慌ただしい朝
四月。全国のどこにでもある古い団地の一室の中。
「アカンって! ヤバイって! 遅刻してまうって!」
真新しいカッターシャツに袖を通し、大急ぎで前のボタンをしめている背の低い短髪の少年が、下半身トランクスのみという状態で散らかっている自分の部屋をなにやら探し回っていた。
「どこいったんかな~。舞~、俺の制服のズボン知らへん?」
あたふたと部屋を探し回りながら、少年は部屋の入り口に向かって声高に叫んだ。しばらくして、ショートヘアのあどけない顔をした少年の妹が眠たそうに目をこすりながら部屋にやって来る。
「知らんよ。昨日の夜に準備しとったんちゃうん?」
「準備しとったやつがないから今探しとんねん! うあ、ボタン掛け間違えとる! 頼む舞、一生のお願いやから一緒に探してくれ!」
「いやや、めんどくさい。それに〝一生のお願い〟は昨日おやつのプリン分けてあげたときに使うたやん」
「じゃ来世分の願いを使うわ! 頼むって! 兄ちゃんをパンツのまま学校に行かさんといて!」
少年が手を動かしながら早口で喋りたてたそのとき、「ズボンあったで」と言いながら少年の母親が妹の後ろに現れた。その手には、少年の探し求めていた黒い制服ズボンがぶら下がっている。
「おおサンキュー! どこにあったん?」
「何でか知らんけど、洗濯カゴの中にあった」
「ああ、トイレ行くときにそこに置いたんやった」
少年はひったくるように母親からズボンを受け取ると、五秒もかけずに履き、ベルトを締めた。
「まったく…こんなことなら夜更かしせんかったらよかったのに」
母親の指摘に、機関銃のような早さで少年が反論する。
「しゃあないやないか! DVDレコーダーが壊れてもたから番組の録画ができんかってんもん。そもそも母親なら子どもより早起きして朝飯作って洗濯しとかなあかんやろ! 何で子どもより遅い時間に起きとんねん!」
「昨日は夜勤があるから朝起きられんかもしれんって前から言うとったやろ? ほら、ボタン掛け違えとんで」
「ええねん。どうせ上から学ラン着るからわからへん。今何分?」
「三十三分」
「三十三! ウソやろ! こら全力で走らなあかんな」
少年は筆記用具と上履きの入った学校指定のバックを持つと、跳ねるように玄関に向かい、靴を履いた。
「ほな、行ってきます」
「いってらっしゃい。あ、舜。式のあとちゃんと写真撮るからな。十二時ぐらいには校門のあたりおってや!」
「わかった」
背中越しで返事をすると、妹にも見送られながら少年は勢いよく玄関の扉を開けた。
「まったくしんどい朝やな。今日が入学式やっちゅうのに」
作中で使われるバスケットのルールは、マンツーマンディフェンスが推奨される2017年以前のものとなっています。