最終話 限界の先へ
俺はゆっくりと覚醒してゆく意識の中で思う。
まだ寝ている筈なのに、俺の脳内には克明に倒れた時に感じた恐怖が流れ続けていた。
ああ、俺はまだ――、まだゲチスを恐れていたのか。こんな気持ちは無の大陸を飛び出したとき、すべて置いてきたはずなのに。
分かっていただろう! いつか自分の想像以上の強者が現れるなんて。
いつからうぬぼれていたんだ! 自分の力ならゲチスであったってどうにかできるって。死んでいった俺の......俺の大切な人たちの無念を晴らせるって。
どうして、どうしてこんなにも震えているんだ。
どうして、どうしてこんなにも怖いんだ。
負けたのなら、負けているのなら、俺自身が強くなって、今まで見たいに強くなって、すべての障壁を乗り越えれば良いだけの話だろう!
そんな脳内の葛藤を置き去りに、俺は見知らぬ天井が視界を埋め尽くしているのに気づく。
「おお、ジン! やっと起きたかの。寝ている間ずっとうなされていたから心配したのじゃぞ。」
「チサ、ここは?」
俺は俺が倒れた後もチサが無事でいたようで安心する。
「うむ。ここはオーガ族の都、スフィアクレストの宿の一室じゃ。ヴァルボーゲンが便宜を図ってくれたおかげで滞在中は無料でよいそうじゃ。」
「そうか、それは良かった。」
それからしばし沈黙が流れ続ける。俺は不思議と倒れた時のことを鮮明に覚えていた。だからこそ本当は俺は会議中に突然倒れたことで謝らなければいけないし、チサやヴァルボーゲンにだってもっと細かい話をしなければならないと思ってはいる。
だが、言葉が出てこない。すべてがのどにつっかえて、言葉にならないのだ。それでも、俺は無理して声を発する。
――だが、俺の口から出たのは俺が伝えようと思った言葉とは違った。
「なあ、チサ、ここまで付き合ってもらって悪いのだが、ここで俺たちの旅はおわりにしないか? このまま旅をつづけたってお互い傷つくばかりだし今回だってチサには痛い思いをさせてしまった。それにこれから会うのはヴァルボーゲンクラスの奴やそれ以上のやつらばかりなんだ。ここいらが潮時だとは思わないか? 俺には、もう、先に進める......進める気がしないんだ。」
俺はそう言い切って焦って口を塞ぐ。何を言っているんだ俺は! こんなことを言うつもりは無かった。ましてやここまでずっと助けてくれたチサを足手まといみたいな。
チサはずっと下を向いて俺の言葉を聞いていた。俺からはチサの顔をうかがうことは出来なかった。
「ごめん。チサ、俺はなんてことを。今のは間違いだ。無かったことに――。」
俺は急に口に出してしまった言葉を悔いる。今更無かったことになんてできるはずも無いのに。
「良いのじゃ。ジン。お主が本心からそれを言っていないことは妾が――妾が一番よく分かっておる。」
そう言ってチサは顔を上げて俺に向かって笑顔を浮かべる。気にするなとでも言いたげなそんな笑顔だ。一瞬、チサの顔が俺へと向く前に何か薄い膜でおおわれたような気はしたが。
見て俺は安心する。良かった。チサは気にしていないと。
「ふああ! すまぬのじゃ。ジン、妾は少し眠いのじゃ。 少し眠らせて欲しいのじゃ。」
「ああ、ごめん。ずっと俺を看病してくれてたんだな。」
「気にするでない。最愛の人を看病するなど妻としてこれほど幸せなことはないのじゃ。それにジンだって妾が危篤だった時は寝ずに看病してくれたのじゃろう? このくらいどうということは無いのじゃ。」
俺はそう言って笑うチサの顔をよく見ると、目の下にかなり濃い隈が出来ているのに気づく。どうやら俺は夢の中からずっと自分のことでいっぱいいっぱいでチサの隈に気付くこともできていなかったらしい。
「ああ、すまない。ありがとう。チサ。」
チサは俺の言葉に笑顔を浮かべて部屋から出てゆこうとする。
「ん? チサ、一緒に寝ないのか?」
「妾用にもう一部屋貸してくれておるのじゃ。折角貸してくれたのじゃから使わなければ失礼というものじゃろう? ジンは安心して休んで欲しいのじゃ。疲れておるじゃろう? また明日一緒にスフィアクレストを見て回ろうではないか。」
俺はいつもなら俺の元へと飛び込んでくるはずのチサが離れていったことに驚く。
そういえば変だった。俺は俺のことで頭がいっぱいではあったが、冷静になって考えてみれば、チサは俺が起きた時からずっとおかしかった。普通ならもっと大げさに驚くはずだし嬉しげにするはずだった。抱きついてきたっておかしくない。
なのに――。
なんだか少し、冷たい気がするのは気のせいか?
だが、チサの言うことが別におかしいことでもなく、俺はチサを引き留めなかった。
チサが出て行った後、ずっと眠っていた影響からか、体にかなりのけだるさがたまっていたことに気付く。チサに会えた安心感も相まって俺の意識は闇へと落ちてゆくのだった。
「本当に言わなくて良かったでごわすか?」
「うむ。良いのじゃ。ジンが来たら妾は甘えてしまうからの。」
そんな部屋のドアの隙間からジンを見ている二人の影があった。そう、ヴァルボーゲンとチサだった。ジークハルトは旧友へと会いに行っているためここにはいない。
チサの足元には水たまりが出来ていた。実はチサは技能で自分の表情を全力で隠していた。涙も隈も実はかみしめて血が流れていた唇も......。
とはいえ少しジンにはバレていたのだが。
「そういうのならおいはかまわないでごわす。しかしお主らはその若さでどれほどの苦難を共にすればそこまで強くなれるのでごわすか? 今、ジンはおいを見て自分を見失いかけているでごわすが。」
「何、妾は強くないのじゃ。むしろ妻としてジンに守ってもらうだけの存在ではこの先きっとやっていけないからの。ここで妾が強くなっておかねば、ジンの弱音さえも聞いてやれないのじゃ。今だって、ジンは最後まで言わずに妾に謝ってきたからの。」
そんなチサをみてヴァルボーゲンは一つ息を吐く。すると一つの技能を発動する。
「強制睡眠」
「すまぬのじゃ。恩に着る。これで妾は思い残すことなく修行できるのじゃ。」
「チサ、ジンが眠っているのは一ヶ月でごわす。それに本当にあそこへ行くでごわすか? あそこはおいでも逃げ帰ってきたレベルだというのに......。」
「それでこそやりがいがあるのじゃ。ヴァルボーゲンでも逃げ帰ってきたということはそこを踏破すればヴァルボーゲン以上になっているということじゃからの。」
ヴァルボーゲンは分からなかった。気づけば深刻な表情で看病をするチサに代々オーガ族頭領のみに伝わる誰一人クリアすらできていない修練窟の存在を教えてしまっていたのだから。
こうして二人はジンの部屋から去ってゆく。
「ジン、待っておれ。次会う妾は最強になっておるからな!」
こうしてチサが去った数時間後、眠らされた筈のジンは目覚めていた。
「チサの馬鹿! いや、馬鹿野郎は俺か! なんかおかしいと思ったらそんなこと考えてたなんて。すぐにでも追いたかったが、流石ヴァルボーゲンの技能だ。打ち勝つのに大分時間を食っちまった。くそ! 今すぐ行くからな。抜け駆けなんか許さねぇし、絶対死なせねぇ!」
俺はそう言うとベットの中に実像分身を寝かせ、部屋の窓から飛び降り気配遮断を使ってチサの気配を追って走り出す。
チサのことを考える俺にゲチスに対する恐怖や挫折の感情は不思議なほど消え去っていた。
「待ってろよチサ! 俺たちは二人で力を合わせてきたからこそここまでこれたんだ。勝手に命がけの修業をひとりでしようなんて、そんなこと絶対ゆるさねぇからな! 一緒に故郷を取り戻してそして――。」
――いつか一緒に幸せな家庭を築くんだ――。
これはいずれゲチスを倒し、世界の崩壊を止める為に創造神を討つことになったと言われる一人の少年と一匹の少女の旅を描いた物語の序章である。
だが、この物語の続きは筆者が書いていないのか、それとも失われてしまったのか。なんにせよ、大陸同士の交流が始まったこの時代においても見つかっていない。
ただ、この世界が創世四千年を迎えた今もなお続いていることや、二人が生きた足跡が各地に残っていること、さらにはこの物語の内容が他の文献と合致する部分が多くあることから実話であることは間違いないであろうと結論付ける。
この物語の続きがもし存在するのであれば、ぜひとも読んでみたいものだ。
~第四章 旅の黎明 挫折を乗り越えたその先へ~
完.
ご愛読ありがとうございました。
最後に後書き(物語とは無関係)だけ追加してこの物語を完結としたいと思います。
完結ということで、第一話の修正前だけ削除させて頂きますがご了承くださいm(__)m