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歯車は回り出す されど嚙み合わず。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「はあ、はあ、はっ!」


荒い息遣いが狭く暗い通路に響き渡る。

ここはセントアイビス市内のスラム街、通称泣きの通りの一角だ。


ごつごつと整備されていない丸石が露わになった路面は一日中日が当たらないためか、うっすら苔が生えており、そんな通路には浮浪者が幾人も気だるそうに横たわっている。


もはや死んでいるのかも不明な者たちを飛び越えるように疾走する男は、何度も後ろを振り返りながらある場所を目指していた。


狭隘な路地を進むと、今にも崩壊しそうなドロ粘土で作られた一軒の小屋があり、その男はその場で立ち止まると、再度周囲を確認し、小屋の扉を押し開けた。


小屋の中はボロボロになった机や椅子、カビだらけの本が数冊散乱しており、その様子はさながら幽霊屋敷だ。

男はそんな状況にあってもほとんど気にしない風に、小屋の奥にある朽ちかけた本棚に近づくと、力いっぱい横にずらした。


すると本棚は鈍い音をたてながら、ゆっくりと横にスライドする。


いわゆる仕掛け扉、というやつだ。


そしてそこには更に鉄製の扉があり、持っていた鍵で開錠すると、扉を開けた。

その先は地下へ続くであろう階段となっており、男はその先がどうなっているか把握している様子で駆け降りていった。


階段を下りた先は人ひとりが漸く通れそうな通路となっており、かなり長く続いているのか、奥は暗闇で何も見えない。

しかし、階段を下りたその場にはちゃんと松明が設置されていて、男は松明を握り、通路を進んでいく。


身を屈めながら通路を進んで、しばらくしてからやっと奥にたどり着いたのか、男の眼前には梯子が現れた。

男は松明を壁に掛けるとその梯子に手を掛け、さっさと登っていく。


梯子の上からは薄っすらと光が漏れており、見たところ蓋のようになっている。


その蓋に手を押し当てて、ゆっくりと持ち上げると、男は一度視線を振り、周囲を確認すると一気によじ登った。


そこはどうやら、炊事場のようだった。

しかし、最後に使用されてから随分時間が経過しているらしく、竈には蜘蛛の巣が張り巡らされ、古びた棚には鼠が何匹か佇んでいる。


古くかび臭い空間であったが、どこか気品も持ち合わせている炊事場であるから、ここが一般平民の家であることは絶対ない。


そんな空間を気にもせず、男は炊事場の出口であろう扉を乱暴に開き、外へ出ていく。


すると、またそこには階段があり、そしてまた木製の扉があった。

男は扉を開けた。


扉の向こうは、様々な野菜や穀物が陳列された棚がところ狭しと配置されており、ここが食材倉庫であることは間違いなかった。


男はその棚にあった、キャベツの入った木箱を抱えると手荒く抱えると、その倉庫の出口となっている扉を開け進む。


扉の向こうは先程の一室と同じく炊事場だったが。ここには現在も使用されている風があり、竈にはまだ火が焚かれている状態だ。


厨房や台の上には食材や食器がかさ高く積まれていて、水場には使用済みの高級そうな皿がいくつもある。

男はそんな炊事場の様子を一瞥もせず、出ていこうとすると、偶然出口前で入ってきた人物と鉢合わせした。


「おっと、失礼...って、なんだお前か。今までどこにいたんだ?会場は大忙しだぞ!」


出くわした人物は使用人の服装を身に付けており、その両手には何枚も皿が積み重なっている。

この男の同僚なのだろうか、ごく自然に会話がつながる。


「すまん、ちょうどキャベツを探していたところだったんだよ。ああ、すぐ持ち場に行くから安心してくれ。」


「キャベツだと?何に使うんだ?」


「ボッシュ卿だよ。何でもワインにはキャベツが合うらしく、持って来いと言われたんだ。」


「ワインに合うのかね? ま、貴族様の味覚なんざ、俺たち平民には一生分からんかもな。」


「全くだ。」


男はそう言うと、同僚を残し炊事場から去っていく。


炊事場から出ると、両側に部屋が何室か配置された廊下があり、そして先はエントランスホールとなっており、大勢の人でごった返している。


男が最終的にたどり着いたのはエントランスホールよりもさらに人が集まっている大きな広間だった。


そう、ここは今まさに祝典が催されているシアントルエン城のエリザの間だった。


男はキャベツを抱えたまま、エリザの間に入って行くと、談笑を楽しんでいる来賓たち貴族の間を潜り抜け、あるテーブルに腰掛けていた小太りの男に小声で話しかけた。


「ボッシュ卿、賓客が間もなく()()が間もなくお見えになられます。すぐにご準備を。」


「...分かった。」


ボッシュ卿は男にそう促されると、重そうな腰を上げた。

彼の表情は形容し難いほど、青ざめており、踏み出した足取りも頼りげなく、今にも転げそうなほどだった。


そんな足腰を無理矢理に動かし、ボッシュ卿は上座にいるジャスパーのテーブルへ向かった。


その時のジャスパーはぼんやりとした表情で杯を片手に持ち、何やら思案するような風だったが、ボッシュ卿は構わず声を掛けた。


「...閣下、この度は誠におめでとうございます。我ら子爵家一同、心よりお祝い申し上げます。今後もその卓越した才を以て我らをお導き下さいますよう、深くお願い申し上げます。」


「ありがとう、ボッシュ卿。貴卿には父の代から世話になっていた。今日、この日を迎えられたのも偏に貴卿ら三子爵の支えあってのことだ。こちらこそ、今後ともよろしく頼む。」


ジャスパーがそう言うと、ボッシュ卿の顔が少し引き攣った。


「...どうした?顔色が悪いぞ。体調でも悪いのか?」


「...いえ、はい。何やら今朝方から腹の調子が良くなくて。...閣下には誠に申し訳ございませんが、私はここいらでお暇させて頂きとう存じます。」


「そうか、それはいけないな。今日のことは気にせず、ゆっくり養生してくれ。そのような体調で式に参列してくれたこと、感謝する。」


「はは、ありがとうございます。それでは失礼致します。」


ボッシュ卿は恭しく、頭を下げると踵を返し、その場から去る。

その表情先程に比べ、より険しいものとなっていた。


「ボッシュ卿。」


と、そんな彼の背中に、ジャスパーが声を掛けた。


ボッシュ卿はビクッと体を震わせ、思わず出そうなった声を押し殺し、ゆっくり振り返る。


「な、何か?」


「足取りが辛そうだ。手助けの者がいるのではないか?」


「い、いえ。大丈夫にございます。お心遣い、痛み入ります。」


ボッシュ卿は再度深く礼をした。

そして、礼をしたまま小声で何かを呟いたが、これは誰の耳にも入ることは無い、とてもか細い声だった。


ジャスパーはそんなボッシュ卿の背中を見送ったが、その時、何とも言えない胸騒ぎを感じたのだった。




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