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兆し


暦ではもう春だと言うのに、空には冬のような厚く黒い雲が掛かっていた。


黒い雲は今にも泣き出しそうで、それを知らせる合図かのように一陣の冷たい突風が、殺風景な丘陵を鋭く叩く。


そして遂にはポツリポツリと雨滴が降り始め、やがて雨滴は大きな水の塊となって、地面に降り注ぎ始めた。


雨によって、大地は瞬く間に水気を帯び、そして抱えきれなくなった水が大地の上に溢れかえり、小さな流れとなって、斜面を下っていく。


そんな春の嵐に見舞われた丘陵に、百人程の一団の姿が現れた。


誰も彼も黒の衣を身につけ、先頭を歩く者は小さなベルを鳴らしながら後続を率いている。


そして一団の列中央には男たちに抱えられた焦茶の棺がユラユラと揺られて、ゆっくりと丘を登っていた。


この一団は葬儀の列だった。


突然の降雨に見舞われたが、葬儀は止まることはなく、棺は丘を登りきった。


丘の上には墓標と思われる様々な墓石が鎮座しており、棺が墓石が並ぶ中央へと運ばれると、既に用意されていた岩から削り出した祭壇の上に置かれた。


棺の運び手たちは恭しく首を垂れて下がると、小さなベルを鳴らす男が祭壇の前に立った。


そして幾つかの文言を呟き、最後にベルを数回連続して鳴らすと、先程の運び手達が祭壇前の地面に掘られた墓穴に棺を運び入れ、そして棺の上に土を被せ埋めてしまった。


一連の流れが終わったのか、葬儀の参列者達はゾロゾロと丘を下り始める中、まだ棺が入った墓穴を見つめる男の姿があった。


その男は燻んだ金髪に茶色の瞳が特徴的であり、程良く引き締まった身体は鍛えている証拠ではあるが、今ではとても小さく見えて、小刻み揺れていた。


雨はだんだん強くなってきている。


「…ジャスパー様、これ以上雨に当たると身体に障りますぞ?」 


「…あぁ、すぐ戻るから爺は先に戻っていてくれ。俺はまだ父上と話すことがある。」


ジャスパーと呼ばれた金髪の青年は小さく掠れた声で老齢の男に言う。


「…承知致しました。ですがこの雨は今後強くなりそうです。くれぐれもご注意下され。」


爺と呼ばれた年寄りは溜息をつき、不安気な表情を浮かべ踵を返し、丘を下っていった。


爺の言う通り、雨足は次第に強まりつつあった。


大きな雨粒がジャスパーの全身を強く打ちつけるが、彼はその場から離れる様子もなく、微動だにしない。


それどころか、彼はぬかるんだ地面に両膝をつけ、その場に蹲ってしまった。


「父上、何故死んだ。俺はまだ貴方に教わりたいことが山ほどあったと言うのに。」


声にならぬ小さな呟きは激しい雨音に掻き消されていく。


しかしそれでもジャスパーは今は亡き父が埋葬された地面を見つめながら声を発する。


「教えてくれ、俺はこれからどうすれば良い?どうれば良いのだ、父上っ…」


懇願にも似たその声は決して死者に届くことはない。


それはジャスパーも分かっている。


しかし、あまりに早過ぎた父の死は、まだ25歳の青年であるジャスパーにとっては悲惨な現実だった。


やり場のない悲しみや怒りに身を焦し、ジャスパーはぬかるんだ地面を叩いた。


◇◇◇◇◇◇


重厚な扉が軋みを立てて開かれると、その場にいた全員が一堂に立ち上がり、目礼をする。


日は既に落ちており、雨と言う天候の影響もあり、大広間は暖炉と蝋燭の光で何とか互いの顔が分かるような状態だ。


そんな陰鬱な空気に満ちた空間にジャスパーが重い足取りで現れたのだから、更に場の雰囲気が重くなっていく。


ジャスパーはそんなことは意に介さず、広間最奥の一段高くなった場所に位置した席に腰を下ろした。


彼の右横には現在空席となった大きな椅子が存在感を放って鎮座している。


この椅子こそ、ジャスパーの父であり、この家の当主であるセントアイビス伯爵だったダニエル・ビンセント・アッシュベリーが生前座っていたものだ。


しかし先日、ダニエルは謎の病で急逝した。


彼が体の不調を訴え、寝込み、死亡に至るまではあっという間だった。


そのため、セントアイビス伯爵家は大混乱に陥り、当主が冥界に旅立ったという事実に対して喪に服す間もなく、今こうやって嫡子であるジャスパーとその母イザベル、幼い弟のニコルソンと言った3名の伯爵家とその臣下である有力者たちが一堂に集まっていたのだ。


「全員お揃いになったようですな。では、宮中会議を進行させていただきます。」


重く低い声でそう言ったのは、老齢の豊かな顎鬚を蓄えた男だ。

彼はこの伯爵家の重鎮で、侍従長を務めるオーサー・ウィンランド卿だ。


彼はセントアイビス伯爵家に古くから仕える貴族であり、伯爵一家の身の回りの世話から家令たちの取り仕切り、晩餐会の段取りや伯爵に対する謁見や陳情の対応、賓客へのもてなし等の役割を担う重要な立場であり、側近中の側近でセントアイビス伯爵領内の実質的な最有力者だ。


大きな影響力を持つウィンランド卿にとって、このような会議の議事進行に関しても彼の職務の一つである。


「これから皆様方にご思案頂くことは、まず第一に我がセントアイビス伯爵家の今後の方針についてであります。本件は最重要項目であり、我が伯爵家の未来を左右する事項となる為、余計な感情論は一切持ち込まずに願いたい。」


ウィンランド卿がそう言うや否や、一人の男が勢いよく立ち上がる。


「そのようなこと議論するまでもあるまい!正統派の言うことなど一蹴してしまえば良いのだ!同時に我がセントアイビス伯爵家の当主は今は亡き閣下の嫡子であらされるジャスパー様以外有り得ん!諸卿もそう思うであろう?」


唾を飛ばしながら、大きな声で主張したのは総参謀監ダストン・ボスコ―卿だ。


彼はセントアイビス伯爵家に仕える貴族たちの中では比較的新参の家柄で、伯爵軍の作戦立案を担当する参謀職のトップだ。

セントアイビス伯爵家は長らく対外戦争をしていないため、あまり出番はなく伯爵家に仕える貴族たちからは総参謀監という役職はほぼ飾りのような閑職だと揶揄されている。


「ボスコ―卿、少し落ち着きなされ。此度の通告に関して言えば不条理そのもの。その点については我ら一同一抹の疑問も持ち合わせておらぬ。問題はこの難局をどのように乗り越えるかである。」


次に口を開いたのは伯爵家の財務を管理する財務長官のヘンドリー・ゼフ卿だった。

伯爵領の金の動き全てを管理する彼は実質ナンバー2とも言える権限の持ち主であり、また伯爵家の中でも由緒正しく古い家柄は家内でも一目置かれる存在だ。


そんなナンバー2の声に先程まで興奮気味だったボスコ―卿も思わず口を閉じ、ゼフ卿を見詰める。

ゼフ卿はその場に立ち上がると、言葉を続けた。


「現在当家は始まって以来の危機に直面している。その危機というのは言わずもがな、濡れ衣による我が伯爵家の取り壊しとその併合である。実に忌々しきことだ。また、この問題の裏で糸を引いているのはグレーブズ辺境伯家とその他帝都正統派諸侯であることは間違いない。」


ここで彼の口から出たグレーブズ辺境伯と帝都正統派諸侯についてだが、彼らはセントアイビス伯爵家と共に属する国家、『神の創造されたし者による絶対なる神聖不可侵な皇帝陛下の治める連邦国家』、所謂神聖帝国の中心構成貴族だ。


グレーブズ辺境伯はその中でも帝国建国時から名を連ねる大貴族の一柱であり、政治的軍事的経済的にも多大なる影響力を持ち、皇室とも婚姻関係があることから、格上である公爵家にも劣らぬ実力があるとされ、辺境伯家とそれに従う諸侯一派を帝都正統派として呼ばれる。


また帝都正統派とは、神聖帝国皇帝を絶対の存在として崇め、同時に帝国正教という国教を唯一の神の教えであると主張し、この教えに帰依しない者は帝国人であろうと激しく弾圧し、異民族や異教徒ならば問答無用で排斥するという過激な主張を展開する一派だ。


現在、帝国内の貴族は一般的に正教を信仰する者が殆どであるが、中には秘密裏に他宗教を信仰していたり、または異民族や異教徒に便宜を図る貴族もいた。


その貴族たちの代表格がこのセントアイビス伯爵家を中心とした所謂帝国融和派だ。


帝国融和派は先述のとおり、他宗教、異教徒、異民族に対する弾圧を予てから批判しており、国家や民族としての多様性を追求する派閥だ。


この派閥成立の背景としては異教徒や異民族討伐に対する戦費高騰の批判から端を発し、また隣国との国境問題や貿易経済的摩擦等の対立による国力の疲弊を緊張緩和を以てして是正し、経済基盤を押し上げ、帝国臣民の生活基準の底上げを狙うことが目的として成立した。


だが、意見の対立は貴族間の不和を呼び、現在では帝国の立法機関である元老院会議では開催するたびに罵詈雑言飛び交う、正に一触即発の事態となっていた。


そこに今回、融和派の急先鋒であるセントアイビス伯の急逝ときたものだから、帝国貴族界隈では帝都正統派による暗殺だと推察する者が後を絶たず、当のセントアイビス伯爵家内でも勿論その線を疑う者は大勢いた。


そして、今回セントアイビス伯爵家慣例の宮中会議にて争点となっているのが、皇室から齎されたセントアイビス伯爵家への称号領地維持是正通告だった。


この称号領地維持是正通告とは端的に言えば、皇帝が貴族に対してある条件を直ちに是正・解決しなければ称号や領地そのものを没収し、その領地を皇帝直轄地若しくは有力貴族による分割統治としてしまう、言わば貴族にとっての死刑宣告だ。


なぜ由緒正しく一定の勢力を誇るセントアイビス伯爵家にこのような通告が来たのかと言えば、最大の理由としてはセントアイビス伯爵家による外患誘致罪の嫌疑からである。


セントアイビス伯爵家は異民族・異教徒に対して寛容であり、難民保護や領内の一部における異教信仰活動の自由化等政策の一つとして積極的に実施していた。


領民や一部貴族から反発はあったものの、比較的円滑に事を運んでいたかのように見えた。


しかし、昨年の晩秋に帝都内において反帝政運動が巻き起こり、参加者の一部が暴徒化したことで市街や市民に多数の被害が出た。


そして最悪なことに、暴徒化した一部の者たちがセントアイビス伯爵家に移民してきた難民であったことが判明し、これを受けた帝都正統派諸侯は融和派の扇動による反逆行為であると主張し、激しくセントアイビス伯爵家を責め立て、身の潔白を証明するよう要請してきたのだった。


先代セントアイビス伯ダニエル・ビンセント・アッシュベリーは自身が出来得る限りの潔白を証明をしたが、いずれも決定的な証拠とはならないと判断され、遂には先述の称号・領地維持是正通告が突き付けられた。


これに大層心を傷めた先代は急激に衰え、謎の病に伏し、そして二度と戻らぬ人となってしまったのである。


通告自体、家の存続に関わる大問題だったのに、その渦中での主の死亡は正に絶体絶命と言える。


そのような状況の中、家臣たちは沈痛な面持ちで広間にいた。


「現在の状況を踏まえても、伯爵位不在の状態はまずい。まずはジャスパー様に爵位を継いで頂く。正当な後継者であらされるのだ、この件に関しては帝都側も異論はなかろう。明日午前にも即座に継承の儀を挙行し、盤石の態勢でこの混乱を収束させるのだ。」


ゼフ卿がそう言うと、周りの家臣たちもそうだそうだと口を揃え賛同する。

しかし、これは何の解決策にもなり得ず、会議は暗礁に乗り上げた。






































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