雑魚
ビー。
第一ピリオド終了を告げるブザーが鳴り響いたとき、スコアは二十五対六となっていた。その差、十九点。早くも江清側のギャラリーは意気消沈した雰囲気だ。対して駒池のギャラリーからは笑い声さえ聞こえてくるほど余裕に溢れている。試合に出ていた江清選手はベンチに座り、淡々と汗を拭いたり水分補給をしていた。淡々としているように見えるのは、内心焦っていることを表に出さないように必死に自制しているためだった。
さて、何をどう言ったものか。
九間先生は思案を巡らせる。実を言えば、人を励ましたり鼓舞させたりといったことは大の苦手だった。戦略や細かな指導などを正確に伝える自信はあるものの、自分の性格は熱血漢とは程遠い。選手たちが緊張から本来の実力を発揮できないでいることは明らかなのだが、こんなときにはどんな言葉が適切なのか。
不意に水分補給を終えた樋川舜也が立ち上がり、首にタオルをかけた状態で他の四人の前に立った。何事かと先輩たちが舜也を見る。
「土居さん、冷前先輩、三上さん、オッキー。みんな一旦目を閉じてください」
少しも臆する気のない声だった。その声色の自信に、四人は疑問を抱きながらも誰一人反抗せず、素直に目を閉じる。
「相手の五番の顔を想像してください」
五番はエース玉崎の背番号だった。第一ピリオドだけで十四得点も上げている。わざわざ思い浮かべるまでもなく、もはやトラウマになったといっていいほど脳裏に焼きついている。
「あの顔、めっちゃエロそうですよね」
ん? と九間先生は耳を疑った。ん? んん?
「ニキビの多いおでこ、毛虫がくっついたような眉毛。穴の大きい鼻。絶対タンスの引き出しの下にエロ本を二、三冊隠している顔ですよ」
「いや、顔は関係ねーだろ」
思わず土居が目を開けてツッコんだ。「いや、絶対隠してます」と舜也は断言する。
「目を開けて、駒池の五番を見てみてください」
四人が目を開け、同時に駒池のベンチに顔を向ける。ちょうど四人から見えやすい位置で、横岸監督と玉崎は何やら話しこんでいた。
「あー。言われてみれば確かにエロそうな顔してるよな」
三上がポツリと言った。
「三冊以上六冊未満だな」
悪ノリして冷前先輩も頷く。舜也が激しく言った。
「でしょう! あんなのに負けて悔しくないんですか! 一矢報いてやりましょうよ!」
四人が舜也を見る。
「確かに駒池は強いです。でも僕たちだって雑魚やない。夏中あんなにしんどい思いして練習に耐えてきたんですから、せめて頑張ってきた分はぶつけてやりましょう!」
四人は何も言わず、互いの顔を見合わせた。舜也が続ける。
「第二ピリオドが終わるまでに点差を十点以内にします。戦略に変更はありません。ディフェンスではリバウンド重視で必ずスクリーンアウトをやり、オフェンスは時間をかけつつ単調な攻撃を避けてコンビネーションやフェイントを多く混ぜた攻めでいきます。いいですか?」
土居を含め、四人が確かにコクンと頷いた。
「しゃあ! いっちょやってやっか! 健吾! 円陣組もう!」
三上が勢いよく立ち上がって言った。そのままベンチの選手十二人が円陣を組む。
「江清―――! ファイッ!」
「おーーーーー!」
闊達な掛け声を聞き、ミーティングしていた駒池側のベンチは反応した。
「油断などもってのほかだ」
横岸監督が独り言とも指示とも聞こえるように言う。
「各自、思うようにプレイできていないのはわかってるな? それは相手が強いからだ。そろそろ緊張もほぐれただろう。冷静に相手を観察し、味方同士で声を掛け合え。第二ピリオドが終わるまでに点差を倍にしろ。それがこのピリオドの目標だ。わかったか!」
「はい!」
両選手がコートに入り、第二ピリオドが始まる。駒池からのスローインだ。駒池OB軍団の応援も再開した。
冷前はドリブルをつく玉崎を見ながら、まじまじと顔を見つめた。確かに、見れば見るほど〝タンスの引き出しの下にエロ本を隠してそうな顔〟をしている。玉崎がパスを出してから、こらえきれずに冷前先輩は吹き出し、俯いた。玉崎が怪訝な顔をしてこっちを見てくる。すまん、お前が悪いわけじゃないんだ、と冷前は心の中で謝った。
樋川、あの野郎。試合が終わったら一発殴ってやる。
そう心に誓う一方で、冷前は先ほどの舜也の言葉を思い返していた。いや、舜也の放った一言がすっと心に刺さったという言い方が正しい。後輩に指摘されたのは癪だが確かに思う。
駒池は強い。だが、俺たちだって雑魚じゃない。
「ディーフェンス! ディーフェンス! 一本ディーフェンス!」
隙を見て、駒池の九番がフリースローラインあたりからシュートを打った。すぐさま土居、冷前、三上、広宣、舜也の五人全員が自分のマークマンにスクリーンアウトを仕掛ける。シュートは外れ、土居が大きな音を立ててリバウンドを手中に収めた。ワッと江清のギャラリーから歓声が上がる。
土居からパスを渡された三上がドリブルをついて進み始めた。駒池は全員が自分たちのコートに走って戻っている。ハーフコートでのマンツーマンだ。周囲に駒池選手がいないことを確認してから、舜也は目の前を走る広宣に短く告げた。
「オッキー。パス回すから、シュートフェイントを入れてから決めてくれ」
広宣は一瞬だけ振り返り、前を向くと同時に力強く言った。「わかった」
なぜフェイントを入れるのかは一切聞いてこない。舜也の目論みが通じているのか、あるいはわかっていないものの舜也を疑わずに信じてくれるのか。どっちにしても舜也にとっては嬉しかった。
さあ、勝負や。




