられない思いで穴が開かんばかりに凝視する。

 初めて……?あれで!?あんな濃い口付けが初めて!?嘘でしょう!?


「っ……そんなに見つめないで。また君にキスしたくなってしまうよ」


 何故か照れた様子のアレク兄様に、私は慌てて視線を逸らした。一体何がどうなってこんな事になっているのだろう。何かがおかしい。


「あ、あの……アレク兄様は私の事を妹みたいに思っていたのではないのですか……?侯爵御夫妻と仲の良い私の両親の手前、婚約の申し込みの一つも来ない私を憐れんで、お情けで婚約も申し出てくださったのだとばかり……」

「君の想像力の豊かさと思い込みの強さはどこから来ているのだろうね……愛していなければ、婚約の申し込みなんてしないよ。私はずっと、リルの事を私だけの愛称で呼んでいるし、リルだって私を愛称で呼んでいるでしょう?」

「それはでも……!だって、好きな相手に普通『兄様』だなんて呼ばせませんよ!」


 そう、そうなのだ。ずっと引っかかっていたのは、どうして()()()()ではなくて、()()()()()だったのかという事だ。

 そんなの、恋愛対象外の家族枠なのだと言っている様なものなのに。


 そう言えば、アレク兄様は目を丸くした後、ややあって困った様に微笑んだ。


「それはだって、家族ならずっと一緒にいられるからだよ。私は、リルが産まれた時から君に恋していたけれど、リルが私を好きになってくれるとは限らないから。だから『兄様』だなんて予防線を張ったんだ。小さな君が、舌ったらずに私を『兄様』と呼んでくれるのが堪らなく可愛かったというのもあるけれどね」


 最後の方が本音の様な気がしないでもないのだが、それよりも何より――


「アレク兄様は、産まれた時から私の事が好きなのですか!?」


 いつから好きでいてくれたのだろうと思っていたら、まさかの産まれた時からだ。一目惚れにも程がある。


「君が産まれた時、丁度うちの別邸に君のご両親が泊まりに来ていた時だったから、私も立ち合わせてもらったんだよ。ずっと君は泣いていたんだけれど、私の指を小さな可愛らしい手で掴んでくれたと思ったら、君は笑ったんだ。その瞬間に、私は君に恋したんだよ」


 その時の事を思い出しているのか、アレク兄様はとても幸せそうに微笑む。なんだかとても気恥ずかしくて、私は思わず俯いてしまった。

 俯いた私の視界に、私の手に手を絡める光景が広がる。


「だから私は、リルと手を繋ぐのが大好きなんだ。いつも嬉しそうな笑顔を見せてくれるから」


 思い返してみれば、アレク兄様はいつだって私と手を繋ぎたがっていた。いつだって、優しく、宝物を扱う様に触れてくれるのだ。


「でもそうか……結婚するなら、いつまでも兄様なのはおかしいね。それなら今日で兄様は卒業かな。……愛しい私だけの百合の花(リル)、どうか私の名前を呼んで」

「っ…………アレク……様……」

「うん、よく出来ました」


 ご褒美のキスは、初めての時よりも優しく、啄むような甘い甘いキスだった。


 暫くはうっとりと余韻に浸っていたのだが、少し落ち着いてくると、そういえばこの馬車は一体どこに向かっているのだろうかという疑問が浮かんでくる。てっきり伯爵家へと送ってくださるのかと思っていたのだが、それにしては時間がかかり過ぎているし、外は暗いため景色では判断がつかない。


「あの、アレク様……この馬車はどこに向かっているのでしょうか?」

「勿論、侯爵家だよ。うちは王都の外れにあるから、王宮からだと時間がかかってしまうね」

「えっ」

「そのまま本邸の奥にある別邸に向かうんだけど、そこまでは馬車で行けないから歩いて行くしかないんだよ。でもリルの事は私が抱えていくから、安心してね」

「えっ、えっ!?」


 既に決定事項であるかの様に、この後の行程を嬉しそうに話してくれるのだが、全く理解が追いつかない。何故、侯爵家の別邸に、しかも既に夜半前のこんな時刻に伺う理由が解らない。

 おろおろと困惑しながらアレク様を見れば、にっこりと微笑まれてしまった。心なしか目が笑っていない様な気がして、ぞくりと寒気を感じる。


「作るんでしょう?既成事実」

「は?な……えっ!?な、なんでそれ!?」

「リュカくんが、事細かに君の計画を教えてくれたんだよ。初めは私以外なら誰でもいいのかと死にたくなったけれど、リルがその気なら私が別人になって君と既成事実を作ってしまえばいいんだと気付いてね。髪と声は、弟の友達が優秀な魔術師だから協力してもらったんだ」


 リュカがまさかそんな事まで話しているとは思わなかったし、別人になって既成事実を作るつもりだったのはもう訳が解らない。

 混乱している私とは裏腹に、アレク様は物凄く楽しそうなのが逆に怖すぎる。


「仮面舞踏会では君にバレないように近付くつもりだったんだけど、そんな考えは君に跪いている男を見た瞬間に全部吹き飛んでしまってね。まぁ、リルにはすぐに私だとバレてしまったから意味はなかったかな」

「そ、それならもう私はこうして此処に居るのですから、何も今日……」

「おや、だってリルはもう今夜誰かに抱かれるつもりだったんでしょう?なら私が今夜、リルの初めてを貰うのに問題はないよね?」


 にっこりと微笑むアレク様に、私は冷や汗が止まらずに震えるしかなかった。やっぱり今日の事は、物凄く怒ってる。私の考え無しの行動に怒っているのだ。


「ご、ごめんなさい、アレク様!私がとんでもなく軽率だったのはよく解りました……!だから……んむっ!?」


 誠心誠意謝ろうとするのだが、またしても私の唇はアレク様に塞がれてしまった。繰り返される甘い口付けに、思考がぼんやりとしてしまう。僅かに上気し、熱っぽくなった琥珀色の瞳が私を捉える。


「っ……は……そんな可愛い顔したら逆効果だよ、愛しいリル。君は自分がどんなに綺麗で、美しくて、可愛いのか知らないんだ。本当は跪いたあの男も、君を見て惚けていた男達全ての目を抉ってしまいたい程に、私は嫉妬していたんだよ」

「ん……」

「こうなる事が解っていたから、君を(おおやけ)の場には連れて行かなかったのに……リルに縁談が来なかったのはね、君が私が大切に隠しているお姫様なんだって貴族は皆知っているからなんだよ」


 耳元で囁かれる声音には、焦れた様な色が混ざり、確かな熱を持って私の中に浸食していく。


 6歳も年上で、余裕があるのだとばかり思っていたけれど、アレク様だって不安だったのだろう。そう思えば、堪らずに愛しさが込み上げてきて、私はそっと彼の首筋に腕を回した。


「アレク様……大好きです。私だって、ずっとアレク様が一番大切です。だから――」


 そっと耳元で、アレク様にだけ聞こえるように囁く。






 私の全てを知っているのは、貴方だけ。


 もうずっと、私は優しい琥珀色の瞳に囚われていたのだから。






読んでくださってありがとうございます!

作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!


アレクサンドルの弟ヴィクトルは連載しているお話の方に出てきますので、宜しければそちらも覗いて頂けると嬉しいです。

https://ncode.syosetu.com/n5417hc/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ