ドヴォルザーク山田
沖さんはあっさりと自主練倍増に賛成してくれた。
ただし条件として、しんどいと思ったときは無理せず休むことと、必ず栄養摂取を心掛けることも言い渡された。それもなるべくたんぱく質と疲労軽減のためにビタミンCを練習後取るのが理想で、食欲がないからといって省くことだけは言語道断。食事は徹底するようにと口を酸っぱくして教えられた。
舜也にとって食欲は全く問題なかった。練習後はお腹が減りすぎてご飯を丼で三杯もお代わりするぐらいだ。また意外な効果として、毒よりもマズイと言い切っていたあのピーマンでさえもいつの間にか食べられるようになった。苦かろうがなんだろうが、腹さえ減ってればなんでも口に入れたくなる。
とはいえ、さすがに練習後のフットワーク倍増メニューをやり終えると、舜也も広宣もクタクタでしばらく動けなくなった。自主練後の整理体操を済ませると、糸が切れたマリオネット人形のように道路にへたり込み、練習での改善点や対駒池戦の戦略、夏休みの宿題の進捗状況やたまに三大美人についてなどを話し込んで、十分に休んでから帰宅するのが流れになる。
この頃になると、舜也と広宣のコンビプレイは誰しも認める部内一の実力になっていった。舜也が誰にも追いつかれない速さでボールを運び、広宣が安定して最後に決める。同じガードとファワードである三上と不亜の二年生ペアとの二対二では、ほとんど舜也たちが勝ちを収めた。
お盆が明け、四日間連続の部活休みを終えて練習再開すると、フットワーク練習は通常の量に戻り、代わりに二対二や三対三といったチームプレイ重視の練習に切り換わった。八月の市内大会は第四週の土曜、日曜で、会場はここ、江清中学校で行われる。決戦まで残すところ約一週間。試合の日が近づくにつれて、自然とバスケ部の練習には気迫がみなぎってきた。先輩の指示や九間先生の助言にも一層の熱がこもり、特にレギュラーたちは試合を想定して互いに相談が多くなってくる。
試合の三日前ともなると、疲れを残さないためにさらに軽めに抑えた練習量に変化した。いよいよ最終調整だ。
試合前日には引退した三年生全員が練習に参加しに来てくれたので、激励をかねて三年生対一、二年の新人チームでゲームをやったところ、二十点差以上つけて新人チームが勝利した。予想以上の仕上がり具合を見て喜んだのは、他ならぬ沖さんだ。
「俺らが引退してからたった一ヶ月半で全く別のようなチームになったな」
ちょっと悔しいぐらいだ、と沖さんが小さく付け足した。
「できないプレーはしなくていい。その代わり、練習でやってきたことは全て出せ。今日のゲームを再現できれば、お前らは最高の試合ができるよ。そして試合には出ない二年生や一年生。いろいろな感情があるだろうけど、お前たちだって紛れもないKBBCの一員だ。苦しい練習を重ねてきたのは誰だって同じ。今回の試合ではサポートや応援してやってくれ」
新人チームの誰もが納得して頷き、続いて、九間先生から正式なレギュラー発表があった。大まかな背番号とベンチ入りメンバーに変化はないが、二年生の一人の代わりに滝津が入り、ベンチに座る十二人のうち、五人が一年生となった。ベンチに入らない二年生は十人。一年生は九人。総勢三十一人で新人戦へ挑む。最後に九間先生が締めくくった。
「明日は七時半に体育館へ集合。各自、体調管理に気をつけること。風邪など引かないように」
いつもの練習時間より一時間も早く切り上げ、明日からの試合のために、ベンチ下にシートを引いたりパイプイスなどを準備してから、今日は解散となった。
解散後、ほとんどの部員が帰ったのを見計らって、土居が一人シュート練習を始める。体育館を閉じるまでまだ少し時間がある。誰もが帰ったと思っていたとき、突如、丸顔の山田が体育館入り口に現れた。
「内緒の特訓ですか、キャプテン」
土居が驚いて振り向く。山田は笑顔だ。
「いまさら特訓もねーよ。ちょっとミドルシュートの確認がしたくてな。お前も帰っていいぞ。消灯は俺がやっから」
「水臭いこと言うなって。パス出しぐらいするよ」
そう言って山田はコートに入ってきた。
体育館の片面だけ電灯をつけ、土居がドリブルをつく音と、リングに当たって外れたときのガコンという音だけが館内の空気を震わせる。時刻は六時半を回っているがまだ夕暮れと言えないほど外は明るく、ツクツクホウシの鳴き声が聞こえてきていた。
「成功率悪いぞ、キャプテン」
山田はパス出しだけでなく、リバウンドも取りながら声を掛けた。あまり大きな声を出したつもりはないのに、二人だけの体育館の中ではやけに反響する。
「だから練習してるんだよ」
山田からパスを受けた土居がシュートを放つ。綺麗なフォームだ。今回はネットをこする音を残して入った。
「ナイッシュ」
「なあ、お前は悔しくないのか?」
土居が静かに聞いた。「何が?」と山田が聞き返したが、土居は答えない。パスをもらい、シュートを打つ。リングに弾かれ、バックボートに当たって山田の手に落ちてきた。
「悔しいよ、もちろん」
山田が両手に収めたボールを見る。
「先輩、後輩って嫌な関係だよな。一年からしてみれば偉そうに指示を出してくる先輩って目の上のたんこぶだろうけど、二年からしたって辛いんだぜ。特に自分を追い越してベンチ入りしてレギュラー取った一年なんて、正直、なんて声を掛けていいかわかんね。いや俺は単に下手だからとっくに諦めがついてるけど、向こうが気を使って優しい言葉かけてくると…さ。感情のやり場がないよ」
山田がシュートを放つ。ゴール下から放ったシュートはバックボートに当たって入った。
「でもさ、悔しいと思う反面、心のどっかでユニフォームをもらえなかったことにホッとしてる自分もいるんだ。俺には才能なんてないし、人一倍努力しようっていう根性もない。そんな俺でもバスケはできるし、楽しめてる。それでいいと思ってるんだ。でもレギュラーになったらいやでも活躍できない自分を思い知らされる。自分の実力が低いってことを体育館中の人にアピールすることになる。それって結構怖いことなんだよ。言ってる意味、わかる?」
「わからん」
パスをもらった土居さんがシュートする。
成功する。
ボールを取った山田が笑顔を向けた。
「勝てよな、駒池に」
山田からパスを受け取り、土居は無言でシュートを放った。
同じ頃、舜也と沖兄弟が途中まで一緒に帰っていた。すでに三日前からフットワーク自習練習は控えている。対駒池戦の戦略を練っている最中に、ふと気になって舜也が沖さんに尋ねてみた。
「そういえば沖さん、ちょっと気になることがあったんですけど聞いていいですか?」
「ん?」
「僕らの基本的な攻撃法って土居さんか冷前先輩にパスを渡して決めてもらうことですけど、もし土居さんと冷前先輩が二人ともノーマークでゴールからもほとんど同じ位置やった場合、どっちにパスを出した方がいいですか? 何度か迷う場面があったんですけど」
「ああ、そりゃ渡だ」
「冷前先輩?」
舜也が驚いた。冷前先輩という答えよりも、沖さんが即答したのに驚きだ。
「なんでですか?」
「センターとしての実力はほぼ同じだけど、渡の方が確実性があるからな。好不調に関係なく安定して得点を決めてくれる。ノーマークならまず百パーセントだろ。対して健吾は試合ごとの波が激しいんだ。あいつの気まぐれさは誰にも予測がつかない」
「なるほど…そしたらなんで……」
舜也が言葉を濁したのを受け、沖さんが見越して答えた。
「なんで健吾がキャプテンになったのか、か?」
言い当てられた舜也が、コクリと頷く。
沖さんが微笑みながら、あることを舜也に伝えた。
八月二十五日。いよいよ市内大会が幕を開ける。




