反撃
横に立った審判からボールを手渡され、舜也は三上にパスを出した。
オフェンスでの舜也の一番大きな役割は、ボールを敵陣コートまで運ぶことだ。
三上とパスを連携してディフェンスに取られないよう進んでいく。敵側のコートに入ると、舜也はお役御免とばかりに沖さんにボールを託し、ミドルエリアに侵入した。マンツーマンでディフェンスしている相手の九番の顔に困惑の色が広がる。身長の低さからガードで間違いないと予想していたのに、今、舜也が今いるのはフォワードの場所だ。
と突然、舜也は台形エリア内に向かって全速で駆け出した。
不意を突かれた九番を置き去りにして、突風のように走りこんでいく。そして「はい!」と大声を出しながら、ドリブルをついている沖さんを向いて手を上げた。
ノーマークになった舜也にパスが通る。
そう読んだ近くの駒池選手二人が即座に舜也の前に立ちふさがった。その隙をつき、沖さんが高速ドリブルで荒橋を抜きにかかる。
荒橋は対応できずに抜かれてしまい、舜也が相手選手を引き付けて出来上がった広い空間に沖さんが滑り込んで、ジャンプシュートを放った。ボールは綺麗な回転がかかりながら弧を描いてゴールに入る。
三十九対二十三。
すぐに横岸監督の大声が響き渡った。
「荒橋ぃ! 油断するな! 朝張もマークを外したらすぐカバーに回れ!」
朝張と呼ばれた舜也をマークしていた九番が「はい!」と監督に答えた。
出だしはのオフェンスは成功。次はディフェンスだ。
今、江清のディフェンススタイルはハーフコートでのマンツーマン。
駒池の選手が冷静にドリブルでこちらへ向かってくる中、確認の意味も込めて舜也は沖さんを一瞥する。沖さんは短く、しかし力強く頷いた。
やってみろ。
ドリブルをついていた駒池の九番が荒橋にパスを送り、荒橋がセンターラインを跨いで江清側のコートへ進入してくる。その目の前に、一際背の低い江清の選手がディフェンスのため横に手を広げた。
荒橋の目が驚きで見開いたのがわかる。いや、荒橋だけでなく駒池の選手全員が一瞬目を奪われただろう。
駒池の絶対エース、五番の荒橋をマークするのは、舜也だった。
驚いたのは横岸監督も同じだ。
今、荒橋と対面しているのは身長も体格も平均以下の選手。おそらく今年入部した一年生だろう。それを荒橋とぶつけるということはよほど才能に溢れた選手なのか、あるいはスピードの遅い荒橋に対抗してパスカットを目的としたマークなのか。
舜也は荒橋と目が合う。
舜也の身長は百四十センチ、荒橋は百七十五センチ。ただでさえ三十センチ以上も背が低いのに、ディフェンスのため足を広げて腰を落としているのでいつもよりさらに低く、ステージ上の人を下から見上げているみたいだ。なおかつこうして間近で観察してみると、荒橋の太めの体が、実は大部分が筋肉であることがいやがうえにもわかった。
虎と対峙したネズミ。
だが舜也には少しも弱気にならなかった。
かかって来いや!
荒橋がドリブルを強くつき、舜也の左側へ抜きにかかる。舜也はなすすべなく、たった二歩で抜かれてしまった。
「カバー!」
ミドルエリア内に入った荒橋に沖さんがすかさずコースを塞ぎ、舜也はもともと沖さんがマークしていた九番のマークに切り換えた。結局、荒橋対沖さんという今までの構図になる。舜也は冷静な表情を努めながらも心臓が熱く鼓動していた。
あっさりと抜かれた。実際に戦ってみると、荒橋選手はこんなにも速い。
普段のドリブルスピードは散歩する老人なみの遅さなのに、ここぞという場面では猫のような反射速度で駆け出す。油断していたつもりはなかったが、想定外の速さだ。
沖キャプテンと対面した荒橋はドリブルをつきながら隙を窺っている。そこへゴール付近のポストにニキビ顔で背の高い八番の選手がパスを受けようと陣取った。荒橋は八番にパスを通す。
八番と土居によるセンター対決だ。
身長はどちらも同じ百七十八センチ。土居がプレッシャーをかけ、八番は苦し紛れにシュートを打ったものの、そのシュートは決まった。
四十一対二十三。
再び江清の攻撃が回ってくる。今回もまた舜也は相手コートまでガードに徹し、コートに入ってからフォワードに移った。
舜也が提案したオフェンスの作戦はこうだ。
自陣コートではできる限りボール運びを手伝って沖さんの体力を温存させ、センターラインを越えて相手コートに入ってからは敵を引っ掻き回して隙を作る。
舜也は全速力でゴール下へ向かうと、なるべく足音を立てないように忍び足で土居をマークしている八番の後ろに近づき、両腕を股間の位置でクロスさせて立ち止まり、体を石のように固めた。
「スクリーン!」
舜也をマークしていた九番、朝張が叫んだが一歩遅かった。
土居は今来た舜也と入れ替わるように駆け出し、八番もそれに追随しようとしたものの、行く道を舜也の体が“壁”となって阻んだために立ち止まって「スイッチ」と言った。
バスケットのチームプレイにおいて、小学生によるミニバスからNBAのプロまでが使用する基本中の基本、スクリーンプレイだ。
マンツーマンディフェンスにおいて、オフェンス側が自軍のエースプレイヤーやボールを保持してる選手の相手マークマンに対し、体を張って“壁”の役割に徹し、任意の選手をフリーにさせる。
舜也が腕を交差させたのは、両腕を使って相手を押していないことのアピールのためだ。スクリーンを仕掛ける側が注しなければならないのは、相手選手に対して体当たりをしてはならないということ。そのために身体が接触する前にちゃんと立ち止まっていなければオフェンスファウルを取られてしまう。
スクリーンの役目はあくまで人で作った“壁”。
その“壁”をうまく使った土居は、うまいこと、舜也に付いているマークマンと入れ替わった。先ほど選手が言った「スイッチ」とは、マークする選手を入れ替えることを伝える言葉だ。そしてそれこそが、舜也の作戦だった。
舜也は土居と反対方向に向かって大声でパスを受けようと走り出す。
もともと土居をマークしていた背の高い相手の八番は、舜也に気を取られてゴール下から離れ舜也の後を追った。
成功だ。
土居がローポストでパスをもらったとき、マークしていたのは背の高い八番ではなく、二十センチ以上も背の低い九番。
誰が見てもミスマッチだ。
しかも周囲にカバーへ来る選手もおらず、土居は悠々とターンしてシュートを決めた。