第三話 ヒマリ・フレアハート
「あの~。紗希さん。ツッコミたいことがありすぎて、どこからツッコんでいいか分からないんですけど」
「あ~? 細かいことは気にすんなよ〜! そんなんじゃいい男になれないぜ? 紡く〜ん」
そう酔っ払った口調で返すのは、俺の保護者兼師匠(師匠は自称)の朝日紗希だ。
日中は、ポニーテールでまとめているセミロングの黒髪を、今は下ろしていることから、紗希が完全にオフモードになっていることが窺える。人が渦中に巻き込まれているというのに、随分とのんきなものだ。
少女の渾身の一撃によって夕方まで気を失っていた俺は、ついさっき道場の冷たい床の上で意識を取り戻した。
気絶している人間を放置するという鬼のような所業については、一旦、置いておくことにして、今一番ツッコまずにはいられないことは、
「何でお前ら仲良く食卓囲んでるんだよ!!」
ということだった。
先ほどまで、敵意むき出しだった赤髪の少女は、リビングで紗希と楽しそうに話しながら食事をしていた。
「いや~だってお腹空いたし」
「そういうことを聞いてるんじゃなくて! さっき俺はこいつに殺されかけたんだぞ!」
俺と紗希の会話に少女は、ビクっと肩を振るわせ、だらだらと冷や汗をかき始める。
「あー、なんか勘違いだったらしいぞ? 良かったな。別にお前に用はないらしい」
「えぇ!? 勘違いだったの!? 勘違いで俺死ぬとこだったの? てか良くはないだろ!」
「まあ良いじゃないか。痛み分けってことで。お前も彼女の胸を――」
「だぁぁぁぁぁ!! 言うな! 分かったからそれ以上は言うな!」
痛い所を突かれてしまい、何も言い返せなくなってしまう。
ちなみに、少女はあの光景を思い出してしまったようで、頬をりんごの様に紅潮させていた。多分あれだな。感情が全部外に出ちゃうタイプだな、こいつ。
そんな少女は、何かを決意したようにイスから立ち上がり、俺の前に立つ。
「な、なんだよ」
そして、勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい!」
少女の思わぬ行動に俺は驚きを隠せなかった。さぞかし、間抜けな顔をしていることだろう。
「私の勘違いで、危ない目に遭わせちゃって……。本当にごめんなさい……」
頭を下げる少女の華奢な体は、弱々しく小刻みに震えている。
確かに、命の危険にさらされたことは事実だが、事情を知らずに責め立てるのも公平ではないかもしれない。
そう考えると、何だか申し訳なくなってしまった。
「ま、まあ、結果的に何事もなかったわけだし……お前にも理由があるんだろうし……とりあえず、顔を上げてくれ」
少女はゆっくりと顔を上げると、涙ぐんだ瞳で俺を見上げた。
そんな表情を見て、益々責める気は失せていく。
「その……俺の方こそ、悪かったよ。だから、そんな顔はするな」
その言葉を聞いた少女は、少しだけ雰囲気に明るさを取り戻し、
「アハハ……。何で紡が謝るの? そんなの必要ないのに」
苦笑いしながらそう言った。
「一応謝ったほうがいいかと思って——ッッ! ていうか今、名前で——」
「ついさっき、教えてもらったの。名前で呼ばれるの、やだ?」
「別に嫌じゃないけど……」
「なら良かった! そういえば、私の名前はまだ言ってなかったね。私はヒマリ。ヒマリ=フレアハート!」
ヒマリは、照れ臭そうに笑う。すっかり、元気を取り戻したようで、取り敢えずホッとした。
戦っている最中は、一杯一杯だったので気付かなかったが、ヒマリは結構可愛らしい顔立ちをしていた。
赤色のショートヘアーに、ルビーのような真紅の瞳は無邪気な柔らかさを感じさせる。身長は155センチメートルくらいだろうか。
紗希から借りたと思われる、Tシャツとショートパンツからは健康的な肌色をした手足がすらっと伸びている。そして——ヒマリは、割と良いものをお持ちだった。
「ん? 紡、どこ見て——ッッ!」
俺は無意識に、ヒマリのある部分に目を奪われていたらしく、それに気付いたヒマリは両腕で胸を覆い隠す。
「……今思い出してたでしょ」
「い、いや! そ、そそんなことないって」
ぶっちゃけ、現在進行形で手のひらには柔らかな感触が蘇ってきているが、正直に言えば今度こそ消し炭にされるだろう。
「ヘンタイ!! やっぱさっきのナシ!」
「は、はぁ!? 別に俺だって触りたくて触ったわけじゃねーし? 全然嬉しくないし!」
我ながら酷い言い訳である。小学生だってもう少しまともに言い返すだろう。
年甲斐もなく、ギャーギャーと言い合う俺たちに、紗季が煽るように合いの手を入れてきた。
「お前たち、仲良いなー」
「「仲良くない!!!」」
と、綺麗にハモった所で〝ピンポン〟と玄関のチャイムが鳴った。
紗季は晩酌をしていたせいで、すっかり酔っ払っていたので、必然的に俺が対応することになる。
この時間にやってくる客人は概ね予想できるが、一応外行きの声でドアを開けた。
「は〜い。どちら様で——やっぱり、夕か」
「こんばんわ! ツー君!」
玄関を開けた先に立っていたのは、幼馴染の小林夕だった。
夕は、おおよそ友達と呼べる存在がいない俺にとって、唯一仲良くしてくれている有難い存在だ。
家も近所で、夕の両親も優しく立派な人達で、複雑な家庭環境の俺をよく気にかけてくれている。
「どうしたんだ? こんな時間に」
「きょ、今日ね、お母さんの帰りが遅いから、私が代わりに晩御飯作ったんだけど、作りすぎちゃって……。良かったら、ツー君食べるかなって思って……。べ、べべつに! 元からツー君に作ろうとか思ってたわけじゃなくて! 久々に一人で料理したから、分量とか分からなくって! 気付いたら十人前も作っちゃってて……。そもそも、買い物してる時点で買い過ぎちゃったっていうか! あ! ツー君の苦手なニンジンは入ってないから安心してね? そういえば! お母さんは高校の同級生とご飯に行ってるんだけど……あ、これは関係ないか……。それで、とにかく……よ、喜んでくれたら、幸いです……」
「お、おぉ……。情報量凄いな……」
普段は、おっとりとした喋り方をする夕だけど、時折、何故かとてつもなく早口でまくし立てる癖がある。理由は分からないけど、可愛いから許すことにする。可愛いは正義である。
夕は、顔を斜め下に背けながら、手に持っているタッパーを差し出した。中身は恐らくシチューだろう。
喜ばしい事に、俺の好きな料理トップスリーにシチューは見事ランクインしている。
「サンキュー! 今日は色々あったからな。マジで助かるよ」
「う、うん……。そう言ってくれると、嬉しい……」
夕は、あどけない表情で微笑みかける。元々童顔な顔立ちではあるが、髪をふたつ結びにしているせいか、さらに幼さを増している。
夕の屈託のない笑顔を見ていると、今日起きた全ての嫌なことを忘れられる気がした。
やはり、可愛いは正義である。異論は認めない。
しかし、今日の俺は過去前例のないほどにツイてなかったらしく、そう簡単に安らぎを得る事は許されなかった。
夕からタッパーを受け取ろうとした瞬間、彼女は突然驚くように目を見開き、顔を強張らせる。
「ツ、ツー君……そ、その人は?」
「え?」
夕の視線は、俺を通り過ぎその先を見つめている。
嫌な予感がした俺は、すぐに後ろを振り返ると、リビングから出てきたヒマリとバッチリ目があった。
「紡、お手洗い借りるね」
ヒマリは端的に用件を述べると、何事もなかったかのように去っていった。
ピキピキと空間が凍りついていく音がする。
夕の方へ視線を戻すと、彼女は気まずそうな表情を浮かべていた。
「へー……。ツー君もそういう年頃だもんね。女の子連れ込んだりとか、普通だよね……」
「い、いやぁ、これは! その……」
「ツー君のばかぁぁぁぁぁ!」
純粋な性格が災いしてか、よく早とちりしてしまう夕は、何か重大な勘違いをしたまま、疾風のごとく去っていった。
ああ、俺のシチュー……。全く、今日の運勢はどうなってんだよ……。
*
リビングへ戻ると、酔い潰れた紗希が机に突っ伏しながら、ブツブツと寝言を呟いている。
「ハァ……。全く……。こんな所で寝てたら、風邪引くっての」
だらしない寝顔を見せる紗希に、ソファに置いてあったブランケットをそっとかける。
「寝ちゃったの? 紗希さん」
いつの間にか、戻ってきていたヒマリが紗希の横へと座った。
「気になったんだけどさ、紡と紗希さんってどういう関係なの? 親子には見えないし、姉弟っていうには似てないし」
「あぁ。保護者でもあり師匠でも——ていうか、俺としてはそっちの事情を早く聞きたいんだけど」
「アハハ……それもそうだね。うーんと、どこから話せば——ッッ!?」
——突然、ヒマリは何かを感じ取った様子で、急に立ち上がる。
何かを感じ取ったのは、ヒマリだけでなく俺も同様にその気配を感じ取る。それはよく知っているだった。
ヒマリは、わき目もふらずにイスにかけてあったローブを手に取り、駆け足でリビングから出ていく。
「お、おい! ちょっと待て!」
「ごめん! 帰ってきたらちゃんと話すから!」
そう言い残して、ヒマリは家から飛び出していった。はあ……。どいつもこいつも……人の話を聞かずに、飛び出していくのは最近の流行りなのだろうか。
「追いかけなくていいのか? 今の感覚。あれだろ?」
寝ていたはずの紗希も、嫌な気配は感じ取ったようで、目を覚ましていた。
「起きてたのかよ。まあ、アイツ火とか出せるし、強そうだし。大丈夫だろ」
そんな楽観的な発言をした俺に、紗希はゴツンと拳骨を喰らわしてきた。
「ごふぅぅぅ!」
「おいこらクソガキ。女の子が一人で戦いに行こうってのに、助けに行かない理由はねぇだろうが」
「いてて……。冗談だって! ちゃんと、行くつもりだったし!」
「だったら無駄口叩いてないでさっさと行ってこいやぁ!!!」
鬼の形相をした紗季に急かされて、玄関へと向かう。
玄関の扉を開け、外に出ようとした時、「おい」と紗希が後ろから声をかけてきた。
「忘れもんだ」
紗希は布に包まれた、俺の『相棒』をヒョイと投げ渡してくる。
あんまり急かされるものだから、ついつい持っていくのを忘れるところだった。
「んじゃまあ。いつも通り、サクッと行ってくるわ」
そうして俺は、ヒマリを追いかけ夜の町へと駆け出していった。
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