第145話 完治するチサ
村長とこの集落に留まる為の条件を話し合ってから一ヶ月の時が経とうとしていた。
結局この間捜索の為のリザードマンが現れることはなく、俺はニードルウルフを毎朝百匹ずつ毎日狩り、その後はチサの看病をしたり、集落で足りていないものを取りに行ったり、ジークハルトやリザードマンたちと訓練をして日がくれれば眠るという日々を過ごしていた。
「おお、ジン、毎朝悪いな。」
「気にするな。ここに俺がいる為の条件みたいなもんだしな。」
「やあ、ジン! どうやったらあのニードルウルフをあんなに狩れるんだ? コツを教えてくれないか?」
「すまない。俺はちょっと特殊な技能を持っててな。教えられないんだよ。」
「ちぇっ! だが、毎日助かっている。ジンが来てから毎日肉が食えるのは感謝している。」
今は朝。といっても太陽が見えるわけではなく、辺りが少し明るくなる程度だったが。この一ヶ月ニードルウルフを狩り続けて分かったことだが、実は彼ら昼行性のようで、周囲が明るくなり始めた朝方の時間が最も狩りやすいのだ。
一度夜に狩に行ってみたこともあるのだが、そうすると夜の暗闇に紛れた俺の領域にニードルウルフ達は気付かず、百匹狩るのに五時間ほどかかってしまったのだ。それ以来、ニードルウルフが起きた後の朝から狩りにいくようにしている。
とはいえ、ほぼ一ヶ月も経てばリザードマンたちとも声をかわし合うくらいには親しくなれていた。今ここにはいないが、ジークハルトもまた最初の頃はリザードマンたちと距離をとっていたものの今では普通に話すくらいには打ち解けていた。
今日もまたニードルウルフ百匹を納めた俺はチサの元へと向かう。実は今日、遂にチサが完治する見込みとゴライヤが言うので、それに立ち会う予定となっていた。
チサは流石モンスターというべきだろう。あの大怪我から一ヶ月で復帰するのだから。
「ただいま。」
俺は今となっては完全に自宅の様になったチサとジークハルトのいる病室へと入る。
「もう帰ってきたでごわすか。相変わらずデタラメな速さでごわす。」
「ジン、おかえりなのじゃ!」
「お疲れ様。今日もありがとう。」
俺の言葉にジークハルト、チサ、ゴライヤの順で言葉が返ってくる。改めて思うが不思議な感じだ。今この空間には誰一人として同じ種族がいないのだから。人間、首長竜、オーガ、リザードマン......。こうして見れば特に争う理由がある様には思えないが、一体何が原因で争っているのか......。
とそんな疑問が浮かぶも俺はゴライヤにチサの容態について確認する。
「チサはもう完治と言っていいのか?」
「ええ、普通なら一年くらいは歩ける様になるまでにかかる筈なのに......。不思議ね。貴方たちの種族って怪我の回復が早いのかしら? ジンだってここにきた時は血を流していた様に見えたのだけど。普通に素材を取りに行ってたし、チサがそれどころじゃないほど重症だったから何も言わなかったけど。」
「はは、そうかもしれないな。」
俺はゴライヤの問いをはぐらかす様にして答える。俺が不死身で自動回復があることや、チサが実はモンスターで首長竜であるなどわざわざ説明するのは面倒だしゴライヤを信頼していないわけでは無いがわざわざいう必要もないと思ったからだ。
俺以外にここに来られる人間は居ないだろうしな。
「まあいいわ。貴方の強さに免じて聞くのを辞めるわ。さて、チサの包帯を取るから手伝ってちょうだい。」
俺は頭から、ゴライヤはチサの両足から包帯を取ってゆく。そして数分後、包帯を取り終えた後、チサの左目についた傷痕は元々あったおでこから左頬にかけてあった切創に加えて、その傷と瞼の上でクロスする様に太く抉れた様なリザードマンの爪傷とでもいうべきか? そんな傷痕が残っていた。
俺はそんなチサの傷痕を見て動けなくなる。
「ジン、そんな顔をするなて。右目は見えるんじゃし、顔についておった傷が今更一つ増えたところで変わらぬじゃろう?」
「私もできる限りのことはしたのよ? でも私の腕では傷痕を縫合することはできても、元に戻すのは無理だったわ......。ごめんなさいね。力になれなくて。」
チサとゴライヤが俺の様子を見て口々にフォローをしてくれる。本当は俺だってチサの快復を祝いたかったし、あの重症だったチサをここまで治してくれたゴライヤには感謝の言葉しかなかった。
更にゴライヤは初であろう種族の治療で勝手も違っただろうにその事に関して何も言わないところもやはり一流の医者として尊敬もしていた。
同じ部屋で様子を見守っているジークハルトはそんな俺に何も言わない。きっとジークハルトはわかっているのだろう。今の俺の気持ちが。気を使って声をかけてこない事には後で感謝しなければならないとそう思う。
だが......それでも、俺は目の前にいるチサを前にして何もいえずにいた。自分の愛するものが傷つけられるというのは経験してみなければ分からない。
思わず目を逸らしたくなる辛さがあった。
ーー俺はどれだけこうしていたのだろうか。ふと気がついて見渡してみればこの病室は俺とチサだけになっていた。
「ようやく気がついたかの? ジン。」
我に返った俺にチサが尋ねる。ただ、やはりチサの顔や体についた無数の傷痕はそのままだった。
「......すまない。俺は何かおかしな事をしなかったか?」
「うーんそうじゃのう。特に何かされたわけでは無いのじゃが、ずっとまじまじと見つめられ続けて恥ずかしいのか幸せなのかムズムズとした気持ちでいっぱいじゃったの。」
俺はそんなチサの返答に両頬が熱くなっていくのを感じ、チサに言われた事を想像して途端に頭の中が沸騰しそうなほど恥ずかしい気持ちに襲われて思わず目を逸らす。
「ふふっ。とはいえじゃ。ゴライヤには改めて礼を言わねばならんな。妾がこんな見た目になってジンはショックじゃったとは思うが匿ってもらって治療までしてもらった事についてはうやむやではいかんからのう。」
「ああ、そうだな。だが......。」
俺はチサについた無数の傷......特にもう二度と開くことのないであろうチサの左目を見つめて思う。
チサをこんな目に遭わせたやつには必ずお返ししてやらねばならないと。
「だが......どうしたのじゃ?」
「いや、なんでもない! さて、チサ、歩けるか? ゴライヤと気を使ってくれたジークハルトに礼を言いに行かなきゃな。」
「......分かったのじゃ! でも妾は歩くよりはやっぱりジンの肩の上が良いのじゃ。」
俺が「分かった。」というと病み上がりにも関わらずチサは俺の右肩の上へと飛び乗って座る。
それを確認するとこの大陸に上陸して以来一月ぶりの肩に乗るチサの感覚を噛み締めながら俺は病室の外へと踏み出すのだった。