第107話 消耗戦
あまりにも呆気ない幕引きだった。
俺は目の前に落ちる粉を拾い上げる。
「なるほどな。どうやっていたかは知らないがアルはこいつを使っていたのか。どおりで見えないし躱せないし気配遮断も効かないわけだ。」
そう。それは鱗粉だ。アルはそれを空気中にばら撒き、俺に付着させて気配遮断を無効化、そこで、動揺した俺に威圧を発動させたのだろう。
結果的に俺は勝てたが、領域を習得して心に余裕が持てなければ負けていたのは俺の方だった―。
俺は目の前で横たわるアルを見ながら、初めてアルと出会った時、自分より圧倒的に強いはずのベガに威圧を決めていたことを思い出す。
こうやって戦いを終えてみれば、アルの恐ろしさが身に染みて分かる。それでも、これが天才の末路だと思うと俺はやるせない気持ちになる。
俺にもっと力があれば――闘技大会予選での賭けに事前に気付いていればこんな事にならなかったんじゃないか?だが、俺はあそこで止めていても、この大陸の制度に不満を持っていたアルはきっと不正をしたんだろうなと思い直す。
そんなアルを見下ろす俺には既に体力も魔力は殆ど残っていなかった。
アルと死力を尽くした戦いを終えた俺はその場でゆっくりと意識が薄れてゆくのを感じる。
そんな俺の脳内に一つのアナウンスが流れる。
「称号【岩の大陸の試練を納めし者】を入手しました。地属系のダメージが20%減少します。」
俺はその音を聞きながら、夢の中へと落ちていくのだった。
そんな二人を見守るかのようにマキラを覆う壁の頂上に三つの影が立っていた。
「どうやら負けちまったみて〜だな。俺が折角力を貸してやったってのによ。」
彼らは皆一様にシルエットのそれこそ人型ではあったが、頭から不自然なほどに鋭く天を突くかのように伸びるツノを持っていた。
「あのアルって男凄いよね。あの力を受けて自我を残せる人間ってウチ初めて見たもん! でもそんなアルに生身で勝てるニンゲンがいるなんて。流石、創造神様が目をかけてるだけはあるね!」
「ねぇ。しょれはいいけど、でゃいじゃーぶなのきゃい? までゃ、アリュがあやちゅった人てゃちは、あやちゅられたまみゃでしょ?」
「お前の滑舌の悪さはもうちょっとなんとかならんのか。だがアルが操った者たちに関してはその心配要らんだろう。デウス領には、ジンの妻がいるのだから。」
「え! あのニンゲン、奥さんがいるの!!? でもあの子の周りに親しそうなニンゲンなんて誰もいなかったと思うけど。」
「はああ......。もう少し眷属としての自覚を持ったらどうだ? 確認しようと思えばいくらでもやり方はあるだろう? それに軽々しく主の名を出すな。下界では誰が聞いているかわからんのだぞ。」
「だって、ニンゲンの関係って複雑すぎてイチイチ理解するのが面倒なんだもん! それを全部把握してるなんて真面目すぎるでしょ?」
この3人のリーダーと思われるアルと接触した眷属の男は思わずため息をつく。そしてこれ以上言っても無駄だとわかっていたのか、男が合図した瞬間、3人は音もなく消え去るのだった。
一方、ジンがアルを倒した時、デウス領には、アルによって操られた者達が、目と鼻の先にまで迫っていた。
それをチサを先頭にしたデウス警邏隊の面々が無力化し、進軍速度を落としていた。
「チサ! 倒したぞ! 踏まれる前に拘束を頼む。」
「わかったのじゃ」
「チサさん!こっちに5人です!」
「うむ! 今すぐ向かわせる!」
ここは、デウス領から1kmほど離れた場所にある街道。デウス領に操り人形のようになった群勢にたどり着かれるのを食い止めるため、チサと警邏隊の面々は必死で最前線で戦っていた。相手は罪なき民であるために、気絶させ、チサが前線から水陣を使って後方に移動させ拘束するという風に。
「チサさんいい感じですね。これなら思ったよりも余裕ですね。」
「こいつら確かに一撃一撃は重いが、動きは大したことないからな。初撃を躱せばこっちのもんだ。」
彼らには余裕があった。何故なら、今は街道に沿って相手が攻めてきており、一度に相手するのは十数名程でよかったのだから。よって今は交代しながら、警邏隊の面々は戦っていた。唯一休んでいないのはチサだけだった。
「お主ら、楽観しすぎじゃ! 早く応援を呼ぶのじゃ。これは思った以上に不味いかもしれぬ。」
余裕で食い止められているこの現状であるにも関わらず、チサに叱責され、あまつさえ、応援を呼べという言葉に警邏隊の男たちは首を傾げる。
「どうして応援など?」
彼らは分かっていなかった。きっとこういった実践経験の浅さから大局を見通すという力に欠けているのだろう。
「お主ら、ここで食い止めるということは、後ろに続く者たちはどうなると思うておる? そのまま大人しく止まっているとでも言うのかの?」
チサのその言葉にようやく事態の危うさに気付いた男はその顔を歪める。
「つまりじゃ!奴らは確かに操られて意志はないかもしれぬ。だが、あの力で街道のそばにある木々をなぎ倒せば、途端に横に伸びるじゃろう。そうなってしまえば数の理は向こうにある。休憩を挟めなくなった兵たちは疲れで脱落し、均衡が崩れてしまうのじゃ!」
「申し訳ありません! そこまで頭が及ばず......。今すぐに増援を呼んで参ります。」
「デウス領に残っている兵を全員呼ぶのじゃ!これは思ったよりも数が多いのじゃ!デウス領を守らせる余裕は無い。総力戦じゃ。領内に残っている非戦闘民も、倒した者を拘束する為に呼んで欲しいのじゃ。」
「つまり、デウス領そのものを放棄すると?」
「そう捉えて貰って構わないのじゃ。幸い操られた者たちは驚くほど足が遅い。籠城するよりは逃げに徹した方が生き延びる確率は上がると思うての。ジドンにも通達してほしいのじゃ。妾はここを動けぬからの。」
先ほどまで気楽なことを言っていた兵は表情を引き締めて、チサの指示に従って走り去ってゆく。
(ジン、お主がアルに負けるとは思わぬが、何かあったのかの? もしや、アルを倒したとしてもこの者たちの進軍が止まることはないのかのう? だとしたらあまりにも不利じゃ。ジン......! 早く、早く戻ってくるのじゃ。)
チサはそう願いながらも必死になって、目の前の群勢を食い止める。ジンが帰って来るまでの時間を1秒でも多く稼ぐ為にも......。