ベンチから見るゲーム
「ぐっぞ~」
舜也は天を仰ぎ、真上のライトを睨みつけた。痛みよりも、楽しみにしていたせっかくの試合をわずか数十秒で出されてしまったのが悔しい。
「樋川。これ使え」
すぐに横で声がしたので振り向くと、沖キャプテンがアイシング用の保冷剤を手に持っていた。
「鼻の上の方に押し当てるんだ。あと、ティッシュも無理に奥まで詰めない方がいい」
「ありがとうございます」
言われた通り、舜也は両目の間より少し下の位置に保冷剤を押し当てた。ひんやりとしてなんか変な感じだ。鼻の皮膚のすぐ下の血管が鼓動に合わせて脈打ってるのがわかる。ティッシュも鼻から出し、血をこぼさないように鼻のすぐ下で持つと、また天を仰ごうとしてキャプテンに止められた。
「ああ、上も見ない方がいい。鼻を冷やしながらまっすぐ前を向くんだ」
「え?」
舜也は耳を疑った。
それじゃあ、重力にしたがってただ鼻血が出るだけやないん?
見透かしたようにキャプテンが補足する。
「見上げると、血が喉の奥に入ることがあるからな。真っすぐ前を向きながら冷やして血管を収縮させるのが一番早く止まるんだ。それに、試合も見れるだろ?」
確かに、と思いながら舜也は沖キャプテン見て頷いてみせる。キャプテンは笑った。
「運動して血が巡っていたところの出血だから多少は時間かかるだろうけど、ま、五分もあれば止まるだろ。保冷剤、ずっと当てとけよ」
舜也がもう一度お礼を言うと、沖キャプテンは手で応えてそのままギャラリー席へ上がっていった。ほんま、できたお人や、と舜也はしみじみ思う。
ギャラリー席に戻ったキャプテンに、鉄柵に寄りかかりながら様子を見ていた土居が尋ねてきた。
「ただの鼻血でした?」
「ああ。見たところ骨に異常はない」
「ま、あの状況ならしょうがないっすね~」
土居の横にキャプテンが並ぶ。
「試合はどうだ?」
「ひよっこ同士の小競り合いっすよ。あんなレベルで今年の一年は大丈夫かって思います」
「そう言うなよ。お前たちだって一年前はそう変わんなかったんだから」
「いやもうちょっと上手かったでしょ」
キャプテンが下のコートに目を向ける。両チームとも、動きからして素人といっていいレベルだ。パスを受けてから軸足が動いている。トラベリング。ボールを天井に向けるように手で持ってからドリブルをつく。オーバードリブル。本気で審判が笛を吹き始めたら試合にならないだろうことは明らかだった。なによりこうして上からみているとよくわかるが、オフェンスもディフェンスも、選手はボールのあるところに集中的に集まっている。初心者によくある傾向だ。
試合は、八対二で江清が押していた。江清チームの全ての得点を決めていたのは広宣だ。技術は他の選手より群を抜いており、今もシュートフェイントを入れてからマークマンをドリブルで抜き去って、華麗にジャンプシュートを決めた。
「やるなあ、ヒロ。あいつならすぐにレギュラーに入ってくるだろな。沖さん、やっぱりヒロには三番やらせるつもりですか?」
三番とは、ポジションを示すバスケ用語で、スモールフォワードを指す言葉だ。一番はポイントガード、二番はシューティングガード、四番はパワーフォワード、五番がセンターを表す。
「ん~どうだろな。最終的には他のメンバーの特徴とか見極めて選ぶだろうけど、今は三番をやらせるつもりで教えてる。二番か三番に落ち着くんじゃないか」
「ヒロは弱点ないのが強みっすからね。お、選手交代するみたいですよ」
江清のベンチ側からオフィシャルの横に三人の一年生が並び立った。対する安須東も二人の交代選手を用意している。思ったとおり、一通り一年生の運動神経を見ることが試合の目的のようだ。
舜也はベンチで腰掛けながら何も言わず、川をじっと見つめるカワセミのように試合を観察していた。
やがて第一ピリオドが終了する。広宣が大多数の得点を決め、スコアは二十二対十四。八点差でインターバルに入った。
「樋川。血は止まったか?」
インターバル中、九間先生が舜也のところまで歩いてきて尋ねた。舜也は鼻からティッシュを離して確認する。
「はい、止まりました」
「よし。第二ピリオドが始まってすぐに交代するからそのつもりでな」
「はい」
九間先生が去ると、入れ替わりに安須東の七番が舜也の前にやってきた。申し訳なさそうに舜也の顔を上目遣いで見ながらおずおずと話しかけてくる。
「あの、鼻は大丈夫?」
前髪が真ん中から分けられた、かなりのイケメンだ。
「ああ、もう血も止まったけど…」
「ボール、顔面にぶつけてごめん」
「ああ」
舜也は納得して朗らかに答えた。
「ええよ。気にせんといて。わざと当てたわけやないやろし、ただ運が悪かっただけや」
「うん…ほんとにごめん」
相手選手は小さく頭を下げると、足早に舜也から離れていった。