自主練
山の中腹にある江清中学には、校舎の裏手に山頂に向かって伸びる細く長い坂道がある。浄水施設へ通じる道になっているが人通りは少なく、最高傾斜度が二十度に及ぶ長い長い坂道なので、足腰を鍛えるための絶好の場として運動部がよく使っているという。
「うちの学校の数少ない名物だよ。別名、拷問坂」
「自転車でこの坂上りきったら、学校がなくなる日まで語り継がれるだろうな」
沖兄弟に教えてもらいながら舜也は歩き続け、ちょうど坂が始まるポイントにたどり着いた。幅は車二台がギリギリ通れるぐらいで、両側から森の木が覆い隠すように道路の上空へ広がっている。
三人は地面にカバンを置き、入念にストレッチを始めた。沖キャプテンが説明する。
「ずっと上に行けば浄水施設へ着くけど、そこまでは行かない。使うのは今見えている直線の坂道、だいたい三十メートルぐらいだな。あの街灯が見えるだろ?」
キャプテンの指差す方向を見ると、ちょうど三十メートルぐらい先に明かりの点いた街灯が見えた。街灯の先はカーブになっていてその先も道は続いている。
「はい、見えます」
「あそこがゴールだ。あの街灯に辿り着いたら歩いてここまで戻ってくる。下りは走らなくていいからな。勾配のキツイ坂を走って下りると膝を痛めやすいんだ。そして一番大事なポイントが一つ」
沖キャプテンが言った。
「この練習中は口を一切開けずに、鼻呼吸だけでやるんだ」
「鼻呼吸?」
「そう。人間が肺に空気を入れるためには口と鼻の二つの方法があるだろ。激しい運動中なら口で息を吸い込んだ方が一気に肺へ空気を送れるけど、鼻呼吸でやれば心肺能力を鍛えられる。要するに、スタミナをつける練習になるわけだ」
「結構辛そうですね」
「やってみればわかる。ただし無茶はすんなよ。人間誰だって風邪引いて鼻づまりになれば呼吸しづらいし、慢性鼻炎を抱えているやつもいる。どうしても苦しくなったら口で空気を吸え。酸欠や過呼吸で倒れたりしたらそれはただの赤っ恥だからな」
「了解です」
「じゃ、前置きはこれぐらいにして始めようか。やることは坂版のフットワークだ。俺の真似して付いて来いよ」
キャプテンは一回屈伸してから、左右の足を交互に使って大きく前へ跳ぶフットワークで坂を上り始めた。バスケの練習でもやっているメニューだ。五メートルほどの間隔が空いたところで、何も言わずに広宣があとに続き、舜也も大きく深呼吸して息を整えようとして気が付いた。
あかん、鼻だけで呼吸するんやったな。
ちょうどいい間隔が空いたところで舜也も続く。
想像を超えたキツさだった。平面のコートでも、翌日針が刺すような筋肉痛に襲われるのに、坂道でやると三倍は辛い。坂の半分まで到達したところで舜也の額に汗が吹き出し、苦しさに顔を歪めた。運動自体の過酷さに、鼻呼吸が拍車をかける。どれだけ目一杯鼻から吸っても肺が空気不足で悲鳴を上げた。心臓の鼓動も、自分で大丈夫かと心配になるほど早い。ゴールの終盤に差し掛かったところで舜也の横をキャプテンが歩いて下っていくのが見え、街灯まで辿り着いたところで、舜也はたまらず大きく口を開けて呼吸した。貪るように空気を吸い込む。まるで二十五メートルプールを息継ぎなしで泳ぎきったあとのようだ。両膝に手を置いて中腰を保っていると、坂の下からキャプテンの声が届いた。
「おーい、止まるなよ。歩いていいから常に動く」
「…はい」
聴こえるかどうかわからないか細い返事で答え、舜也は坂を下り始めた。
フットワークのメニューはほとんどバスケの練習でやっていることと同じだったが、他に両足を揃えて前へジャンプしたり、片足だけのケンケン足でできる限り大きく進んだりするなど種類が追加されており、最後に全力ダッシュを十本。自主練をはじめておよそ二十分が経ったところで沖キャプテンが終わりを告げた。
「お疲れさん。これで全メニュー完了だ」
舜也が走り終えるまでキャプテンたちは街灯の横で待っていて、三人は足並みを揃えて坂を下りた。
「どう? しんどいだろ?」
広宣が袖で額の汗をぬぐいながら尋ねる。誰が見えても疲労困憊の様子だったが、舜也は意地を張って明るい声を出した。
「余裕やな」
「お? じゃもう一回同じメニューやってみる?」
「ぐっ…」
さすがに二の句が継げず舜也は黙り込んだ。キャプテンが微笑する。