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夏休みの練習

 三日間にわたる期末テストが終わり、樋川舜也といかわしゅんやは、前もって予告していた通り期末テストでも珍解答を書いて周囲の友達を笑わせるのと引き換えに、九間くま先生に呼び出されて五教科の宿題を言い渡された。ETや広宣ひろのぶが同情するのに対しても舜也は全く気にせず、「俺から笑いを取り上げたら、四次元ポケットのないドラえもんみたいになるから」とさらなる気概を見せつける。


 終業式の日を終え、江清こうせい中学校は夏休みを迎えた。夏休みの部活動は基本的に週六日間が割り当てられている。最初の部活練習となる日は午前練習で、舜也たち一年生が体育館へ入ると、いつになく先輩たちが重々しい空気でミーティングを開いた。


「ついに来ちまったな。この日が」


 土居どいが遠い目をしながら言った。


「正直、俺は夏休みなんて来なきゃいいのにって思ってたよ」


 ドヴォルザークこと山田先輩もため息をつきながら視線を落とす。一年生たちが何のことかと黙っていると、土居が一年生を見渡した。


「今日から、一年のうち最もキツイ練習が始まる。新人チームになってまず取り組むのは筋力アップだ。普段の練習じゃフットワークに二十分かけてきたが、今日から約三週間は一時間に増やす。いつもより四倍になるわけだ」


「三倍だ。健吾けんご


 冷前れいぜん先輩が静かに指摘し、土居は「あそっか」と訂正する。


「何故今の時期にやるか。体を徹底的にいじめるのはこの時期しかないからだ。だいたい筋トレの効果ってのは二ヶ月ほど遅れてやってくる。今時間をかけて体力をつけておかないと秋大会や冬大会に向けて技術がつけられねえ。俺から一年に言えるアドバイスは一つだけだ」


 土居が澄んだ目で笑いながら親指を立てた。


「死んでも、恨むな」


「そんなにキツイんですか」


 舜也が言うと、土居は「やってみりゃわかる」と言って円陣を組んだ。


「江清―――――! ファイッ!」

「おーーーーー!」


 男子バスケット部がランニングに入った。準備体操、ストレッチはいつもの流れだ。


「フットワーク!」

「はい!」


 フットワーク練習が幕を切る。普段の練習と違ってどんな変わってメニューをするのかと思いきや、意外にも練習自体は増減がない。だが二十分ほど経って一通りのメニューが終わったとき、土居が声高に言った。


「反転ダッシュ!」

「はい!」


 先輩たちが八列を組んで並び、コート横で九間先生が笛を持って立った。


 ピーっという笛とともに一列八人全員がコートの端に向かって全力ダッシュする。コートの四分の一ほど進んだところでピッと短い笛が鳴った。途端に先輩たちはクルリと向きを変え、元の位置に向かって全速で戻ってくる。ピッと笛が鳴るとまたもや反転してダッシュした。笛に合わせて方向転換する全力ダッシュ。しかも笛はいつなるのか九間先生の判断次第で分からない。全部で六回転換したところで初陣の先輩たちはコートを走りきった。続けざまに第二陣がスタートする。舜也も全力でコートを蹴った。


 二往復しただけで脚の中に鉛が流し込まれように重くなる。

 誰一人小言を言う元気もなく、息を弾ませてTシャツの袖口で顔の汗を拭き取る作業で精一杯だ。五往復目を終えたとき土居さんが唾を飲み込みながら言った。


「一分休憩!」


 舜也は自分のカバンのところへ走ると、水筒を掴んでありったけを飲み込んだ。氷を入れて冷やしておいた麦茶が信じられないほど美味い。こんなに美味しい飲み物がこの世にあったのかと思うぐらいだ。胃袋が水で張ってしまうと次の運動が苦しくなるということを経験的に知っていたのだが、それでも飲むことをやめられなかった。体の隅から隅、爪先までが水分を欲していて、口に飲むことを強要する。汗を拭いていると、隣で土居がTシャツを着替えているのが見えた。まだ練習を始めて三十分しか経っていないのに。


 一分間のオアシスタイムが終わり、コートへ舞い戻る。


「フットワーク!」


 土居さんが言ったとき、舜也は「はい?」と聞き返してしまった。

 ウソやろ。同じメニューを連続で繰り返すん? 


 メニューは、繰り返された。すでに足は棒でほとんど力が入らないにもかかわらず、不思議なことに列に並んで自分の番が回ってくると体が勝手に動いてしまう。練習は最後の反転ダッシュまで忠実に再現された。


 玉汗が鼻筋を通って床に落ちる。脚は疲れて感覚が失いつつあるが、体はマグマを飲み込んだような熱さだ。

 風。風がほしい。

 舜也はコート端に辿り着いてから壁下にある小窓から顔を覗かせた。弱くていい。一瞬でいい。外の風を一身に浴びることができたら体内の暑さがかなり収まる。しかし、風は無風だった。燦々(さんさん)と降りそそぐ日光が見え、山の唸り声と思わせるセミの大合唱が聞こえるだけだ。あの虫の声を聞くと余計に暑さを感じる。

 

 くっそ。鳴くなや。泣きたいのはこっちやで。


 二度目の練習が終わったとき、再び「一分休憩」の指示が出された。汗を拭き、水分補給をする間、恐ろしいほどみんな大人しい。舜也は覚悟を決めていた。

 わかってるって。そうなんやろ? まさかないはずないもんな? 

 一分経ったとき、土居が声を張った。


「三回目! 行くぞ!」


 あ、地獄ってここにあったんや、と舜也は確信した。

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