バッシュ
五月一日、木曜日。五月に入ったちょうどこの日に、とうとう舜也たち一年生に頼んでいたバッシュが届いた。箱を開けてみると、ほのかに真新しいゴムの香りが漂ってくる。箱の中には先輩たちが履いているのと同じ、白地に青い波線がデザインされた靴が入っていた。
舜也は早速靴を取り出して紐を通し、履いてみる。第一の感想は、ダッシュがしやすいと思ったことだ。学校指定の上履きと違ってバスケットシューズは足首まで固定されているので安定感がある。その場を少し動いてみると、一切滑ることなく足がキュッと止まった。
やばい。早く試したい。
新しいバッシュを手に入れ、さらに都合のいいことにとうとうこの日、先輩たちと同じメニューの練習が許可された。というのも、来る五月三日土曜日の憲法記念日に市内大会があるため、三年生と二年生のレギュラーが調整に向けて練習量を減らすからだ。
新品の靴は、気分をも新しくしてくれる。ましてやバスケットシューズは上履きとは段違いに動きやすくなり、ジャンプ力が少し上がるような気さえするぐらいだ。
ランニングシュートの練習が終わると、いつもならコートの隅でパス練習に入るところを、今日は一年生もハーフコートでの一対一の練習に取り掛かった。
「オッキー、俺とやろや!」
舜也は真っ先に広宣へ挑戦を申し込んだ。どうせなら一番上手い人と戦いたい。
「おう。いいよ」
広宣も快く応じる。お互いシュート勝負ではなく、ドリブルを使った本格的な一対一は初めてだ。
ジャンケンの結果、舜也がオフェンス、広宣がディフェンスから始まることになった。ボールを持っていた舜也がまず広宣にボールを渡し、広宣もすぐに返す。一対一を始める前の挨拶だ。広宣の表情から爽やかな微笑がなくなり、腰を落として身構えた。舜也も前傾姿勢で止まる。
舜也は懸命に頑張ったものの、やはりオフェンスもディフェンスも広宣が何枚も上回っていた。単純な足の速さなら舜也が勝るが、まだドリブル技術が低いため思うようにスピードでかく乱できない。十五分間ほどの一対一の練習のうち、広宣に決められた得点は二十以上。対して舜也が決めたのはマグレともいえる一本だけだった。
「くっそー。な、オッキー、もう一回やろ。もう一回だけ!」
「駄目だ。キャプテンがツーレンって言ったろ。ワンオンワンはこれで終わり」
「ぐあ~。じゃさ、休憩のときにやらん? な、頼むわ」
「舜坊! ヒロ! ぐちゃぐちゃ喋ってないで早く並べ!」
土居に一喝され、しかたなく舜也は諦めた。
ツーレンとは、二人一組になってパスを出し合いながらコートを縦に走り、レイアップシュートを決める練習だ。パス出しに徹する方はコートの真ん中を走り、シュートを決める人はコートの端を走る。お互い横に並んで走りながらパスを出すのだが、舜也はこの練習でよくペアになった人から苦言を言われた。舜也は足が速いので、どうしても相手との差が開き、並んで横に走る状態から斜めにパスを出す具合になってしまう。走りながらのパスのやり取りは、距離が開くほど難しくなるので、最終的に、舜也は足の速さが同程度の三上さんと絶対ペアになり、二人は江清最速のタッグとして練習した。
ツーレンのあとは、一分休憩して三人一組になったスリーレン。それを終えるとコートを縦に割って二対二を行い、再び六十秒の休憩を挟んで、次はオールコート、つまりコート全面を使った三対三まで一年生も参加した。
初めてここまで全体練習に参加した一年生は、ほぼ全員がゾンビと見分けがつかないほど青息吐息の状態に陥った。ほとんど休まず走りっぱなしで、数え切れないほどの急激なストップ&ゴーや渾身のジャンプがあり、おまけに精密なパスやシュートを放とうと腕も疲れてくる。三対三が終わった直後、一年生はコートから締め出されて、試合を想定した五対五のゲームに取り組む先輩たちを見ながらドリブルやパス練習の基礎に戻ったが、内心誰もがホッとしていた。
「バッシュの中、めちゃくちゃ熱ない?」
舜也はその場でのドリブルつきの練習で、横にいた本堂敏之に声をかけた。
「ああ、熱いな」
本堂がクールに答えた。
「溶岩の中に足を突っ込んだみたいな熱さやで。靴下燃え出すんちゃうかな」
「燃えはしないな」
本堂がクールに答えた。
「…ひょっとして俺、うるさい?」
「別にうるさくない。ただ疲れてるだけだ」
本堂がクールに答えた。無表情に近い顔なので、本当に疲れているようには見えない。
土居たちレギュラー選手のゲームが終わると次は二軍選手を中心としたゲームも行われ、最後に短い時時間ながらも一年生のゲームも許可された。一年生たちの試合が終わると、キャプテンが練習終了を宣言して整理体操に入る。普段の練習量に比べればかなり抑えたメニューだ。
体操後、モップで床を拭きながら舜也は気になって広宣に聞いた。
「な、明後日の試合って、勝てば県大会とかじゃないねんな?」
「違うよ。市内の中学校限定で行われる試合だ。三年生にとっては夏の総体前の最後の大会になる」
「ふうん。うち、優勝するかな」
広宣がモップの手を止めて舜也を見る。言いにくいことを言おうとしているような表情だ。再びモップを動かしながらさらりと言った。
「わからない。結果の決まっている勝負なんてないから」